異世界で未婚の母になることを選びましたが、シークレットベイビーではありません


「今度は何してる?」

 背後から聞こえる、聞き慣れた……愛しい声。
 私は振り返らずに、鍋の中を見つめた。

 ──ポーン!

「あ、これ当たり! 破裂種よ!」

 弾けた粒が、鍋の縁を飛び越えて跳ねた。
 私は笑いながら、火を弱める。

「また家畜の餌で何か作ってるのか」

「ポップコーンよ。イシュカが好きそうだと思って」

 イシュカとグロムは、もう前線には出ない。後遺症が残ってしまったから。
 でも、グランツ軍の幹部として、兵の育成に回っている。

 そして、今の領主は──ライガ。
 彼は、あれから1度も私のそばを離れなかった。

「ルシーナがそうやって甘やかすから、2人ともブクブクに太って動きが鈍いぞ」

 私は肩をすくめて笑う。

「借金もなくなったし、兵士も6万いるし暗殺部隊もあるし……そろそろ戦争しましょうか?」

 ゴムをはじめとした事業は、今や歳入と同じだけの利益を生み出している。
 でも、その7割は軍事と貿易投資に費やしたため、5年かけて借金を返し終えた。

 ブレン国とクレーラ国には、輸出を禁じている。
 その分、かの国内の負担は高まっている。

「クレーラ国から行くか?」

「いいえ。両国同時に攻める」

「……前代未聞だぞ」

「ふふふ。──はい」

 私は、ポップコーンをひとつ、ライガの口に放り込んだ。

「イシュカ! おやつできたわよ!」

 その声に、足音がどっと押し寄せる。

「クレーラ国は農業が乏しい。我が国からの輸出規制で、備蓄がもうない。
 少し揺らせば、すぐに片付くはずだ」

 ヴァルクが、いつもの黒外套のまま現れた。
 双剣を背にしたその姿は、5年経っても変わらない。
 彼ら3人も、ずっとグランツ城に居着いている。
 契約金も達成報酬も、未だに受け取ってくれない。
 一応、幹部手当付きの給料は払っているけれど。

「俺も、そう思う」

 ライガが、ポップコーンを噛みながら頷いた。

「クレーラ国王を暗殺して、直後に宣戦布告すれば戦わなくていい」

 イシュカが、もぐもぐと口を動かしながら言った。

「食べるのやめろ、モグモグ」

 グロムが、口いっぱいに頬張りながら突っ込む。

「問題は、だ」
 ヴァルクが、地図の上に指を落とした。

「アルディア王」
 セリアが、翡翠の瞳を細めて言った。
 ライトブラウンの髪を後ろで束ね、弓を背負ったまま、椅子に足をかけている。

 ──そう。問題は、父。

 ブレン国とクレーラ国を制しても、 父王が私の君主就任を認めなければ、手柄はすべて王都に吸い上げられる。

 しかも、アデルとの間に生まれた娘は、王宮に人質として囚われたまま。

 結局、王宮から届いたのは「娘は生きている」という最低限の報告だけだった。

 ──迎えに行きたかった。
 でも、私が王宮に足を踏み入れれば拘束され、どこかに嫁がされる危険がある。
 なんせ戸籍上は、未婚のままだから。
 だから、グランツ領を立て直し、領内を安全にする方が先決だった。

「拙者が直接、殺してこようか?」

 イシュカが、静かに言った。

「……鏡、見ろよ」

 ライガが、呆れたように言った。
 かつては150cm、35kgだったイシュカは、 今では60kg。
 それでも、木苺色の目の奥の鋭さは変わらないが……。

 ちなみに、グロムは120kgから150kgに。
 筋肉と脂肪の境界が曖昧になってきたけれど、彼の戦意も変わらない。

「イシュカとグロムは戦闘に参加しなくても、参謀として従軍はできるわ。
 それに、父王の暗殺は簡単じゃないの。 “大陸最強”とも言われる護衛集団がいる。
 娘に関しては肖像画もないから、拐ってくることもできないし」

