社長令嬢の私が恋したのは、清掃員でした
  「大丈夫ですか」

 清掃員の男が振り返る。

 友梨は、息が切れて、
 言葉が途切れながら頷いた。

  「はぁ……はい……」

  「すみません。手、汚れてるのに」

 そう言って、男はそっと手を離した。
 その“離し方”が、
 不思議なくらい丁寧で。
 胸の奥の震えが、少しだけ落ちた。

  「……ありがとうございました。
   助かりました」

 「こんな時間に
  女性の一人歩きは危ないから。
  タクシー、拾ってきます。
    ここ、動かないで」

 男はそう言い残し、
 路地の外へ出ていった。


 ——その一方で。

  「この野郎! 待て!」

 酔っぱらいの男は、
 路地を探し回りながら、
 興奮して声を上げていた。

 そして、勢いのまま、
 懐からナイフを覗かせた。

  「出てこい!」

 次の瞬間。
 路地の出口で、大柄な男とぶつかった。

  「……邪魔だ、どけ!」

 ナイフを見せた、その瞬間——
 大柄な男は、
 何事もなかったように足を動かし、
 刃を地面に落とさせ、
 相手の腕をひねり上げた。

  「いってぇぇ!」

  「やめとけ。もう少しで折れるよ。
   ——どうする?」

 その声は静かで、逆に怖い。

 酔っぱらいは顔色を変え、
 転がるように逃げていった。

 大柄な男は、ため息ひとつ。
 そして、暗がりへ目を向ける。

 「……社長。あまり目立つことは」
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