エリート弁護士の神崎くんは、初恋を拗らせている
社内会議明けの金曜日。
お昼休憩後の朱里は疲弊しきった表情でデスクに戻ってきた。
スマホのモニターにはSNSのタイムライン。
──そこには、担当作家、綾野の名前を含む『#パクリ』『#ゴーストライター』などの文字列が並んでいる。
「……ひどい」
一見大勢で吊るし上げているように見えるが、実際は一人でアカウントを何個も作って大勢に見せかけているということもある。
けれど、やられた本人はたまったもんじゃない。
(こんなの、絶対病んじゃうよ)
思わず『やめなよ』『やめなよ』と書き込んで回りたい気持ちになったが、一旦冷静になる。
SNSは見ないようにというのは、作家本人にも伝えているだろう。私一人が何かしたってどうにかなるものじゃない。
何もできない悔しい気持ちを必死で抑えながら、午後からの業務をこなしていた頃。
終業近くに、朱里のデスクの内線が鳴った。
「はい。藤井です」
「お疲れ様です、受付です。藤井さん宛に佐原法律事務所の神崎様がお見えです」
「えっ?」
受話器を持ったまま、朱里は耳を疑った。
「……わかりました。すぐ行きます」
書類をまとめて立ち上がると、内心の動揺を悟られないよう背筋を伸ばす。
何か理由があって来たのだ──それだけは確かだった。
エレベーターを降り、エントランスに向かうと、見慣れた横顔が見えた。
「神崎……先生」
黒のロングコート、手には革の書類バッグ。
いつも通り落ち着いた佇まいの背の高い男性。
朔也は朱里に気づくと、軽く顎を引くようにして視線を寄越した。
「急に来てごめん」
目が合った瞬間、朱里の心臓はどくんと跳ねた。
「どうしたの?」
「……ちょっと、様子を見に来た」
目頭が、じんと熱くなる。
「来ちゃ……だめだよ、こんなとこまで」
彼を社内の来客ブースに通し、飲み物を準備して戻ると、朔也はすでに茶封筒と数枚の書類を机の上に並べていた。
「例の件、追加で整理してみた。昨日話した社内声明の文案、こっちで素案作ったから。それと、類似作品の分析比較。外部に依頼したら時間かかるから、簡単にまとめてある」
「……このために、わざわざ来てくれたの?」
「ついでだ。たまたま自宅が近くで、帰りに寄っただけだから」
ぶっきらぼうな言い方があの頃のままで、朱里は封筒に目を落としながら、言葉を探す。
「ありがとう」
「……別に」
そのひと言に、不意に呼吸が詰まった。
思わず顔を上げると、朔也は視線を外して書類を整え直していた。
「これ、ちゃんと会社として対応方針決めるまで時間かかるだろうけど、早めに公式の説明文だけでも出した方がいい。沈黙してると、向こうのペースに飲まれる」
「……うん。伝える。ありがとう」
「それと、段階的に『不確かな拡散投稿は法的警告を出せる』と明言して牽制する。最初はあまり刺激しないほうがいいけど、会社として毅然とした態度を取るのは大事だ。作家の信頼も守れる」
「うん。そうだよね。」
「盗作というセンシティブな題材は、”それが事実かどうか”よりも、”どう向き合うか”の方が大事で、『盗作ではないけれど、誤解を招いたのは事実。会社として言葉で説明して信頼を取り戻す』という方針を取ったほうがいい」
朔也は不意に考え込む仕草をしたかと思うと、ペンと手帳を取り出した。
「少し時間くれるか?まとめてみる」
「あ、うん……」
朱里は目の前で、先程の内容を分かりやすく書き記していく朔也を見つめながら、胸がじんと熱くなっていく。
「やっぱり、すごいね。神崎くん」
「……何が」
「頼りになる」
その言葉に、朔也の指先が僅かに止まる。
「昔から、そうだったよね。中学の時も。……勉強教えてくれたこと、思い出しちゃった」
「……あれは、おまえが勝手に聞いてきただけだろ」
「そうだけど。嬉しかった」
静寂が流れる。
自分の心臓の鼓動が大きすぎる気がして、朱里はふいに視線を逸らした。
「……ごめん。業務に関係ない話」
「藤井」
「……うん?」
「……無理すんなよ」
その声に、朱里はハッとして朔也を見る。
彼の目は、真っ直ぐこちらを見つめていた。
「じゃあ、また何か進展あったら電話して」
書き終えた補足のメモ書きを朱里に渡すと、朔也は席を立ち、コートに袖を通した。
「うん。分かった」
「仕事は、まだあるのか?」
「もう終わるけど」
「じゃあ、駅まで送る」
「え」
不意を突かれて咄嗟に断るタイミングを逃してしまった。
前回も、駅まで送ってもらったばかりだ。
(なんで?なんで、そこまでしてくれるの?)