 生まれて、すぐに王宮へ送った。
 今、どんな姿なのか?
 私と同じラベンダー色の瞳というくらいしか、特徴がわからない。

「私たち、海賊狩りで名誉賞を辞退したままだろう?」

 虹色の髪と瞳を持つマルセロが、椅子の背に肘をかけて笑った。
 中性的な顔立ちに、どこか浮世離れした雰囲気は相変わらず。
 一人称は私だが、彼は男の子だ。

 我がアルディア国から南ア大陸は、距離としては近いが、間を隔てる海に大量の賊がいて貿易が困難だった。
 南ア大陸で作ったゴム製品を安全に運ぶため、傭兵達が海賊を狩りまくった。

「“挨拶”と言って王宮に上がり、内部を調べてこよう。
 諜報隊を“護衛兵”として同行させれば、自然に入城できる」

「それなら商業部の人間も一緒に行って 取引の話をすれば、滞在が延びても不自然じゃない」

「いいアイディアだ」

 私の発言に、ライガが頷く。

「早速、行ってこよう」

 マルセロが立ち上がった。

「ルシーナの娘を奪還できたら、クレーラ国に宣戦布告しよう」

 セリアの言葉に、全員が頷いた。




 1ヶ月ぶりに戻ってきたヴァルクたちの姿を見た瞬間、私は息を呑んだ。

 ──ボロボロだった。

 黒外套は裂け、金の瞳は血の涙のように赤く濁っていた。
 セリアの弓は折れ、マルセロの虹色の髪は煤にまみれていた。

「なっ……どういう……」

「奪還に失敗したのか?」

 言葉がうまく紡げない私に代わって、ライガが低く問うた。

 ヴァルクは、首を振った。
「王が『ゴム製品の製造方法を吐け』と。
 『知らない』と答えたら……王の護衛兵が、襲いかかってきた」

「諜報隊も、散り散りになり……安否不明だ」
 セリアが、血のついた矢筒を外しながら言った。
 翡翠の瞳が、悔しさに揺れていた。

「なんて……卑怯な」

 私は、拳を握りしめた。
 今度は、私たちの技術まで奪おうとしたのか。

「このままじゃ、宣戦布告どころじゃない。
 王国軍が攻めてくる可能性は?」

「……ある」

 マルセロが、虹色の瞳を伏せて答えた。
 その声は、いつになく低かった。

「……ブレン国とクレーラ国と、不可侵条約を結びましょう」

「そんなもん、いつでも破れる」

 グロムが、腕を組んで唸った。
 150kgの巨体が、床を軋ませる。

「貿易制限を解除すれば、破れないでしょう。
 それから──すぐ、城にいる王宮騎士を拘束して。危険だわ」

 辺境に嫁いだときに“護衛”としてついてきた王宮騎士たち。
 今も城内外に潜んでいる。
 たった百人。けれど、全員が精鋭。
 取り押さえるのは容易ではないが、王の密命を受けているかもしれない。

