社長令嬢の私が恋したのは、清掃員でした
 三条 勝は、
 当然のように――無罪だった。

 起訴もされない。
 書類上は、
 最初から“事件ですらなかった”。

 だが。
 世間は、
 そんな理屈では動かない。

 「工場捜索」
 「社長逮捕」

 その言葉だけが、
 独り歩きした。

 取引先は様子見を始め、
 受注は減り、
 スポンサーは距離を置く。

 風評被害は、
 想像以上に深刻だった。

 業績は、
 目に見えて悪化する。

 そして――
 同時に株価が、落ち始めた。

 一度ついた不安は、連鎖する。

 売り。
 売り。
 売り。

 市場は、容赦なかった。

 その裏で、上条直樹は、
 静かに動いていた。

 表に出ることはない。
 名義も分散している。

 だが――
 確実に、三条グループの株を
 買い集めていた。

 まるで、獲物が弱るのを
 待っていたかのように。

 一方。
 一ノ瀬は、自社の資料を眺めながら、
 別の画面に目を走らせていた。
 三条グループの株価。

 「……やっぱり、落ちてるな」

 業績悪化は、予想していた。

 だが、この下がり方は――
 不自然だ。
 SNSに売れとの、投稿が目立つ。

 そこへ、
 マサトが静かに入ってくる。

 「社長」
 「どうだ」
 「……どうやら」

 一拍置いて。

 「上条関連の資金が、三条の株を
  買い占めています」

 一ノ瀬の目が、鋭くなる。
 「……上条、か」

 政略結婚。
 失敗。
 だから――
 この手。

 「……なるほどな」

 一ノ瀬は、
 小さく息を吸い、
 次の瞬間。

 ——バンッ。

 机を、
 強く叩いた。

 「ふざけるな……」

 声は低い。
 だが、
 抑えきれていない怒りが、
 滲んでいる。

 「結婚がだめなら、
  株で会社を奪う、か」

 一ノ瀬は、
 すぐに顔を上げた。

 「マサト」
 「徹底的に調べろ」
 「資金の流れ」
 「名義」
 「裏で繋がっている人間」
 「一つ残らずだ」

 「承知しました」

 マサトは、迷いなく頷く。

 一ノ瀬は、
 その場でスマートフォンを取り出した。

 短い文面。

 ――《澪さん。
  少し、力を貸してほしい》

 送信。
 画面が暗くなる。
 (……もう、
  好き勝手にはさせない)

 これは、
 会社の問題じゃない。

 友梨の父を、
 友梨の居場所を、
 踏みにじった行為だ。

 一ノ瀬の目に、迷いはなかった。

 ——ここから先は、
 “守る側”の仕事だ。

 静かに。
 確実に。
 相手が、
 気づかないうちに。
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