社長令嬢の私が恋したのは、清掃員でした

　その日の夜。

　秘書の澪を、自室に呼んだ。

　　「高橋……お願いがあるの」

　事情を話すと、
　澪は一瞬だけ目を見開いた。

　　「……なるほど。
　　つまり、“その清掃員さん”を探して、
　　恋人のふりをお願いしたい、と」

　　「無理なのは分かってる。
　　　でも……助けてほしい」

　澪は少し考えてから、静かに頷いた。

　　「探してみます」

　数時間後。
　澪は、友梨の前に戻ってきた。

　　「……見つけました」

　　「本当！？」

　　「でも――」

　澪は首を振る。

　　「事情を話しました。
　　　でも、はっきり断られました」

　　「やっぱり……」

　　「それでも」

　澪は、真っ直ぐ友梨を見る。

　「もう一度、
　　友梨さん自身がお願いしてください」

　夜の道。
　いつもの場所。

　一ノ瀬は、変わらず清掃をしていた。

　事情を話すと、
　彼は、困ったように笑った。

　　「……無理ですよ」

　　「一度だけでいいんです」

　　「それでも」

　　「お願いします」

　友梨は、深く頭を下げた。

　　「助けてください。
　　　どうしても、今だけ……」

　沈黙。
　しばらくして、一ノ瀬はため息をついた。

　　「……仕方ないですね」

　顔を上げると、彼は静かに言った。

　　「恋人の“ふり”ですよ。
　　　それ以上は、
　　　何も期待しないでください」

　友梨の胸が、大きく波打つ。

　　「……ありがとうございます」

　この瞬間、
　友梨はまだ知らなかった。

　この“ふり”が、
　自分の人生を
　本当に変えてしまうことを。