「外交官が、早馬で2国に向かいました!」

 メイドのフレアが、息を切らして駆け込んできた。

「……間に合うかしら?」

「仮にブレン国とクレーラ国、王国軍が来ても戦えばいいだけだ」

 ライガが、剣の柄に手をかけながら言った。

「暗殺部隊を派遣した。神経質にならなくていい」

 イシュカが、私の肩に手を置く。
 慰めるように。

「──王国軍が挙兵したとの報が入りました!」

 伝令の声が、部屋を切り裂いた。

「やっぱりな……。
 しかし、ヴァルクたちが動けない今、兵を指揮できる人間が少ない」

 ライガの言葉に、私は頷いた。

 5年の間に、将軍格の兵を数人育て役職を与えた。
 けれど、6万の兵を動かすには、まだ足りない。

「……領民を、すべて城下町に避難させて」

 収益の7割を軍事と商業に。2割を借金返済に。
 そして1割を、防御に使った。
 市街地の壁、そして城壁は石でも木でもない。コンクリートと鉄。簡単には、破れない。

「村を捨てるのですか?  せっかく、畑が増えたのに……」

 伝令が、戸惑いの声を上げた。

「林で逃亡囚人をまとめていたのは、父王の“元護衛副隊長”よ。 副隊長クラスで、あれなのよ?」

 全員が、青ざめた。

「すぐに迎撃の準備をしましょう」

 私の言葉に全員が頷いた。




「王国軍は、こちらではなく──南下しています!」

 夜の作戦室に、伝令の声が響いた。
 全員が一斉に顔を上げる。

「工場……工場が狙われてる」

 ヴァルクが、金の瞳を細めて言った。
 黒髪は乱れ、まだ傷の癒えぬ体を椅子に預けながらも、その声には鋭さが戻っていた。

 南ア大陸のゴム工場。
 2万人の従業員のうち、半分は屯田兵。
 私たちの経済の心臓部。

「敵兵の数は?」

「1万。ですが、そのうち1,000が王の護衛隊です」

 私は、即座に立ち上がった。

「出兵するから準備を」

「今から南下したんでは間に合わない」

 ライガが、低く言った。
 ここは北部の街。王都まで3日、そこから南ア大陸まで5日。トータル8日。

 私は、首を振った。

「好機だわ」



 翌朝。
 玄関に立つと、春の空気が頬を撫でた。
 小さな手が、私のマントの裾を引っ張る。

「マンマ、お出かけ?」

「そうよ」

 この5年で、私はライガとの間に2人の子を授かった。
 今、目の前にいるのは、上の3歳の息子。

「あなたのお姉さんを、連れて帰ってくるからね」

「ネンネ?」

「そう。ネンネ」

「そうだ。楽しみに待ってろ」

 ライガが、息子の紺色の頭をくしゃりと撫でた。

「うん!」

 息子が笑う。その笑顔が、胸に刺さる。

「なぜ俺たちを連れていかない?」

 ヴァルクが、外套の裾を引きながら言った。

「怪我してるくせに、何言ってるの」

 私は、金の瞳を見て眉尻を下げた。

「子供たちを頼んだ」

 ライガの言葉に、ヴァルクはしっかり頷いた。



「なんで、そんなに嬉しそうなの?」

 馬車の揺れに合わせて、ライガの腕が私を包む。
 彼の体温が、背中越しにじんわりと伝わってくる。

「ルシーナが、仕事と子供に構ってばかりで、2人の時間が少なかったから」

「有事に不謹慎な」

 やんわりと身を引こうとしたけれど、 彼の腕は更に強く私を抱きしめた。

「王宮まで、3日はかかる。その間、ルシーナを独り占めできる」

「毎晩、独り占めしてるでしょ」

「当たり前だろ。
 ……アデルに帰ってきて欲しいのか?」

「ええっ?!」

 その名前に、思わず声が裏返った。

 ──前辺境伯、アデル。
 彼を拐った賊を追撃したジーク隊は全滅。
 城の消火活動が終わったあと、遺体を引き取りに行ったが、アデルの姿はなかった。

 その後、林で賊のアジトを焼き払い、焦げて身元不明の死体がいくつも見つかった。
 恐らく、その中にいただろう、という結論になった。

 今の辺境伯は、アデルの兄──ライガ。

「心臓に悪い冗談はやめてよ。
 私、アデルのことを愛してたわけじゃないもの。
 変な嫉妬、やめて」

「なら、俺のことは愛してるか?」

「……教えない」

 ライガが、ふっと笑った。

「俺は、ルシーナが思ってるより──ルシーナのこと、愛してる」

 私は言葉を失った。

 ──ならば、何故?
 何故、私が選んだとき、あなたはエリセと駆け落ちしたのか。

 何故、未だにそのことを弁明すらしないのか。

 でも、私は恋人でも妻でもない。
 聞く理由なんて、どこにもない。

 政略として長男カスパルと婚約し、私の生む子が将来辺境伯になるという契約を交わした。
 三男アデルが当主を継ぎ、私はその後見人となって、彼との間に子をつくった。
 ──跡継ぎが必要だったから。

