極甘CEOと交際0日の仮初結婚 ~一途な彼の、初恋妻になりました~
秋の終わりの、寒々しい景色。十九時半の、夜色の賑わい。
ビルを出たところで、「美味しいものを食べましょう」と千秋くんは言った。私の返事を待たずに、私の手を引いたまま、彼はタクシーを捕まえた。
連れて行かれたのは、ラグジュアリーホテルの最上階にあるフレンチレストランだった。
私の服装は、着古したセーターにくたびれたジャンパー、黒いチノパンとスニーカー。こんな格好じゃ入れない。お金も、とてもじゃないけど払えない――と大いにうろたえたものの、
「大丈夫です」
私の耳元で囁いた千秋くんは、きっちりとスーツを着こなしたスタッフの男性に目で合図をする。そうしたら、レストランのエントランスとは違う場所から案内されて、上質な雰囲気の個室に案内された。
シックな色合いの木目の壁に、暖かみのある間接照明。反対側は、夜の都心を見下ろす展望ガラス。
スタッフの男性に促されてベルベット地の椅子に座ると、途端に、世界のきらめきが変わったように感じた。
落ち着かない気持ちで視線を彷徨わせていると、千秋くんが静かな声で言った。
「誕生日のプレゼントを、贈らせてください」
「……覚えてたの」
彼とは、私が11歳の頃に別れたきりだ。あの頃、彼は9歳。そんな幼い記憶のなかで、私の誕生日を覚えているなんて。
ささやかに戸惑っていると、千秋くんが、ふっ、と切なげに笑った。
「さやちゃんのことを、忘れたことなんてなかったよ」
まばたきとともに繊細にふるえた睫毛が、彼の頬に淡い影を落とした。
私が何も言えないでいると、千秋くんはぱっと声音を明るくした。
「美味しいものを食べましょう。何でも好きなものを頼んでください」
うん――とおずおずと頷いた私の手の甲には、ぐちゃぐちゃなアイシャドウのラメ。さっき、頬の涙を拭ったときの。
乱高下の気流みたいに、私の気持ちは不意に失意へ墜落していく。
にわかに表情を歪める私へ、千秋くんが言った。
「ここなら、人目も気になりませんから」
静かで控えめな気遣いが、私の心に沁みてゆく。
「……ありがとう」
と、短く応じた。いつか手を繋いでふたりで歩いた帰り道の、夕やけの眩さを突然に思い出した。