月のうさぎと地上の雨男
 渡が笑い声に驚いて振り返ると、よれた服装の兄、(とおる)が笑顔で立っていた。


「兄さん!?」

「渡は騒ぎすぎだ。月詠のお嬢さんが、こんな往来で注目を浴びるものじゃない」

「あ……そうだね。すみません、猿渡さん。従兄はこちらで回収しますので、凪と悠さんをお願いします」

「もちろんでございます」


 猿渡が頷いて、凪と悠を手際よく車に乗せた。


「猿渡! なんでそんなやつの指示に従うんだ!」

「雨水渡様が、この中で最もお嬢様の安全を気にかけていらっしゃるからでございます。わたくしどもはこれにて失礼いたします。……お騒がせして、申し訳ございませんでした」

「こちらこそ、雨水の問題に凪を巻き込んでしまって申し訳ない。凪、気をつけて帰って。また連絡する」

「……うん、またね渡くん」


 月詠の車が走り去った。

 渡が振り返ると、透が佳貴を羽交い締めにしていた。


「なんか静かだと思ったら……兄さん、何してるのさ」

「久しぶりに会った兄に、他に言うことがあるだろうが」

「おかえりなさい、元気そうでよかったよ」

「渡もな! 大きくなってるし、かわいい彼女までできてて兄ちゃん泣きそうだ」


 ニコニコする透の腕の中で、佳貴がもがいていた。


「離せ!!」

「離すわけねえだろ」


 透がスッと真顔になった。


滝草(たきくさ)が本家から車を回してくれてるから、おとなしく俺に抱かれておけ。佳貴も大きくなっていて、兄ちゃんは嬉しいぜ」

「この、筋肉馬鹿!!」

「その筋肉に負けてるやつが吠えるなよ。本家様がどれほどのものか、お手並み見せてくれ」

「兄さん、移動しよう。先生来ちゃう」

「それもそうだ」


 渡が歩き出すと、透は佳貴を肩に担いでついてきた。

 佳貴は決して小柄ではない。身長百七十五センチの渡より少し低いくらいだ。

 しかし、身長百八十センチの透は佳貴を軽々と担いで歩いた。


「……重くないの?」

「動くし柔らかいから運びづらいが、問題ない。渡も試すか?」

「なにを?」

「佳貴をも担ぐのを。コツを掴めばなんてことないさ」

「今は遠慮しておこうかな」


 高校と大学の敷地の境目まで歩いてきた。

 渡があたりを見回すと、遠くから雨水家の車が近づいてくるのが見えた。

 車は透の横に止まり、後部座席から園佳が顔を出した。


「透、ごめんなさいね、愚弟が迷惑をかけて」

「園佳さんのためなら、なんてことねえよ」


 透がふにゃっと微笑んでドアを開けた。

 佳貴を車に押し込むようにしてから、自分も乗り込んだ。


「渡は悪いけど助手席に座ってちょうだい」

「わかった」


 渡が乗り込んでシートベルトを締めると、車は静かに走り出した。


「……なんで姉さんが?」

「母さんがブチ切れてるから」

「誰でもいいなら、僕が月に行ったっていいだろ」

「誰でもいいならね。今は誰でもよくないのよ。そんなこともわからないだなんて」

「いやみったらしい……」


 渡は、従姉弟が言い合う様子をバックミラー越しに見ていた。ふと見ると透が笑顔で園佳を見つめていた。


「兄さん?」

「んー?」

「楽しそうだね」

「うん。久しぶりに園佳さんに会ったけど、相変わらず美人だから嬉しいんだ」

「あなた、どこかの国のお姫様から求婚されているのではなかったの?」


 園佳が呆れたように言った。


「うん。向こうは現国王の直系だけど四女だから好きにしていいって言われてるらしくてさ。金持ちの道楽のつもりで国の緑化事業に出資して、顔見せで視察に行ったら他国の貴族が汗水たらして働いてて一目惚れしたんだってさ」

「他人事だなあ」

「まあ、いきなり王女様に『一目惚れしたから我が国に嫁いでくれ』なんて言われてもね」

「透はかっこいいもの」

「それ、ベッドの中でもう一度言ってくれない?」

「母さんの許可が下りたらね。さ、もう着くわ。全員、神妙になさいよ」


 車が雨水本家の敷地へ入った。

 庭園の先のロータリーで停車すると、佳貴がゴクリと唾を飲んだ。
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