 そして今、私は“次男ライガとの息子の後見人”という名目で、グランツ城にいる。

 ライガが、私にキスを落とす。

「ちょ、襲撃されたら、どうするの?」

「4万も兵を引き連れてきて、誰が歯向かう?」

「……油断すべきじゃないわ」

「疲れるから、闘う時だけ緊張しろ」

 結局、こうして彼は、私の肩と心を解してくる。

 ──彼がいなければ、私はどうなっていたのだろう。
 ライガが私を支え続けた事実だけが、私の確証であった。



 夜の野営地に、焚き火の赤が揺れていた。
 冷たい風が幕を揺らし、兵たちの鎧を撫でていく。
 その音が、まるで不吉な前触れのように耳に残った。

「王国軍が、引き返して来てるそうです」

 伝令の声が響いた瞬間、幕内がざわついた。
 私は喉を鳴らし、地図の上に視線を落とす。
 嫌な予感が、背筋を這い上がってくる。

「問題ない。兵士はグランツ領に2万、工場に1万いる。
 万一、敗走するようなことになっても、すぐ立て直せる」

 ライガが低く言った。
 紺髪をかき上げる仕草が、いつもより少しだけ硬い。

 たった500の負傷した賊を追ったジーク軍1,000が全滅した。
 その後、林に攻め入ったライガの3,000は、3,000の賊に大敗。
 さらに、A級傭兵5人が率いた11,000の軍でさえ2,500の兵を失い、グロムとイシュカは重傷を負った。

 あの賊を率いていたのは、父の元護衛副隊長。
 そして、今こちらに向かっている王国軍のうち1,000は、大陸最強と名高い王の護衛隊──

 4万で攻めても、勝てる保証なんてない。

 グロムとイシュカは連れてきたけれど、2人とも後遺症が残っていて、戦場に立つことはできない。
 今は指揮と参謀として、後方に控えている。

「Sランク傭兵と契約しましょう」

 私は口を開いた。
 誰かが息を呑む音が聞こえた。

「……どこにいるか、わからないのにか」

 ライガの声が低く響く。

「ギルドに予約を入れましょう。“契約金は2倍出す”と」

「っ……! 借金を返し終わったばかりで、そんな余裕はない。戦争中は商品の流通も止まる」

 彼の言葉は正しい。
 S級傭兵の契約金は白金貨1万枚──国家予算の1割。
 公爵か大富豪でなければ、雇えない。

「持参金を投資したビジネスから、充分回収できたから。契約金は持参金で払う。
 報酬分までは……これからの収益による」

 私は、まっすぐにライガを見た。
 彼の紅目が、わずかに揺れた。

 一か八か。でも、もう迷っている時間はない。



 早朝の空気は、まだ冷たく澄んでいてた。けれど、若葉の香りがした。
 私は馬車の荷台に立ち、声を張り上げた。

「みんな! おやつをあげるわ!」

 ざわついていた兵たちが一斉にこちらを向き、歓声が上がる。
 この瞬間だけは、戦の緊張も忘れてくれる。
 私は笑って、続けた。

「その前に、景気づけに"あれ"を飲みましょう」

「ええええええっ!」

 ブーイングが起きたけれど、無視して特製ドリンクを配る。
 スッポン、マカ、高麗人参、ハブ、渡り鳥の胸エキス、西洋ウコギ、そしてウォッカ。
 産後の地獄を乗り越えた、私の命綱。
 効く。確実に。

