訳あって、推しに激似のクールな美容外科医と利害一致のソロ活婚をしたはずが溺愛婚になりました
その声で思考を中断した杏璃が央輔に意識を向けると、ふっと不敵な微笑を湛えなにやらよからぬことを思いついたような顔をしている。
妙な胸騒ぎを覚えた杏璃はこの場から逃げ出したい衝動に駆られ、ドアに手をかけようとしたところで、その手を央輔の低い声と手により阻まれてしまう。
「逃げるな。まだ話が終わってないだろ」
思わず身を竦ませた杏璃の手が央輔にぐっと引き寄せられ、そのまま顔を寄せてきた央輔の唇が杏璃の手の甲にそうっと優しく口づける。
「――っ⁉」
さすがは、推し活に同行しているだけあり、アーサー王子そのもののような央輔の所作に身も心も惹きつけられてしまう。
だがキスの生々しい感触にハッとした杏璃はビクッと小さく飛び上がった。
央輔との初デートの際にホテルでも同じことをされたが、その時には感じなかった刺激が生じたせいだ。
それは、あたかも微弱な電流でも流されて感電でもしたかのような、甘やかな痺れだった。
央輔に対する杏璃の感情があの頃のものとは違っていると、知らしめられているようで、どうにもいたたまれない。
そんな杏璃のことを央輔はどこか愉しそうに見つめている。
央輔の視線から逃れようと杏璃が俯こうとした刹那、顎をとらえた彼の手により掬い上げられた。
自然と央輔の正面から向き合う形になり、杏璃が息を呑むと同時に、央輔の甘く低い声音が耳に流れ込んでくる。
「そんなに怯えなくても、今すぐ取って食ったりしない。男に免疫のない杏璃にあわせて、ゆっくり優しく丁寧に慣らしていく。だから安心して、俺に身を委ねろ」
あたかもアーサー王子が宣言でもするかのようなゆったりとした物言いに、杏璃は夢でも見ているかのような感覚に陥ってしまう。
杏璃がぼんやりとしている隙でも突くかのように、ゆっくりと距離を詰めてきた央輔の唇が杏璃の無防備なそれと重なりあう。……かと思えば、数秒ほどですぐに離れてしまう。
途端に名残惜しさを感じてしまった杏璃は、それでもまだ現実だと信じ切れない。ただただぼんやりと、離れてしまった央輔の唇を視線で追うことしかできないでいる。
惚けた杏璃の視界の中で、央輔の形のいい唇がゆっくりと弧を描き、言葉を紡ぎ出す。
「どうした? キスだけじゃ物足りなかったのか?」
「……っ⁉」
(……ゆ、夢でも錯覚でもなかったんだ。現実なんだ)
意地悪な色を帯びたその声音に今度こそ現実だと確信し、正気を取り戻した杏璃は、とてつもない羞恥に苛まれる羽目になった。
ほどなくして、心身共に平静を取り戻した杏璃が央輔に猛抗議するも。
「キスなんかする必要なんてありませんよね!」
「もうすぐ夫婦になるのに、いつまでもよそよそしくしてるほうがおかしいだろ? 互いの利益のためにも、互いの家族に疑われないようにしないとな」
そう言われてしまうと、確かに一理あると思ってしまった杏璃は黙らざるを得なかった。
なんだか、うまく丸め込まれた気もするが、央輔とのキスに驚きはしても、不快感はまったくなかった。
なんなら、気持ちいいとさえ思ってしまったほどである。
けれど、央輔の言うように、この関係は、互いの利益のためにソロ活婚をするために協力しあっているだけの、偽りの関係に過ぎない。
だというのに、一線を越えてしまった。
こんな調子で、今後もアーサー王子のように振る舞われてしまったら、央輔に今以上の感情を抱いてしまいそうな気がして。
――それがなにより怖くて堪らない。
この日を境に、こんな状態で結婚してしまってもいいのだろうか――という一抹の不安が消えてくれない。
だからといって、時間が止まってくれるわけもなく、杏璃は心がそわそわしっぱなしのまま結婚式当日を迎えることとなったのだった。