社長令嬢の私が恋したのは、清掃員でした
 澪は、
 その日のうちに動いていた。
 (……さすがに、これは放っておけない)

 友梨の指に光っていた指輪。
 名前。
 あまりにも唐突な「結婚」。

 どれもが、
 澪の中の警戒心を刺激していた。

 業務用のノートパソコンを閉じ、
 今度は自分のスマートフォンを手に取る。

 会社の回線。
 業界データベース。
 金融関係者向けの情報サイト。

 澪は、
 “調べる”ことに迷いがなかった。

 秘書として、
 そして何より、
 友梨の味方として。
 (……一ノ瀬 海)

 名前を入力した瞬間――
 画面が切り替わる。

 「……え?」

 思わず、声が漏れた。
 そこにあったのは、
 拍子抜けするほど、はっきりした情報だった。

 会社四季報。
 企業概要。
 ――グローバルホールディングス
 代表取締役社長
 一ノ瀬 海
 ページをスクロールする。
 IT。
 不動産。
 金融。
 海外拠点。
 短い経歴欄には、
 「創業者」「急成長」「若手経営者」と
 いった言葉が並ぶ。
 
 「え!…この人が」

 澪は、
 ゆっくり息を吐いた。

 昨夜、
 清掃員の服装の男。
 ラフな態度。
 雑に見えて、隙のない振る舞い。
 (……なるほど)

 点と点が、
 静かにつながっていく。

 怪しかったわけじゃない。
 ただ、
 “隠していた”だけだ。

 しかも――
 かなり大きなものを。

 澪は、
 画面を閉じた。

 そして、
 友梨のデスクのほうを見る。

 まだ呆然としたまま、
 資料を眺めている横顔。
 (……今は、言わない)

 それが、
 澪の結論だった。

 一ノ瀬 海は、
 少なくとも――
 危険な人物ではない。

 むしろ、
 社会的にも、経済的にも、
 申し分のない“本物”だ。
 (友梨さんは……)

 澪は、小さく微笑んだ。
(ちゃんと、
 自分で選んだんですね)

 今はまだ、
 混乱の中にいるだけ。

 だから――
 余計な情報で、
 心をかき乱す必要はない。

 澪は、
 そっと心の中で決めた。
 (この件は、私が盾になる)

 友梨が、
 自分の気持ちと向き合うまで。

 その間くらいは――
 秘書として。
 友として。

 澪は、
 何事もなかった顔で立ち上がり、
 いつもの仕事に戻っていった。

 ただひとつだけ。
 胸の奥で、
 確信していた。
 (……これは、間違いなく、
  大きな波になる)
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