「飲んだ子にはご褒美に、このフルーツグラノーラをあげるわ」

「なんだ、それ?」

 ライガが、紺眉をひそめて私の手元を覗き込む。

「インスタントオートミールに、ドライフルーツと水飴を混ぜて固めたのよ」

「あきれるほど器用だな」

 彼が試食すると、兵たちが騒ぐ。

「領主様! あれを飲んでからです!」
「そーだ!」

 兵たちが慌てて試食を止めに入る。
 “あれ”とは、もちろん私の特製ドリンクのこと。

 そして──

「ぐえっ」
「おええええ……」

 あちこちで悶絶する声が上がる。
 でも、誰も本気で嫌がってはいない。
 むしろ、これがあると“戦が始まる”と感じるらしい。

「これがなければ、産後に死んでたかもしれない。本当に効くわ」

 私は一気に飲み干した。
 喉が焼けるように熱い。けれど、体の芯が目覚めていく。

「早く出発しましょう! 体が燃えてきました!」
「これを飲むと目が覚めます! 早く行きましょう!」

 兵たちが、笑いながら駆け出していく。
 私はその背中を見送りながら、胸の奥で小さく息をついた。




 行軍、2日目。
 空は曇り、春風が湿っていた。
 進軍の列が長く伸び、馬の蹄が土を叩く音が続いていた。

「王国軍は王宮に戻らず、こちらへ向かっています。野外戦に持ち込む模様です」

 伝令の報告に、私は頷いた。

「王都を戦場にしたら、大貴族たちが猛反発するものね」

「王都では、ゴム製品のおかげで殿下の人気が上がっていますから」

「……暗殺者に気を付けないと」

 私はマントの裾を握りしめた。
 人気があるということは、狙われるということでもある。

「どこで衝突する?」

 ライガが口を挟んだ。

「次の都市あたりです」

「炊き出しをして、士気を上げましょう。奮発した精製小麦の油そばよ」

 兵たちの目が輝き、歓声が上がる。
 兵達の言う通り、我が軍は逃亡する人間が少ない。
 転生チートによる飯テロは、最強である。



 少し進んだ先で「敵が近距離にいる」という報せを受け、私たちは即座に陣を敷いた。
 私は地図を睨みながら、伝令に声をかけた。

「ギルドから連絡は来ないの?」

「まだです」

 短く返された言葉に、胸の奥がざらついた。
 Sランク傭兵の契約が間に合わなければ、この戦は一気に不利になる。
 焦りが喉元までせり上がる。

「焦るな、大丈夫だ。ルシーナが苛立つと、兵の士気が乱れる」

 ライガが、私の肩に手を置いて言った。
 その手の温もりに、私は深く息を吸い込んだ。
 そう、私が崩れてはダメ。

「即席の石窯を作って、ピザを焼きましょう。敵が来るまで、こちらは仕掛けないの」

 余裕を見せれば、敵は罠や裏切りを警戒して動きが鈍る。
 疑心暗鬼にさせるのも、立派な戦術のひとつ。



「そろそろ焼けます!」

 兵の声に頷きながら、私は窯の前に立った。
 ドライイーストがないから、炭酸を混ぜたり試行錯誤を重ねた結果、パン生地はヨーグルトでも膨らむとわかった。
 ただ、時間がかかるから、昨夜のうちに仕込んでおいた。

「では、出しましょうか」

「敵が来たぞー!」

 斥候の叫びが響いた瞬間、空気が一変した。

「くそっ、盗られる前に食べろ! アチチ!」

 食い意地の張った兵士が、熱々のピザを頬張り悶絶する。

「大変、早くこれ飲んで!」

「ぐいっ……ありが──あああああ!」

 私は例のエキスを手に取り、舌を火傷した兵たちに配り始めた。
 スッポン、マカ、高麗人参、ハブ、渡り鳥の胸エキス、西洋ウコギ、ウォッカ──
 私の命を救った、最強の滋養強壮ドリンク。

