夜明けが世界を染めるころ
レイside

執務室にて

「――殿下。
 ガイルの研究施設、確認できました」

書類から視線を上げ、殿下は一度だけ頷いた。

「わかった。ご苦労だったね」

「いえ」

それ以上の言葉は不要だ。
任務は果たした。判断は、主のもの。

殿下はしばし黙り込み、机に肘をついて考え込む。
その沈黙の長さを、私はよく知っている。

「……さて」

やがて独り言のように呟いた。

「まずは、婚約発表だね」

(やはり、そこからか)

「ええ。手筈はすでに整えてあります」
私は即答した。
「関係各所への根回し、貴族院、教会、王城内――すべて問題ありません」

「さすがだ」

殿下は小さく笑う。

「ティアナのドレスは?」

「ルイさんが準備しております。数日で完成すると」

「そちらも仕事が早いな」

淡々と交わされる言葉。
だが、その奥にある殿下の緊張を、私は見逃さなかった。

一拍、間を置く。

「……殿下」

「なんだい?」

私は一度、息を整えた。
自分でも意外なほど、言葉を選んでいると感じた。

「ティアナ様と、必ず結婚してください」

殿下が、きょとんと目を瞬かせる。

「まさか、レイにそんなことを言われるとは思わなかったな」

冗談めいた声音。

「それって、側近として……それとも?」

その言葉に被せる。

「私個人としての言葉です」

一拍の沈黙。
殿下は目を丸くした。

「殿下には、あの方しかいません。
 むしろ……あの方以外は、受け付けません」

「レイがそこまで言うのは珍しいな」

殿下は苦笑混じりに肩をすくめた。

「契約が終わったら、解放しろと言い出すかと思っていたよ」

「……最初は、そう思っていました」

正直に答える。

「ですが、考えが変わりました」

一度言葉を選び、静かに続けた。

「私は――あの方に、殿下と並んで歩いてほしいと思ったのです」

殿下が、こちらをまっすぐに見る。

「殿下の本質を知った上で、それでも隣に立とうとする人。
 守られるだけではなく、共に戦おうとする方です」

自然と、口元が緩んだ。

「……優しくて、少し不器用で、可愛らしい方でもある」

殿下は小さく息を吐き、楽しそうに笑った。

「そりゃあ、もちろんそのつもりだよ」

不敵に口角を上げる。

「俺が、逃すと思うかい?」

「……いえ」

私は静かに首を振った。

「殿下が、そう簡単に手放す方ではないことは――
 誰よりも、私がよく知っております」

静かに息を吐いた。

彼女は、肩書きでも噂でもなく。
結果と行動だけを見て、人を評価する。

それは殿下が最も欲し、
そして最も得られなかった評価の仕方だった。

蝶の会のときも、そうだ。

殿下は自らのやり方を一切隠さず、最後まで逃げ道を示した。
まだ引き返せる。無理をする必要はない――と。

それが彼の優しさであることを、
ティアナ様は正しく理解していた。

……口では「好きではない」と言いながら。

殿下の心も、
そして未来も。

あの方の隣にこそあるのだと。

私は、疑いなく――そう確信していた。
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