野いちご源氏物語 四八 早蕨(さわらび)
内裏(だいり)でのお正月の行事がひと段落したころ、(かおる)(きみ)匂宮(におうのみや)様のところへお上がりになった。
<悲しみを私の胸だけに収めておくのは限界だ。(みや)様に聞いていただきたい>
静かな夕暮れ時だったから、宮様は縁側(えんがわ)でぼんやりとなさっていた。
(そう)をかき鳴らしつつ、お気に入りの白梅(はくばい)の香りを()でていらっしゃる。

薫の君は梅を一枝(ひとえだ)折って宮様に近づかれる。
花の香りと薫の君の香りが合わさるから、とても上品なよい匂いが(ただよ)うの。
宮様はうっとりしながらもご冗談をおっしゃる。
()まし(がお)で恋をする、そなたのような花だな。白い花なのに豊かに香るから油断できない。今も宇治(うじ)のことを気にかけているそうではないか。まさか中君(なかのきみ)を私から(うば)うつもりではないだろうな」

後見(こうけん)役としてご心配申しているだけでございますよ。ひどい言いがかりをおつけになる。宮様のお庭では花を一枝折るにも覚悟がいりますね」
薫の君もご冗談で返して、おふたりでお笑いになる。
心を許しあったご親友同士でいらっしゃるのよね。

しばらくしてふっと真剣なお顔になると、宮様はまず、
「それからどうなのだ。恋人を亡くした悲しみは」
とお尋ねになった。
薫の君は悲しみが収まらないことをお話しなさる。
泣いたり笑ったりしながら大君(おおいぎみ)との恋の経緯(けいい)を打ち明けられるから、涙もろい宮様は感情移入(いにゅう)してひどく泣いてしまわれる。
親身(しんみ)になってくださるのは宮様だけではない。
空の様子もまた、薫の君にご同情するようにぼんやりと(かす)んでいる。

夜になると風が激しく吹きはじめた。
年が明けて春になったとはいえ、まだ冬のように寒い。
(あか)りが消えるたびに、白梅の香りしか分からないような心細い暗闇(くらやみ)になる。
それでもお話はとぎれることなく深夜まで続く。
おふたりとも、お互いにしか話せないことがたくさんおありなのだもの。

薫の君は、実は大君とは夫婦ではなかったと打ち明けなさった。
「いや、まさかそんなことはないだろう。私に隠さなくてもよいではないか」
好色(こうしょく)なご自分の基準で、男女の関係になっていないはずがないと宮様は決めつけていらっしゃる。
驚きながらもお信じになると、薫の君を優しく(なぐさ)めたり(はげ)ましたりなさる。
それに甘えて、薫の君はお胸からあふれるほどの悲しみを少しずつ外へ出していかれる。
ずっしりとしていたお胸がすっかり軽くなった。

宮様は、中君をもうすぐ二条(にじょう)(いん)へお移しすると打ち明けられた。
「それはうれしゅうございます。亡くなった大君のためにも、ぜひ後見(こうけん)役としてお世話させていただきたく存じますが、白梅のような私では信用ならぬとご不快(ふかい)でしょうか」
宮様のお疑いを晴らしておかなければと、かつて大君が、薫の君と中君のご結婚を望まれていたことを正直にお話しになる。
それをきっぱりお断りしたのだから下心などあるはずがないと主張なさった。
さすがに中君とご寝室で一晩過ごされたことは秘密にしておかれたけれど。

もちろん、お心のなかには後悔もおありになる。
大君(おおいぎみ)のお形見(かたみ)として、私が都の屋敷にお迎えしてもよかったのだ>
でも今さらどうにもならないことだもの。
<そんなふうに思っていたら、きっといつかとんでもないことをしでかしてしまう。宮様や中君はもちろん、私にとっても(とく)にはならない。純粋な親切(しんせつ)(しん)だけでお世話申し上げよう。都へお移りになるにしても、それができるのは私しかいないのだから>
と、お引越しの心づもりをしておかれる。
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