社長令嬢の私が恋したのは、清掃員でした

8.嵐の始まり

 その日の午後。
 友梨のスマートフォンが、短く震えた。

 画面に表示された名前を見た瞬間、
 胸の奥が、ひやりと冷える。

 「……もしもし」

 『友梨か』

 父・三条 勝の声は、いつもより硬かった。

 『婚約パーティーの日程を決める。
  来週中に空いている日を――』

 友梨は、一度だけ深く息を吸った。

 「お父さん」

 声は、不思議なほど落ち着いていた。

 「私……結婚しました」

 一瞬。
 電話の向こうが、完全に無音になる。

 『……何だと?』

 「入籍、しました」

 『ふざけるな!』

 怒鳴り声が、耳を突く。

 『誰だ! 相手は誰なんだ!』

 『上条くん以外に、
  そんな話は聞いていない!』

 友梨は、視線を落としたまま答える。

 「……あの人です」
 「清掃の仕事をしている人」

 『――は?』

 次の瞬間、
 電話の向こうで、何かが倒れる音がした。

 『そんな、馬鹿な……!』
 『友梨が……清掃員とだと……!?』

 声は怒りを通り越して、震えていた。

 『今すぐ行く。動くな』
 『一歩も、そこを離れるな』

 通話は、一方的に切れた。

 一時間後。
 会社の応接室は、
 異様な空気に包まれていた。

 「相手を呼べ!」

 「今すぐ連れて来い!」

 三条 勝は、机を叩きながら怒鳴っていた。
 顔は真っ赤で、呼吸が荒い。

 「清掃員だと!?
  冗談も大概にしろ!」

 役員たちが慌てて制止に入る。

 「社長、落ち着いてください!」

 「血圧が――」

 秘書が駆け寄り、
 勝の腕を支える。

 「社長、少し横になりましょう!」

 「放せ!」

 「そんな話が、あるか……!」

 言い終わる前に、
 勝の身体がふらりと揺れた。

 「社長!」

 役員と秘書に支えられ、
 勝はそのまま部屋の外へ連れ出されていく。

 応接室に残されたのは、
 重苦しい沈黙だけだった。
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