社長令嬢の私が恋したのは、清掃員でした
スマートフォンが震えたのは、
澪と向き合ったまま、
何も手につかずにいたときだった。
画面に表示された名前を見て、
友梨は一瞬、息を止める。
「……一ノ瀬、さん」
通話ボタンを押す指が、わずかに震えた。
『俺だ』
落ち着いた声。
それだけで、胸の奥が、少し緩む。
「……ニュース、見ました」
声が、うまく出ない。
「お父さんが……」
『知ってる』
短く言ってから、続けた。
『もう動いてる』
「……え?」
『知り合いの弁護士を、
すでに向かわせてる』
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
『国内でも、かなり腕の立つ人だ』
淡々とした口調。
『今ごろ、
もう弁護士接見に入ってる』
「……そんな」
胸の奥に溜まっていたものが、
一気に溢れ出した。
「……ありがとうございます」
そう言おうとしたのに、
声にならない。
代わりに、
嗚咽が漏れた。
「……っ、う……」
『友梨』
名前を呼ばれる。
『泣くな』
叱るでもなく、
ただ、静かだった。
「……でも」
涙が止まらない。
「どうして、
こんなことに……」
一拍、間があった。
『お前は、俺の妻だ』
その言葉が、
胸に、まっすぐ落ちてきた。
『当たり前だろ』
迷いのない声。
『守るのは』
その瞬間、
友梨は、完全に泣き崩れた。
「……っ、ありがとう……」
「一ノ瀬さん……」
『すぐに、
勾留の理由を潰す』
声は、冷静だった。
『釈放請求も、
もう準備に入ってる』
「……早すぎませんか」
『遅いくらいだ』
そう言って、
一ノ瀬は言葉を切った。
『今は、
澪のそばにいろ』
『一人になるな』
「……はい」
通話が切れたあとも、
友梨は、しばらくスマートフォンを
握りしめていた。
——泣いていい。
——頼っていい。
そう、初めて許された気がした。
同じ頃。
一ノ瀬の社長室は、
昼間だというのに、
重い空気に包まれていた。
窓際のソファに座っているのは、
国会議員の原田。
政界でも、財界でも
名の通った大物だった。
「いやあ」
穏やかな笑み。
「一ノ瀬くんには、
国家プロジェクトでは
本当に世話になっているね」
「こちらこそ」
一ノ瀬は、デスクの前に立ったまま答える。
必要以上に、馴れ合わない。
「今回の件だが」
原田は、少し声を落とす。
「私に、
何か力添えできることは
ないか?」
一ノ瀬は、即答しなかった。
一瞬だけ、
資料に目を落とす。
「……今は、大丈夫です」
原田が、眉を上げる。
「ほう?」
「正直に言うと」
一ノ瀬は、ゆっくり言った。
「この事件、
少し変なんです」
「変?」
「告発のタイミング」
「捜査の踏み込み方」
「情報の出回り方」
淡々と並べる。
「……裏がある気がします」
原田は、
数秒、黙ったまま一ノ瀬を見つめた。
やがて、
小さく笑う。
「君らしいな」
そして、静かに言った。
「わかった。
今は、君の判断に任せよう」
立ち上がりながら、
一言だけ付け加える。
「だが」
「もし、
本当に“政治の匂い”がしたら」
「遠慮なく、連絡してくれ」
「その時は」
一ノ瀬は、短く頷いた。
「ご相談させて頂きます」
原田が去ったあと、
社長室には、再び静けさが戻った。
一ノ瀬は、
窓の外を見ながら、
小さく息を吐く。
(……やはり、
ただの不祥事じゃない)
そして、
頭に浮かぶのは、
ひとりだけ。
——泣いていた、友梨の声。
「……必ず、連れ戻す」
それは、
社長としてではなく、
夫としての、誓いだった。
澪と向き合ったまま、
何も手につかずにいたときだった。
画面に表示された名前を見て、
友梨は一瞬、息を止める。
「……一ノ瀬、さん」
通話ボタンを押す指が、わずかに震えた。
『俺だ』
落ち着いた声。
それだけで、胸の奥が、少し緩む。
「……ニュース、見ました」
声が、うまく出ない。
「お父さんが……」
『知ってる』
短く言ってから、続けた。
『もう動いてる』
「……え?」
『知り合いの弁護士を、
すでに向かわせてる』
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
『国内でも、かなり腕の立つ人だ』
淡々とした口調。
『今ごろ、
もう弁護士接見に入ってる』
「……そんな」
胸の奥に溜まっていたものが、
一気に溢れ出した。
「……ありがとうございます」
そう言おうとしたのに、
声にならない。
代わりに、
嗚咽が漏れた。
「……っ、う……」
『友梨』
名前を呼ばれる。
『泣くな』
叱るでもなく、
ただ、静かだった。
「……でも」
涙が止まらない。
「どうして、
こんなことに……」
一拍、間があった。
『お前は、俺の妻だ』
その言葉が、
胸に、まっすぐ落ちてきた。
『当たり前だろ』
迷いのない声。
『守るのは』
その瞬間、
友梨は、完全に泣き崩れた。
「……っ、ありがとう……」
「一ノ瀬さん……」
『すぐに、
勾留の理由を潰す』
声は、冷静だった。
『釈放請求も、
もう準備に入ってる』
「……早すぎませんか」
『遅いくらいだ』
そう言って、
一ノ瀬は言葉を切った。
『今は、
澪のそばにいろ』
『一人になるな』
「……はい」
通話が切れたあとも、
友梨は、しばらくスマートフォンを
握りしめていた。
——泣いていい。
——頼っていい。
そう、初めて許された気がした。
同じ頃。
一ノ瀬の社長室は、
昼間だというのに、
重い空気に包まれていた。
窓際のソファに座っているのは、
国会議員の原田。
政界でも、財界でも
名の通った大物だった。
「いやあ」
穏やかな笑み。
「一ノ瀬くんには、
国家プロジェクトでは
本当に世話になっているね」
「こちらこそ」
一ノ瀬は、デスクの前に立ったまま答える。
必要以上に、馴れ合わない。
「今回の件だが」
原田は、少し声を落とす。
「私に、
何か力添えできることは
ないか?」
一ノ瀬は、即答しなかった。
一瞬だけ、
資料に目を落とす。
「……今は、大丈夫です」
原田が、眉を上げる。
「ほう?」
「正直に言うと」
一ノ瀬は、ゆっくり言った。
「この事件、
少し変なんです」
「変?」
「告発のタイミング」
「捜査の踏み込み方」
「情報の出回り方」
淡々と並べる。
「……裏がある気がします」
原田は、
数秒、黙ったまま一ノ瀬を見つめた。
やがて、
小さく笑う。
「君らしいな」
そして、静かに言った。
「わかった。
今は、君の判断に任せよう」
立ち上がりながら、
一言だけ付け加える。
「だが」
「もし、
本当に“政治の匂い”がしたら」
「遠慮なく、連絡してくれ」
「その時は」
一ノ瀬は、短く頷いた。
「ご相談させて頂きます」
原田が去ったあと、
社長室には、再び静けさが戻った。
一ノ瀬は、
窓の外を見ながら、
小さく息を吐く。
(……やはり、
ただの不祥事じゃない)
そして、
頭に浮かぶのは、
ひとりだけ。
——泣いていた、友梨の声。
「……必ず、連れ戻す」
それは、
社長としてではなく、
夫としての、誓いだった。