極甘CEOと交際0日の仮初結婚 ~一途な彼の、初恋妻になりました~

 カラン、とグラスの中で氷が鳴った。
 冷たくて硬質なその音は、鍵を落とした刹那の響きに似ていた。

 送りますよ、と千秋くんが言った。差し出された手のひらに、促されるまま手を預けた。ベルベット地の椅子から立ち上がったら、控えめに指先を握りこまれた。彼にエスコートされるまま、柔らかな絨毯の上を歩く。アルコールの染みた思考、ふわふわの足取り。

 千秋くんからは、上質な香水の匂いがした。落ち着いた香りに惑わされるように、ふっ、と眼差しを上向けた。そうしたら、彼の横顔の向こうに三日月が見えた。

 きらびやかな夜景と裏腹の、どこか儚げで繊細な三日月。

「プロポーズしてくれたね」

 微笑み未満の息遣いで、そう言った。
 え、と千秋くんが息をこぼす。

「三日月の夜に。千秋くんが、引っ越しちゃった前の夜に。私に、プロポーズしてくれた」

 忙しなく叩かれたアパートのドア。
 お母さんと一緒に驚いてドアをあけたら、息を切らした千秋くんが真剣な面持ちで立っていた。

 三日月の夜に跪いて、彼は私にプロポーズした。
 幼かった私は、私よりももっと幼かった彼の愛を本気にしなかった。

「……懐かしいな」

 笑ったはずなのに、息遣いの最後が湿ってしまった。
 それをごまかしたくて、千秋くんの手を解いて、ちゃんとひとりで歩こうとした。

 だけど――、

「好きだよ」

 熱っぽさをはらんだ声と、強引めいた力加減。
 覆い被さるみたいに、背中側から抱きしめられた。はっと息を呑めば、先程感じた香水の匂いが、ずっと鮮やかに私に絡みつく。

「あの頃だけじゃなくて、今も」

 私の身体を抱きしめる腕は、ほんの微かにふるえていた。
 耳元で感じる息遣いも、切実に掠れていた。

「……ありがとう」

 彼の愛を感じながら、私は緩やかに目を閉じる。
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