エリート弁護士の神崎くんは、初恋を拗らせている

回想~近づく

 チャイムが鳴った放課後。
 人気のない河原の土手を歩いていくと、やっぱり彼はいた。

 神崎朔也。
 いつものように寝転んで、今日は文庫本を読んでいる。
 風が吹くたび、彼の前髪がふわりと揺れる。

 朱里は静かに近づいて、彼の横、少し離れた場所に腰を下ろした。

「……いた」
「……毎回確認する意味あんのか、それ」

 本から目を離さず、朔也がぼそりと呟く。
 その声が少しだけ柔らかい気がして、朱里はクスッと笑った。

「なんとなく。いなかったら……ちょっと寂しいし?」
「……そういうの、言わなくていい」
「えー、照れてる?」
「照れてねえし」

 わかりやすく目線を逸らす彼に、朱里はちょっとだけ満足げに微笑んだ。

 しばらく沈黙が流れたあと、朱里がぽつりと呟く。

「山根先生、今日も熱かったねー」
「“諦めるのは誰にだってできる。だから、おまえらは違う道を選べ”ってやつか」
「そうそれ。もう10回は聞いたかも」
「12回目」
「数えてたの?」
「…ヒマだったんだよ」

 ぷいっと顔を背ける朔也に、朱里は吹き出す。

「でも、私ああいうの、嫌いじゃないな。山根先生。怒ると怖いけど、ちゃんとみんなのこと見てるし」

 朔也は黙ったまま、空を見上げた。

「…うざいけどな」
「佐久間くんとか、好きそうじゃん」
「あいつは誰にでも懐く犬タイプだろ」
「いぬ?」
「……近い、距離が」
「ぶっ」

 朱里は思わず吹き出した。

「神崎くん、佐久間くんのこと、実はちょっと好きでしょ?」
「……うるせえ」

 でも、その返しはいつもより少しだけ遅くて、彼の口元がほんの少しだけ、わずかに――緩んだ気がした。

 そんな些細な変化に気づくのが、最近の朱里の得意技だった。

(なんか……こういう会話、いいな)

 朔也の隣で風の音を聴きながら、ただ、笑い合える放課後。

「……おまえ、顔に出すぎ」
「え? なんのこと?」
「なんか、にやけてる」
「うそ!」

 朱里が頬を押さえると、朔也は小さく笑う。
 でもすぐに、その笑みを風に紛れさせた。


***


 昼休みのチャイムが鳴って、教室にざわつきが広がる。
 朱里が弁当の包みを開けようとした、その時だった。

「よっ、神崎~!購買行かね?」

 明るい声とともに、クラスのムードメーカー佐久間がすっと朔也の隣の席に滑り込む。
 彼は今日も弁当を持ってきていないらしい。

「……行かねぇ」

 朔也はいつも通りの返答。
 ペンを持ったまま、ノートに何かを書き込んでいる。

「ちぇ、冷てーな。でも今日、焼きそばパン出るってよ?」

 ぴくっ。

 朱里は見逃さなかった。
 朔也のペンが一瞬止まったのだ。

「……」
「……お?」

 佐久間がにやっとする。

「え、神崎、焼きそばパン好きなの?」

 朔也は何も答えず、ノートの文字を整えるようにして視線をそらす。

「……別に」
「おいおい、それ絶対“気になるけど行くのはダルい”やつだろ!行こうぜ、行こうぜ!」
「いや、いい。行かね──」
「ほらほら、買えなかったら泣くぞ!?俺の分は別として、おまえの分だけでも絶対ゲットしてやっから!」
「うるせぇな、引っ張んな!」

 ドタバタと騒ぎながら、佐久間は半ば強引に彼の腕を引く。
 朔也はしぶしぶと立ち上がった。

「……マジで焼きそばパン残ってなかったら、おまえぶっ飛ばす」
「おっけー!その時はアンパン2個で手を打ってくれ!」

 2人のやりとりに、周囲の女子たちがくすくすと笑っている。
 朔也の照れくさそうな横顔を、朱里はそっと見つめた。

(……焼きそばパンって、そんなに特別だったんだ)

 彼の“ちょっとした人間味”を垣間見たようで、朱里はなんだか宝物を見つけたかのように嬉しかった。


 購買から戻ってきた朔也は、どこか複雑な表情だった。
 袋の中には、しっかりと焼きそばパンが2つ入っている。

「な?言ったろ、神崎。俺の読みは完璧だって!」

 佐久間が勝ち誇ったように言うが、朔也はぶっきらぼうに、
「……騒ぐな。めんどくせ」と言いながら、袋をひょいと持ち上げた。

「でもさ、ほんとに焼きそばパン好きだったんだ?」
「別に。嫌いじゃねーだけだ」

 そう言って視線を逸らす彼に、佐久間は嬉しそうに笑う。

「はいはい、ツンデレお疲れ!」
「……絞めるぞ」
「お前の人間味が出てきて嬉しいよ、俺は」

 そう言って、佐久間は肩をすくめた。



 昼休みの後半。
 朱里は図書室で、本の整理をしていた。
ぼんやり空を見上げていると──

「……図書委員さん」

 後ろから聞こえた声に、ふり向くと朔也が隣の窓際に寄りかかって立っていた。手には、さっき買ったと思われる焼きそばパン。

「食べないの?」
「……今、食ってる最中」

 朔也はふっと笑って、パンの包装を破り始める。
 朱里はそれを見ながら、にこにこして言った。

「焼きそばパン、好きなんだね」

 朔也の手が止まる。

「……誰に聞いた」
「見てたよ、さっき。佐久間くんと購買行ってたでしょ。めずらしく引っ張られてたから、何かなって思って」
「……あいつが騒いでるだけだ。俺は、ただ……」
「“嫌いじゃない”だけ?」

 朱里がくすっと笑いながら言うと、朔也は一瞬目を見開いた。

「なんだよ、おまえ……人の台詞、盗むな」
「だって面白かったんだもん」

 朱里の笑顔に、朔也は言葉を返せなかった。
 風がふわりと吹いて、彼の前髪を揺らす。

「神崎くんって、意外と普通だね」
「……どういう意味だよ」
「焼きそばパン、好きなとことか?」
「それだけで判断すんな」

 朔也は焼きそばパンをかじりながら、図書室の休憩スペースに腰を下ろした。

 図書室の奥には、昼食も取れる小さな休憩スペースがある。
 朱里は図書委員だから、朔也がここに来ることも知っていた。

 けれど、2人がまともに話すのはいつも放課後の河原。あの空間だけは特別だった。

 教室は──2人にとって、仮面をかぶる場所。
 誰も、自分たちの関係になんて気づいていない。
 それは少し、寂しくて。でも……悪くないとも思っていた。

 言葉は少ないけれど、あの場所でだけは、少しずつ心がほどけていく気がしていたから。
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