訳あって、推しに激似のクールな美容外科医と利害一致のソロ活婚をしたはずが溺愛婚になりました
ままならない現実

 妻となったばかりの杏璃と初夜を過ごしたのだから、本来なら、身も心も満たされて、この上ない幸福感を味わっていたに違いない。しつこいようだが、本来であれば……の話だ。

 いや、正直に言えば、これまで経験したことがないぐらい、心身共に満たされている。

 だからこそ、央輔は虚しさに苛まれていた。

 無理もない。氷のプリンスの身代わりなのだから。

 杏璃に出会うまでの央輔にとって、女性は撃退する対象でしかなかったはずだ。

 特定の女性に対して、恋愛感情を抱いたことさえなかったのに、今更になってどうして……と思わずにいられない。

 央輔自身、他者に恋愛感情を抱くことのできない――アロマンティックかもしれないと思っていたぐらいだ。

 それだから、杏璃を組み敷いた際に愚息が予想外な反応を示したのも、純粋培養された杏璃に真っ直ぐに向けられた純真無垢な好意だったからに違いない――そう信じて疑わなかった。

 洋輔にクビにすると脅され、杏璃との縁談を進められた時もそうだ。

 推しに夢中な上に、年の離れた杏璃となら、これまでの女性のように恋愛感情を抱かれて煩わしい思いもせずに済むだろう。

 そう思ったからこそ、利害一致のソロ活婚を持ちかけたのだ。

 けれど、あまりにもあっさりと杏璃に了承されてしまい、拍子抜けを通り越して、何とも複雑な心境だった。

 どうにも面白くなくて、思わず『推しに似た俺を好きになっても、報われないんだぞ。それでもいいのか?』そう念押ししたぐらいだ。

 だというのに、杏璃は自信満々といった様子でキッパリと言い放った。

『勘違いしないでください。推しに対する好意は、恋愛感情とはまったくの別物です。見返りなんて求めない、尊いものなんです。なので、そのご尊顔は、観賞用として生涯愛でさせていただきますので、ご安心ください』

 望んでいた言葉だったはずだ。

 それなのに、杏璃の言葉に大きな衝撃を受けていた。

 驚きと落胆とが綯い交ぜとなり、央輔の心に一気に押し寄せ侵食していく。杏璃の言動に心を大きく揺さぶられ、様々な感情が湧き起こってくる。そしてその感情をコントロールできない。

 これまで、撃退する対象でしかなかった女性に、あんなにも感情を露わにしたことなど一度もなかった。それなのに――

 それでも、杏璃に対する感情が何なのか央輔には理解が及ばなかった。

 杏璃の推し活に同行するようになったのも、杏璃に対する感情が何かを確かめたいと思ったからだ。

 毎週のように杏璃と過ごすうち、推しへの思いがどれほどかを知ったし、保育士という仕事に、どれほど誇りを持っているかも知った。

 いつも、何に対しても、一生懸命で真っ直ぐで、嘘偽りも裏表もない。

 当初感じたとおり、純真無垢で穢れを知らない杏璃が羨ましくもあり、時折向けられる笑顔が眩しかった。直視できなかったほどだ。
 
 鷹村グループの御曹司。

 この肩書きのおかげで、物心がついた頃には、何もかもできて当然。そんな言葉が枕詞のようについて回る。

 そのうち、褒められることにも慣れてくる。

 類い希なる美貌同様、秀でた頭脳も引き継いだおかげで、見聞きするだけで知識を得られた。

 子どもの頃からどこか冷めたところがあったかもしれない。

 何かを強く望まなくとも、容易く手にできるのだから、そうなってしまうのも無理もないだろう。

 旧家というのもあり、醜聞を恐れ表面上はにこやかだが、親族だからといって隙など見せれば足を掬われかねない。

 よく、狐と狸の化かし合いなどというが、正にそれだ。

 そんな環境で育ったせいか、誰かに本音を晒すこともなければ、感情を抑えることなど造作もなかった。

 だというのに、杏璃の前では、どうにもうまくいかない――いつもいつも、調子を狂わされてばかりだ。

 杏璃と時間を共有しているうち、それも悪くないと思いはじめる。

 一緒に週末を過ごすのが当たり前になり、気づけば自然に笑い合えるようになっていた。

 屈託ない杏璃の笑顔を目にするたび、胸がざわめくような不可思議な感覚に囚われるようになった。

(何なんだ? この、くすぐったいような、心があったまるような、妙な感覚は……)

 戸惑いながらも、杏璃と一緒にいるのが思いの外楽しくて、時間なんてあっという間に過ぎてしまう。

 いつしか、央輔にとって、杏璃と過ごす時間が癒やしになっていた。

 杏璃のために、何かできることはないだろうか――気づけばそんなことを考えるようになって……

 杏璃のことをもっともっと知りたいと思うようになった。

 会えない時間も杏璃のことで埋め尽くされていく。

 七月を過ぎた頃には、杏璃と過ごす週末を心待ちにするようになっていた。

 杏璃といると、その小さな手に触れたい。その柔らかそうな髪に触れてみたい。

 そんな願望が脳裏を掠めるようになっていた。

 ふと手を伸ばしかけて、そのたびに央輔はハッとする。そして勘違いしないように自身に言い聞かせる。

(そうだ。この笑顔は、俺に向けられたんじゃない。同じ顔をした推しに対してだ。勘違いするな)

 脳内で、もう何度、難解とされるありとあらゆる術式のシミュレーションを繰り広げてきたか……。

 そんなことを幾度となく繰り返しているうち、嫌でも気づかされた。

 ――これが恋愛感情なのだと。

 それでも、往生際の悪い央輔は認められずにいたのだ。
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