君を酔わせるまで離さない〜ワンナイトのはずが絶倫すぎる俺様副社長に本気で囲われています〜
 晴菜はグラスを握る手に少し力を込め、込み上げてくる涙を振り払うように瞬きをした。

「あなた、ずいぶん詳しいのね。もしかして造り手側?」

 話題をすり替えるように口の端に笑みを浮かべ、ゆっくりと首を傾げる。

「親の影響でね。物心つく頃から、香りを嗅げばなんの酒かわかる。香りは嘘をつかない」

 彼の口元に浮かんだ微笑みはやけに穏やかで、どこか遠くを見ていた。

「香りは嘘をつかない……面白いこと言いますね」
「褒め言葉として受け取っておく」

 ふっと笑い合う一瞬、胸の奥の重たさが少しだけ和らぐ。彼はそのままグラスを軽く揺らしながら晴菜を見遣った。

「あんた、何から逃げてきたんだ?」

 氷が溶けてグラスの中で小さく鳴る音が、やけに遠くに聞こえる。バーの薄暗い照明が、その音をさらに曖昧なものにしていた。重厚なカウンター席に座る晴菜の隣で、男は再びグラスを揺らす。
 彼は何も言わない。ただ、その目は静かに晴菜を見つめていた。

「男? 仕事? それとも――自分自身?」

 その言葉に、胸の奥がどくんと鳴った。唇を噛みしめ、言葉を探すものの、喉の奥に張り付いて何も出てこない。
 晴菜はただ、無言でグラスを置いた。

「全部……かな」

 晴菜は小さく笑って誤魔化した。康介のこと、裏切られたこと、そして何よりも、その状況から逃げ出すことしかできなかった自分の弱さ――すべてをこの見知らぬ男に話す気にはなれなかった。

「いい逃げ方だと思うぞ」
「……え?」

 彼が落としたのは晴菜にとって意外な言葉だった。低く響く声には、皮肉の色は微塵もない。
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