「くそっ! なんでか、すごく勝てる気がする!」

 兵士の感想に笑いつつ、鼓舞する。

「帰ってくるまでにハンバーガー作っておくから、頑張るのよ!」

「おおおおおお!!」

 兵たちの士気が、炎のように燃え上がる。
 グロムが、笑いながら立ち上がった。

「すごい士気の高さだ。よし、行くか!」

「敵大将は、王太子だそうです!」

 伝令を聞いたイシュカが、気遣わしげに私を見る。

「殺さない方がいい?」

「お兄様が来たのね。それだけ本気なのだわ。
 そうね、骨も残らないくらいズタズタにしてちょうだい。
 大砲用意、敵本陣に向けて撃て」

 収入の2割を、武器開発に注ぎ込んできた。
 その成果を、今ここで出す。
 私たちの砲弾は、敵の本陣まで届く。

「敵が動揺してる。今だ! 敵はたったの1万だ! 囲んで打て!」

 ライガの声が響く。
 だが、王の護衛軍が破竹の勢いで兵をなぎ倒していく。
 さすがは大陸最強の名を持つ部隊。
 でも、こちらにも切り札がある。

 大砲が一瞬止んだ隙を突いて、鳥部隊が上空から飛来した。
 牛乳で作ったプラスチック爆弾を抱え、敵陣に向かって一斉に投下する。

 私は馬車の後部に積んでいた手動式のライフルを手に取った。
 銃床の感触が、手に馴染む。

「護衛隊を狙って! 護衛隊1人につき金貨10枚と、タピオカミルクティーを褒美に出すわ!」

「タピオカミルクティー!!」

 兵たちの目が輝いた。
 この5年で、彼らの味覚は私に完全に掌握されている。

「士気の上げ方がエグい……」

 ライガが呆れたように呟いた。
 私は、つい笑ってしまった。
 しかし、この士気こそが勝利を引き寄せるのだ。



 夜の野営地に、香ばしい匂いが立ちこめていた。
 ハンバーガーとナゲット、ポテトにコーラもどき。
 兵たちは満足げに腹をさすりながら、焚き火の周りで笑い合っていた。
 この戦のために、私はあらゆる食材をかき集めた。
 ここでは芋も茄子も希少で高価だ。けれど、勝つためには惜しくない投資。

「残り敵5,000。我が軍3万です」

 伝令の報告に、私は手を止めた。
 勝利が見えているはずなのに、胸の奥がざわつく。

「5,000に対して1万の犠牲……科学の差があるのに」

「充分だ。勝てる」

 ライガが、いつものように短く言い切った。
 紺髪の下、鋭い紅目が揺らがない。

「敵が撤退しないのが、気になるな。何を隠してる? ……モグモグ」

 イシュカが、ポテトを口に運びながら呟いた。
 木苺色の瞳が、焚き火の奥をじっと見つめている。
 確かに撤退しないのは、おかしい。
 ──明日、何を出してくるつもり?
 不安になっていると、気の抜ける声が響いた。

「ポテトは1人1kgまでだ。そこで止まれ」

 150kgの巨体が、兵の列を押しとどめる。
 忠誠は嬉しいけれど、グロムにかかる食費が1番多い。

 ちなみに私の飯テロ・レシピは、商業地と軍専用。 持ち出しは禁止。
 だからこそ、兵も労働者も人口も集まる。 この5年で、グランツ領の人口は2倍になった。



 翌朝。
 空は晴れ、風が背を押してくれるようだった。
 ライガは馬上で兵たちを見渡し、声を張った。

「必ず勝てる! このまま進むぞ!」

「おおおおおお!」

 兵たちの声が空に響く。
 だが、その熱気はすぐに凍りついた。

 敵の先鋒に現れたのは──アデル・グランツ前辺境伯だった。

 白銀の鎧に身を包み、紺髪を風に揺らしながら、彼は堂々と馬を進めてきた。
 その中性的な美しい顔は、確かに私の知るアデルだった。
 ──けれど、どこか違う。
 目の奥にあった優しさが、冷たい光に変わっていた。

「我こそが真のグランツ辺境伯、アデル。
 長く領地を不在にしていて、済まなかった。大怪我をし、生死の淵をさまよっていた。
 いま復活し、アルディア王国の力を借り、僕を嵌めたライガ・グランツを撃つ。
 そいつは領主になるため、ブレン国とクレーラ国に進攻を促した。
 ──グランツ領民よ、許すな。我に続け!」

