社長令嬢の私が恋したのは、清掃員でした

5.友梨の決断

 翌日。

 友梨は、
 オフィスのガラス張りの会議室で、
 秘書の澪と向かい合っていた。

 「高橋。
  昨日話したモデルのエリカちゃん、
  ちょっと調べてもらえる?」

 澪は、一瞬だけ視線を上げ、すぐに頷く。

 「承知しました。
  どのレベルまで調べますか?」

 「……念のため。”裏”まで」 

 それだけで、澪には十分だった。

 数時間後。
 澪は、タブレットを手に、静かに
 友梨のデスクへ戻ってきた。

  「友梨さん。
   やはり、少し問題があります」

  「……やっぱり?」

 澪は画面を操作し、
 いくつかの資料を表示する。

 「最近、反社会的勢力と関係のある人物との
  接触が確認されています。
  直接的な関与は
  今のところグレーですが……
  このまま広告塔として起用を続けるのは、
  危険です」

 友梨は、息をのんだ。
 (もし、あのまま進めていたら……)

 ブランドイメージの失墜。
 スポンサーの撤退。

 最悪の場合、親会社にも影響が及ぶ。

  「……助かった」

 心から、そう思った。
 そして同時に、
 胸の奥に、別の感情が湧き上がる。
 (どうして、あの人は……)

 一ノ瀬。
 あの場で、
 何気ない一言のように口にした“噂”。

 それがなければ、
 自分は気づかなかったかもしれない。

  「高橋」
  「はい」

  「……あの人のこと、
     調べられる?」

 澪は一瞬だけ間を置いた。

  「例の、清掃員の方ですね」

  「うん」

 澪は、ゆっくりと頷く。

 「承知しました。
  ですが……少し時間をください」

 翌日。
 澪は、いつもと変わらない表情で
 報告に来た。

  「……おかしいです」
  「おかしい?」
  「はい。
   一ノ瀬という人物について、
   調査会社に依頼したのですが、
   公的な記録以外、
   最低限の情報しか出てきません」
 
  「それって……」

 「“存在しない”わけではありません。
  ただ、意図的に薄くされている……
  そんな印象です」
 
  「何かのセキュリティ?」

 澪は、少しだけ言葉を選んで続ける。

  「普通の一般人であれば、
   もっと情報があるはずです」

 友梨は、
 無意識に指先を握りしめていた。
 (……何も、出てこない?)

 清掃員。
 ラフな服装。

 それなのに、一流レストランでの所作。
 業界の噂への鋭い感覚。
 そして、
 “何も出てこない”身辺調査。

  「あの人……誰なの?」

 思わず、声に出ていた。
 澪は、静かに首を横に振る。

 「現時点では、わかりません。
   ただ一つ言えるのは――」

 「言えるのは?」

 「“普通ではない”ということです」

 友梨は、椅子に深く腰を下ろした。
 胸の奥が、ざわついて、
 落ち着かない。
 (気になる、なんて言葉じゃ足りない)

 助けられた夜。見たことのないタクシー。
 完璧なテーブルマナー。

 そして、
 ブランドを救った“たった一言”。

 一ノ瀬 。
 その名前が、
 いつの間にか、
 友梨の心の中で、静かに大きくなっていた。
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