君を酔わせるまで離さない〜ワンナイトのはずが絶倫すぎる俺様副社長に本気で囲われています〜
 ゆっくりとドアノブに手を伸ばす。その指先が微かに震えていることを自覚した。

「……」
 
 ひとつだけ深呼吸を落とした。晴菜は聞こえないふりをしてくれることを願って、小さく声帯を震わせる。

「……ありがとう」

 声にならないほどの囁き声で落としたその言葉と同時に、そっとドアノブを回す。
 背後で布の擦れるかすかな音がしたけれど、晴菜は振り返らなかった。

 開閉音を最小限に抑えて扉を閉めると、廊下には朝の気配が漂っていた。晴菜はまるで何事もなかったように自分の部屋へと歩いた。
 部屋の中は、チェックインした昨夜のまま。きちんと畳まれたルームウェア、乱れのないシーツ、開きっぱなしの館内案内。
 窓の外は、夜の闇を纏った昨夜とは違い、朝日を迎えようとする清々しい空が広がっていた。

「なにやってんだろ、私」
 
 晴菜は乾いた喉の奥で、小さくため息をついた。
 逃げただけなのに。傷を上書きしてもらっただけなのに。心に空いた穴は塞がらないまま、さらに大きな虚無感が押し寄せている。
 晴菜はまたひとつため息を落とし、バスルームへと向かった。ついさっき身に着けた衣類を脱ぎ捨ててシャワーをひねる。
 首筋を伝う水滴の熱さが、彼の指先の熱っぽさと重なった。瞼を閉じると、喉がひりつく感覚を覚えた。
 忘れたいのに――身体の奥にはまだ彼の気配が残っている。指先で鬱血痕が散らばる鎖骨をなぞるたび、胸の奥が痛んだ。
 シャワーを止め、身支度を整えた晴菜はバスルームを後にする。心の中に巣食うなんとも言えない感覚を持て余したまま、放り投げていたハンドバッグを手に取った。
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