 兵たちがざわつく。
 動揺が、列に走る。

「嘘よ! 本物のアデルなら、まず領地に帰ってくるはず!」

 私は馬を進めて、叫んだ。
 けれど、アデルは静かに答えた。

「僕を嵌めたライガが、すでに領主になっていた。みすみす帰れば殺されていた。
 それに……娘が小さくて、置いていけなかった」

「娘が……元気なの? どこに?」

「ちゃんと王宮で、すくすく育っている」

 その言葉に、足元がふらついた。
 ミレスが、すかさず私の腕を支える。
 視界が滲む。
 娘が、ちゃんと育っている──

「妹よ。反逆をやめれば、ゴム製品の権利だけで許してやる。
 娘に会いたいだろう?」

 王太子の声が、冷たく響いた。
 その顔には、勝者の余裕が浮かんでいた。

 ──選べというの?
 娘か、民か。
 心が、引き裂かれそうだ。
 娘に会いたいに、決まっているだろう。

「騙されるな、ルシーナ。ヤツらは"誰と誰の娘"か言ってない。
 本物の君の娘だと言うなら、本人と引き替えだ。連れて来させろ。本物を見るまで耳を貸すな」

 イシュカの声が、私の耳を撃ち抜いた。
 その鋭さに、私はようやく我に返った。
 そうだ、冷静にならなければ。
 私は母である前に、この軍の主だ。

「娘を、ここまで連れてきて!」

 私は叫んだ。
 声が震えていたのは、怒りか、恐怖か、それとも希望か。

「『戦場に、幼子を連れて来い』などと、正気か」

 兄が、金眉をひそめて言った。
 その顔に浮かぶのは、軽蔑と嘲笑。
 私は、怒りを押し殺しながら言葉を重ねた。

「妹が冷遇されて育っても助けず、辺境に捨てるように嫁がせ、2国から責められ助けを求めても、無視したくせに! 今さら兄貴面するつもり? 更には、利益を寄越せ?
 そんなものは、家族でも兄弟でも何でもない! 人のことを非難する暇があるなら、娘を連れてこい!」

「そうだ、ルシーナ。いいぞ!」

 イシュカが、拳を握って叫んだ。
 その声に、兵たちの士気が再び燃え上がるのを感じた。

「……いいだろう。撤退するぞ。
 元妹よ、王宮まで来るがいい。
 ただし、兵は通さない。お前だけ来るんだ」

 元兄の言葉に、私は息を呑んだ。
 娘に会える。けれど、私1人で王宮へ?
 それは──

「甘言に惑わされるな。こちらは“連れてこい”と言ったのに、“撤退する”というのは、罠に引き込む気だ。
 ルシーナ。王宮に死にに行くのなら、グランツ領はどうなる?」

 イシュカの声が、私の胸を突いた。
 そうだ。私がいなくなれば、誰が領を守る?
 誰が、兵を、民を、子どもたちを導く?

「ブレン国とクレーラ国の連合軍が、グランツ領に向けて進軍してきました!」

 伝令の報告が、最後の一撃のように響いた。
 私は、拳を握りしめた。
 娘を想う心が、引き裂かれる。
 けれど、今は──

 私は、主だ。
 この地を守る者だ。

 私は静かに息を吐いた。
 王太子の顔は、勝者の余裕に満ちていた。
 けれど、その薄い仮面の下にあるのは、焦りと虚勢。
 それが、はっきりと見えた。

 まずは、向こうの士気を下げよう。

「王国軍には、此度の戦の大義名分がないわ」

「大義名分ならある。お前のところの傭兵たちが、王を殺害しようとした」

「殺すなら暗殺部隊だけ派遣するわ。わざわざ、ヴァルクたちが行く理由がない。
 謁見の間で丸腰の時に、ゴム製品の製法を問われ、断ったら殺されかけたと聞いている」

「嘘だ。デタラメだ」

「嘘じゃない。ヴァルクが剣を持ってたなら、あんなにボロボロになって帰ってくるはずがない!」

「王の護衛部隊の実力だ」

「傭兵3人と護衛10人仕留め損なう護衛部隊なら、解散した方がいい。役に立たない」

「なんだと!?」

 護衛部隊の怒声が上がる。
 だが、私は一歩も引かない。

「挑発に乗るな!
 ルシーナ殿下、どうか、目を覚ましてください。裏切り者のライガから離れて、家族3人でグランツ領を守っていきましょう」

 アデルの声が、かつての優しさを装って響いた。
 けれど、私はもう騙されない。

「あなたは領主に向いていない。産まれたばかりの子を守るためとはいえ無謀な戦いをし、無駄に兵を死なせ、領地を危険にさらした。
 今さら帰って来られても困るわ。このままどこかで保育士でもするのが、あなたに合っている」

「……それは……しかし、裏切り者のライガ──」

「ライガが裏切った証拠は、ここにない。
 仮にあなたを嵌めたのだとしても、領主として正しく歩んできた5年の実績がある。
 本当にあなたの言うようなことがあったなら、こちらで調査する。
 何より──この軍の総大将は私であって、あなたでもライガでもない。私が守り、建て直し、育てた──私のグランツ領。
 例え領主と言えど、グランツ領に関して私に口答えするなら、首をはねる」