「……一旦、上司に報告してくるね」
朱里はそれを言うのが精一杯だった。
***
外はすっかり暗くなっていた。雨雲が多く、天気が悪いせいもあるが、風も強い日だった。
「神崎くんのお家は反対方向じゃないの?」
「いや、駅方面だから、ついでだ」
「……ふーん、家賃高そう」
「そうでもない」
「私なんて、こっから5駅先だよ」
「俺の職場だって、5駅先だ」
「あ、そっか」
その時、ぽつんと大粒の雨が頬を濡らした。
「……え、降ってきた」
気づけばポツポツと音が増えて、あっという間に軒先に避難するほどの本降りになっていた。
「夜中からって言ってたのに」
朱里がスマホの画面を睨む。
出勤前にチェックする朝の天気予報では、深夜に降るという予報だったが、天気アプリには“現在:雨”とある。暫くは止まないみたいだ。
「会社に置き傘あったけど……戻るのもちょっと遠いよね」
「タクシー使うか?でも、金曜の夜だから無理かもな……」
朔也が言って、アプリを開く。
「……捕まらないな。十数分後って出てるけど、当てにならない」
「……戻る?」
朱里が口にしたとき、朔也が言った。
「なら俺の家の方が近い。5分もかからないし、雨宿りしながらアプリ見て、タクシー掴まるの待てばいい」
朱里は一瞬だけ迷って、頷いた。
「……じゃあ、お言葉に甘えます」
お昼休憩後の朱里は疲弊しきった表情でデスクに戻ってきた。
スマホのモニターにはSNSのタイムライン。
──そこには、担当作家、綾野の名前を含む『#パクリ』『#ゴーストライター』などの文字列が並んでいる。
「……ひどい」
一見大勢で吊るし上げているように見えるが、実際は一人でアカウントを何個も作って大勢に見せかけているということもある。
けれど、やられた本人はたまったもんじゃない。
(こんなの、絶対病んじゃうよ)
思わず『やめなよ』『やめなよ』と書き込んで回りたい気持ちになったが、一旦冷静になる。
SNSは見ないようにというのは、作家本人にも伝えているだろう。私一人が何かしたってどうにかなるものじゃない。
何もできない悔しい気持ちを必死で抑えながら、午後からの業務をこなしていた頃。
終業近くに、朱里のデスクの内線が鳴った。
「はい。藤井です」
「お疲れ様です、受付です。藤井さん宛に佐原法律事務所の神崎様がお見えです」
「えっ?」
受話器を持ったまま、朱里は耳を疑った。
「……わかりました。すぐ行きます」
書類をまとめて立ち上がると、内心の動揺を悟られないよう背筋を伸ばす。
何か理由があって来たのだ──それだけは確かだった。
エレベーターを降り、エントランスに向かうと、見慣れた横顔が見えた。
「神崎……先生」
黒のロングコート、手には革の書類バッグ。
いつも通り落ち着いた佇まいの背の高い男性。
朔也は朱里に気づくと、軽く顎を引くようにして視線を寄越した。
「急に来てごめん」
目が合った瞬間、朱里の心臓はどくんと跳ねた。
「どうしたの?」
「……ちょっと、様子を見に来た」
目頭が、じんと熱くなる。
「来ちゃ……だめだよ、こんなとこまで」
彼を社内の来客ブースに通し、飲み物を準備して戻ると、朔也はすでに茶封筒と数枚の書類を机の上に並べていた。
「例の件、追加で整理してみた。昨日話した社内声明の文案、こっちで素案作ったから。それと、類似作品の分析比較。外部に依頼したら時間かかるから、簡単にまとめてある」
「……このために、わざわざ来てくれたの?」
「ついでだ。たまたま自宅が近くで、帰りに寄っただけだから」
