社長令嬢の私が恋したのは、清掃員でした
 もう、戻れない。
 でも、この人のそばなら、それでもいいと
 思ってしまった。
 灯りが落ち、夜が、二人を包む。
 友梨は、初めて、自分から一ノ瀬に
 身を預けた。

 最初のキスで、
 もう後戻りできないことは
 分かっていた。
 唇が触れた瞬間、
 胸の奥に
 しまっていた何かが一気に開く。

 離れようとしても、
 引き寄せられる。

 息が絡んで、吐息が漏れる。
 一ノ瀬の腕が、背中に回る。

 抱き寄せられて、
 逃げ場がなくなる。

 それでも、逃げたいとは
 思わなかった。

 重なる体温が、今ここにいる。
 私たちの
 本気そのものみたいで、
 もっと確かめたくなる。

 シーツに背中が触れ、
 視界が大きく揺れた。

 一ノ瀬の影が、
 静かに覆いかぶさる。

 近すぎる距離で、
 息づかいが交わる。

 触れられるたび、
 体が奥から、じわじわ熱くなる。

 考える余裕が、ひとつずつ
 剥がされていく。

 急がないのに、
 確かで、容赦がない。

  「っ……く」

 思わず、声が出そうになって、
 そのたび、唇でそっと塞がれる。

 静かなのに、中は嵐みたいで、
 胸がいっぱいになる。

 指先が、無意識に一ノ瀬の背に回る。
 強く抱き寄せられて、
 体温が深く重なる。

 満ちていく。
 何が、
 どうなっているのか、
 もう分からない。

 ただ、この人に引き寄せられている。
 吐息が、止まらない。

 苦しいのに、
 苦しくない。

 激しくもないのに、
 どうしようもなく深い。

  「あっ……」

 今まで感じたことのない
 波が来て、体がついていけない。

 声を出そうとしても、
 声にならず、
 喉の奥で熱だけが震える。

 視界が白くなって、
 時間の感覚がほどけていく。

 強く、引き寄せられた瞬間、
 全身の力が一気に抜けた。

 吐息が、抑えきれずに
 乱れ、漏れ出る。

 自分のものじゃない
 声に、自分で驚く。

  「……いっ……く」

 意識が、ふわりと遠くなる。

 沈み込むみたいに、
 でも、
 どこか浮いている。

 満ちて、溢れて、甘い
 静かに引いていく。

 気づいたとき、
 一ノ瀬の胸に抱き寄せられていた。
 鼓動が、ゆっくり重なっている。

 額が触れて、息が落ち着く。
 いっまで感じたことのない、
 甘い余韻。

 私は、
 そのまま目を閉じた。
 この夜が、特別な始まりだと、
 もう疑わなかった。
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