 その瞬間、兵たちの間に熱が走った。
 口々に賛同の声が上がる。

「そうだ! ルシーナ様が来るまで、グランツ領は"地上の地獄"と呼ばれるくらい酷い土地だった!」

「女子供は1人で外に出られないぐらい、治安が悪かった!」

「少ない女を取り合って、毎日喧嘩が起きてた!」

「3軒しかない娼館は、母親より年上の婆さんしかいない上に、軍の上層部が入り浸って、たまにおこぼれ貰うのがやっとだった!」

「寒い中、働いて、高くてまずい飯ばかり食ってた!」

「グランツ領=ルシーナ様だ!」

「そうだそうだ!」

 兵たちの声が、地を揺らすほどに響いた。
 私は馬上で、彼らを見渡した。

「全軍、このまま敵を破り、王宮を目指す。
 グランツ領には、2万の兵とヴァルクがいる。何より、あの城壁は破れないから心配ない。
 ──進もう!」

「おおおおおお!!」

 兵たちの咆哮が、空を裂いた。

「む、娘のことはいいのか?!」

 元兄が、最後の一撃を放つように叫んだ。
 私は、王太子を真っ直ぐに見据えた。

「お前は、次代の王としても、兄としても失格だ! ここで潔く散れ!」

「よし、おいが取ってきてやる!」

「はい?」

 グロムが、巨体を揺らして前に出た。

「片手は使える。アイツは片手で充分だ。
 いくどおおおおおお!」

「おおおおお!」

 兵たちが一斉に駆け出す。
 戦が、始まった。
 私は、銃を手に取り、深く息を吸い込んだ。

 ──この戦、必ず終わらせる。
 私の手で、私の領を守るために。



 夕暮れの空は、血のように赤かった。
 地には無数の屍が転がり、風が吹くたびに鉄と煙の匂いが鼻を刺す。
 私は膝をつき、乾いた地面に手をついた。
 指先が、誰かの血で濡れていた。

「……やられた……」

 ライガが、地に背を預けたまま呟いた。
 その声に、誰も返せなかった。

「我が軍の残りは1万です。やはり、アデル様に刃を向けられない兵が寝返ったり、動揺したのが響きました。
 このまま王宮戦をするには……」

 伝令の報告が、夕闇に沈んでいく。

「一旦、戻ろう」

 イシュカが、静かに言った。
 その木苺色の瞳に、疲労と冷静さが同居していた。

「成果なく戻って、どうする?」

 私は立ち上がり、血のついた手をマントで拭った。
 このまま引けば、すべてを失う。
 それだけは、絶対に許されない。

「国王護衛隊1,000を、ほぼ破りました。傭兵たちが訓練した兵が、強かったからです」

 聖騎士ミレスが、私を慰めるように言った。

「このまま戻れば商品の流通を止められ、また資金難になる。王室は、それを狙ってるのよ」

 そう言って、私は唇を噛んだ。
 勝てなければ、すべてを失う。
 兵も、民も、娘も。

「それより、飯作ってくれないか。腹が減っては戦はできない」

 グロムが、地面に座り込んだまま言った。
 その巨体が、まるで山のように沈んでいる。

「戦は終わったぞ」

 イシュカが、ポツリと返す。

「イシュカ、手はず通りクレーラ国の王を暗殺して」

「了解」

 そのやり取りに、一同が顔を上げた。

「明後日、王宮に向かって進軍するわよ」

「ええっ!?」

 驚きの声が上がる。
 だが、私は構わず続けた。

「周りの領を取って行きましょう。もう王国から独立したも、同然なのだから。近隣領を傘下に入れ、ついでに兵を吸収していくの」

 このままでは、父王が私を“反逆者”として、首に賞金をかける日も遠くない。
 ならば、先に動く。
 王都の周囲を制圧し、包囲する。

「なるほど」

 グロムが、納得したように頷いた。

「南ア大陸からの商品輸送を止めて、増兵を。それから、象兵に大砲を持って来させて」

「承知」

 私の指示を受け、伝令が駆けていく。
 私は、空を見上げた。
 赤い雲が、まるで血の海のように広がっていた。

 ──もう、戻れない。
 ならば、進むしかない。
 この手で、すべてを終わらせるために。





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