野いちご源氏物語 四八 早蕨(さわらび)
桜が満開のころになった。
建て直しがすんだ三条邸へお移りになった薫の君は、ご近所の二条の院の桜をご覧になると、宇治の山荘の桜を思い出される。
「愛でる人がいないから、何も気にせず風に散っているのであろうな」
と気がかりでいらっしゃるの。
宇治への思いがこみあげてきて、二条の院の匂宮様のところへ参上なさった。
宮様は内裏よりも二条の院においでになることが多くて、ご夫婦はすっかり新生活になじんでいらっしゃる。
中君へのご愛情の深さに薫の君はお胸をなでおろしながらも、またいつものように悔しくお思いになるのよね。
とはいえ、お心の底では安心なさっているわ。
おふたりでいろいろとお話をなさる。
夕方、宮様の参内の準備がはじまったので、薫の君は退出して中君のお部屋の方へ向かわれた。
寂しい山荘とはまったく違う華やかな離れに、優雅にお暮らしになっている。
御簾の向こうにはかわいらしい女童がいるみたい。
お部屋の奥の中君に、薫の君がいらっしゃったことをお伝えしにいった。
すぐに敷物が差しだされ、山荘のころから知っている女房が会話の仲介役として出てきた。
薫の君は丁寧なご挨拶をおっしゃる。
「ご近所に住んでおりますが、用件もないのにお伺いしては馴れ馴れしいかと存じまして、ご無沙汰してしまいました。すっかりご立派なお妃様になられましたね。私だけ取り残されたような気がいたします。私の屋敷から、こちらのお庭の桜が霞越しに見えるのです。宇治の桜を思い出して切なくなっておりました」
お庭をふり返っておつらそうになさっている。
<姉君が生きていて薫の君とご結婚なさっていたら、都でもご近所同士で住むことができたのだ。気軽に行き来して、季節の花や鳥のことを語り合えただろう。慣れない都での結婚生活に不安はあっても、姉妹で励ましあえばそれなりに満足して過ごせたのに>
山荘におひとりで暮らしていらしたころよりも、今の方がお悲しい。
ご自分だけ華やかなところにお出になったら、よけいに姉君の死が悔しくなってしまわれるの。
薫の君のご親切があったからこそ中君の今のお幸せがあるのだと、女房たちも感謝している。
「他の男性と同じように遠ざけなさってはいけませんよ。かぎりないご親切へのお礼を申し上げなされませ」
とおすすめする。
でも直接お声をお聞かせするのはためらわれて、どうしようか迷っていらっしゃるうちに匂宮様がお越しになった。
参内なさるために美しく着飾って、中君にご挨拶にいらっしゃったのよ。
薫の君にお気づきになると、
「どうして濡れ縁などに客席を用意させなさったのです。ふしぎなほどあなたに親切にしてくださる人なのに。夫としては心配だけれど、あまり冷たくなさっては罰が当たりますよ。縁側にお入れして、物越しに思い出話などなさったらよいでしょう」
とおっしゃる。
それから中君にだけ聞こえるようにそっとつぶやかれた。
「いや、やはり近づけすぎるのもよくないな。下心があるかもしれないから」
中君は、
<また面倒なことをおっしゃる>
とお困りになる。
もちろん中君も薫の君に感謝なさっている。
姉君の代わりのように思い、頼りにしていらっしゃる。
それをお伝えしたいと思われるけれど、きっと宮様が嫉妬なさるもの。
何も言えず苦しくお思いになる。
建て直しがすんだ三条邸へお移りになった薫の君は、ご近所の二条の院の桜をご覧になると、宇治の山荘の桜を思い出される。
「愛でる人がいないから、何も気にせず風に散っているのであろうな」
と気がかりでいらっしゃるの。
宇治への思いがこみあげてきて、二条の院の匂宮様のところへ参上なさった。
宮様は内裏よりも二条の院においでになることが多くて、ご夫婦はすっかり新生活になじんでいらっしゃる。
中君へのご愛情の深さに薫の君はお胸をなでおろしながらも、またいつものように悔しくお思いになるのよね。
とはいえ、お心の底では安心なさっているわ。
おふたりでいろいろとお話をなさる。
夕方、宮様の参内の準備がはじまったので、薫の君は退出して中君のお部屋の方へ向かわれた。
寂しい山荘とはまったく違う華やかな離れに、優雅にお暮らしになっている。
御簾の向こうにはかわいらしい女童がいるみたい。
お部屋の奥の中君に、薫の君がいらっしゃったことをお伝えしにいった。
すぐに敷物が差しだされ、山荘のころから知っている女房が会話の仲介役として出てきた。
薫の君は丁寧なご挨拶をおっしゃる。
「ご近所に住んでおりますが、用件もないのにお伺いしては馴れ馴れしいかと存じまして、ご無沙汰してしまいました。すっかりご立派なお妃様になられましたね。私だけ取り残されたような気がいたします。私の屋敷から、こちらのお庭の桜が霞越しに見えるのです。宇治の桜を思い出して切なくなっておりました」
お庭をふり返っておつらそうになさっている。
<姉君が生きていて薫の君とご結婚なさっていたら、都でもご近所同士で住むことができたのだ。気軽に行き来して、季節の花や鳥のことを語り合えただろう。慣れない都での結婚生活に不安はあっても、姉妹で励ましあえばそれなりに満足して過ごせたのに>
山荘におひとりで暮らしていらしたころよりも、今の方がお悲しい。
ご自分だけ華やかなところにお出になったら、よけいに姉君の死が悔しくなってしまわれるの。
薫の君のご親切があったからこそ中君の今のお幸せがあるのだと、女房たちも感謝している。
「他の男性と同じように遠ざけなさってはいけませんよ。かぎりないご親切へのお礼を申し上げなされませ」
とおすすめする。
でも直接お声をお聞かせするのはためらわれて、どうしようか迷っていらっしゃるうちに匂宮様がお越しになった。
参内なさるために美しく着飾って、中君にご挨拶にいらっしゃったのよ。
薫の君にお気づきになると、
「どうして濡れ縁などに客席を用意させなさったのです。ふしぎなほどあなたに親切にしてくださる人なのに。夫としては心配だけれど、あまり冷たくなさっては罰が当たりますよ。縁側にお入れして、物越しに思い出話などなさったらよいでしょう」
とおっしゃる。
それから中君にだけ聞こえるようにそっとつぶやかれた。
「いや、やはり近づけすぎるのもよくないな。下心があるかもしれないから」
中君は、
<また面倒なことをおっしゃる>
とお困りになる。
もちろん中君も薫の君に感謝なさっている。
姉君の代わりのように思い、頼りにしていらっしゃる。
それをお伝えしたいと思われるけれど、きっと宮様が嫉妬なさるもの。
何も言えず苦しくお思いになる。