社長令嬢の私が恋したのは、清掃員でした
数日後。
一ノ瀬から、短い連絡が入った。
『会社に来てほしい。
澪さんも一緒に』
指定された住所を見て、
友梨は、スマートフォンをじっと見つめた。
(……南青山?)
タクシーを降りると、
目の前に、
ガラス張りの大きなビルがそびえていた。
「……すごい」
反射的に、声が漏れる。
「このビルに、
一ノ瀬さんの会社が
入ってるのよね……?」
澪のほうを見ると、
彼女は何も言わずに、
にこりと微笑むだけだった。
(否定しない、よね)
エントランスをくぐった瞬間、
友梨は、足を止めた。
「……え?」
広い一階フロア。
その両側に――人が整列している。
黒や紺のスーツに身を包んだ男女。
年齢も役職も違いそうなのに、
全員、背筋が伸びている。
……多い。
ざっと見ても、五十人近い。
(なに、これ……)
(イベント?
偉い人が来る日?)
戸惑いながら足を踏み出すと、
列の奥に、
見覚えのある屈強な体格が見えた。
「……マサトさん?」
声をかけた、その瞬間。
——整列していた人たちが、
一斉に、深々と頭を下げた。
(……え?)
空気が、ぴんと張りつめる。
誰ひとり、微動だにしない。
マサトは、それを当然のように受け止め、
低く言った。
「本日は、
よくいらっしゃいました」
それだけで、
列が自然に道を空ける。
(……マサトさんに?
なんで?)
歩き出すと、
今度は“すれ違う人”まで変だった。
通りすがりの社員らしき人が、
こちらに気づいた瞬間、
ぴたり、とその場で止まる。
そして——
深々と頭を下げる。
別の方向から来た人も、
同じように足を止め、
深々と。
まるで、
見えない合図が出ているみたいに。
(……何この世界)
友梨は、思わず澪に小声で囁いた。
「ねえ……
なんか、変じゃない?」
澪は、やっぱり答えない。
にこり、と微笑むだけ。
(お願い、説明して)
友梨は、
マサトの横顔をちらりと盗み見た。
(もしかして……)
(マサトさん、
怖がられてる人?)
屈強な体格。
無口。
目が鋭い。
立ってるだけで圧がある。
(うん……
怖がられる理由、ある)
すれ違う人たちが止まるたびに、
友梨の背中に、じわじわ汗が浮いた。
(あれ、私も止まったほうがいいの?)
(え、でも……)
そんなことを考えているうちに、
エレベーターホールへ着く。
マサトが、セキュリティカードを翳し
静かにエレベーターのボタンを押した。
友梨は、タイミングを見て尋ねた。
「……あの」
「一ノ瀬さんは、
どこのフロアにいらっしゃるんですか?」
マサトは、何でもないことのように答える。
「三十階です」
「……え?」
思わず、声が裏返った。
「三十階って……
最上階、ですよね?」
「はい」
即答だった。
(最上階……?)
友梨は、
エレベーターの表示を見上げる。
(このビルに入ってる会社の人が、
最上階……?)
胸の奥が、ざわっとする。
「……すごいですね」
そう言うしかなかった。
横で澪が、
ほんの少しだけ楽しそうに
目を細めている。
(澪、知ってるよね……?)
扉が閉まり、
エレベーターが上昇を始める。
数字が、
ひとつずつ増えていく。
(……なんだか)
(心臓が、落ち着かない)
三十階。
——そこで、
“このビルに入っている会社の社員”だと
思い込んでいる夫が、
待っているとも知らずに。
一ノ瀬から、短い連絡が入った。
『会社に来てほしい。
澪さんも一緒に』
指定された住所を見て、
友梨は、スマートフォンをじっと見つめた。
(……南青山?)
タクシーを降りると、
目の前に、
ガラス張りの大きなビルがそびえていた。
「……すごい」
反射的に、声が漏れる。
「このビルに、
一ノ瀬さんの会社が
入ってるのよね……?」
澪のほうを見ると、
彼女は何も言わずに、
にこりと微笑むだけだった。
(否定しない、よね)
エントランスをくぐった瞬間、
友梨は、足を止めた。
「……え?」
広い一階フロア。
その両側に――人が整列している。
黒や紺のスーツに身を包んだ男女。
年齢も役職も違いそうなのに、
全員、背筋が伸びている。
……多い。
ざっと見ても、五十人近い。
(なに、これ……)
(イベント?
偉い人が来る日?)
戸惑いながら足を踏み出すと、
列の奥に、
見覚えのある屈強な体格が見えた。
「……マサトさん?」
声をかけた、その瞬間。
——整列していた人たちが、
一斉に、深々と頭を下げた。
(……え?)
空気が、ぴんと張りつめる。
誰ひとり、微動だにしない。
マサトは、それを当然のように受け止め、
低く言った。
「本日は、
よくいらっしゃいました」
それだけで、
列が自然に道を空ける。
(……マサトさんに?
なんで?)
歩き出すと、
今度は“すれ違う人”まで変だった。
通りすがりの社員らしき人が、
こちらに気づいた瞬間、
ぴたり、とその場で止まる。
そして——
深々と頭を下げる。
別の方向から来た人も、
同じように足を止め、
深々と。
まるで、
見えない合図が出ているみたいに。
(……何この世界)
友梨は、思わず澪に小声で囁いた。
「ねえ……
なんか、変じゃない?」
澪は、やっぱり答えない。
にこり、と微笑むだけ。
(お願い、説明して)
友梨は、
マサトの横顔をちらりと盗み見た。
(もしかして……)
(マサトさん、
怖がられてる人?)
屈強な体格。
無口。
目が鋭い。
立ってるだけで圧がある。
(うん……
怖がられる理由、ある)
すれ違う人たちが止まるたびに、
友梨の背中に、じわじわ汗が浮いた。
(あれ、私も止まったほうがいいの?)
(え、でも……)
そんなことを考えているうちに、
エレベーターホールへ着く。
マサトが、セキュリティカードを翳し
静かにエレベーターのボタンを押した。
友梨は、タイミングを見て尋ねた。
「……あの」
「一ノ瀬さんは、
どこのフロアにいらっしゃるんですか?」
マサトは、何でもないことのように答える。
「三十階です」
「……え?」
思わず、声が裏返った。
「三十階って……
最上階、ですよね?」
「はい」
即答だった。
(最上階……?)
友梨は、
エレベーターの表示を見上げる。
(このビルに入ってる会社の人が、
最上階……?)
胸の奥が、ざわっとする。
「……すごいですね」
そう言うしかなかった。
横で澪が、
ほんの少しだけ楽しそうに
目を細めている。
(澪、知ってるよね……?)
扉が閉まり、
エレベーターが上昇を始める。
数字が、
ひとつずつ増えていく。
(……なんだか)
(心臓が、落ち着かない)
三十階。
——そこで、
“このビルに入っている会社の社員”だと
思い込んでいる夫が、
待っているとも知らずに。