ぶっきらぼうな言い方があの頃のままで、朱里は封筒に目を落としながら、言葉を探す。
「ありがとう」
「……別に」
そのひと言に、不意に呼吸が詰まった。
思わず顔を上げると、朔也は視線を外して書類を整え直していた。
「これ、ちゃんと会社として対応方針決めるまで時間かかるだろうけど、早めに公式の説明文だけでも出した方がいい。沈黙してると、向こうのペースに飲まれる」
「……うん。伝える。ありがとう」
「それと、段階的に『不確かな拡散投稿は法的警告を出せる』と明言して牽制する。最初はあまり刺激しないほうがいいけど、会社として毅然とした態度を取るのは大事だ。作家の信頼も守れる」
「うん。そうだよね。」
「盗作というセンシティブな題材は、”それが事実かどうか”よりも、”どう向き合うか”の方が大事で、『盗作ではないけれど、誤解を招いたのは事実。会社として言葉で説明して信頼を取り戻す』という方針を取ったほうがいい」
朔也は不意に考え込む仕草をしたかと思うと、ペンと手帳を取り出した。
「少し時間くれるか?まとめてみる」
「あ、うん……」
朱里は目の前で、先程の内容を分かりやすく書き記していく朔也を見つめながら、胸がじんと熱くなっていく。
「やっぱり、すごいね。神崎くん」
「……何が」
「頼りになる」
その言葉に、朔也の指先が僅かに止まる。
「昔から、そうだったよね。中学の時も。……勉強教えてくれたこと、思い出しちゃった」
「……あれは、おまえが勝手に聞いてきただけだろ」
「そうだけど。嬉しかった」
静寂が流れる。
自分の心臓の鼓動が大きすぎる気がして、朱里はふいに視線を逸らした。
「……ごめん。業務に関係ない話」
「藤井」
「……うん?」
「……無理すんなよ」
その声に、朱里はハッとして朔也を見る。
彼の目は、真っ直ぐこちらを見つめていた。
「じゃあ、また何か進展あったら電話して」
書き終えた補足のメモ書きを朱里に渡すと、朔也は席を立ち、コートに袖を通した。
「うん。分かった」
「仕事は、まだあるのか?」
「もう終わるけど」
「じゃあ、駅まで送る」
「え」
不意を突かれて咄嗟に断るタイミングを逃してしまった。
前回も、駅まで送ってもらったばかりだ。
(なんで?なんで、そこまでしてくれるの?)
「……一旦、上司に報告してくるね」
朱里はそれを言うのが精一杯だった。
***
外はすっかり暗くなっていた。雨雲が多く、天気が悪いせいもあるが、風も強い日だった。
「神崎くんのお家は反対方向じゃないの?」
「いや、駅方面だから、ついでだ」
「……ふーん、家賃高そう」
「そうでもない」
「私なんて、こっから5駅先だよ」
「俺の職場だって、5駅先だ」
「あ、そっか」
その時、ぽつんと大粒の雨が頬を濡らした。
「……え、降ってきた」
気づけばポツポツと音が増えて、あっという間に軒先に避難するほどの本降りになっていた。
「夜中からって言ってたのに」
朱里がスマホの画面を睨む。
出勤前にチェックする朝の天気予報では、深夜に降るという予報だったが、天気アプリには“現在:雨”とある。暫くは止まないみたいだ。
「会社に置き傘あったけど……戻るのもちょっと遠いよね」
「タクシー使うか?でも、金曜の夜だから無理かもな……」
朔也が言って、アプリを開く。
「……捕まらないな。十数分後って出てるけど、当てにならない」
「……戻る?」
朱里が口にしたとき、朔也が言った。
「なら俺の家の方が近い。5分もかからないし、雨宿りしながらアプリ見て、タクシー掴まるの待てばいい」
朱里は一瞬だけ迷って、頷いた。
「……じゃあ、お言葉に甘えます」