夢から逃げた私ですが、過保護なエリート弁護士に溺愛されてます
 ぞわりと背筋が震えた。
 息を呑んで、男が私の後ろを歩いていく間、両手で握ったグラスをじっと見つめた。
 なにか因縁をつけられたらどうしようって思ったけど、男は私に声をかけてくることもなく、席を二つ空けて静かに腰を下ろした。

 私に気付いていないのか、こっちをちらりとも見てこない。

 あの日を忘れたのかのような男の態度に、ほっと安堵すると、真奈さんが「いらっしゃいませ」と声をかけながら男の前へと移動した。

 私のことを覚えていないなら、それに越したことはない。だけど、やっぱり同じ空間にいるのは気分がよくないし、いつ気付かれるかわからない。もう帰った方がいいのかも。

 そんなことを考えながら飲みかけのグラスを傾けた時だった。

「彼女と同じものを」
 
 低い声が告げた注文に心臓が跳ね、背筋が強張った。
 恐る恐る横を向くと、一ミリも笑みを浮かべない男と目が合った。だけど男は焦ることもなく、何事もなかったような顔で、視線をカウンターの向こうへ移した。

 私のことを見ていた。
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