『氷の聖女は推しボイスに溶かされたい〜完璧な私が深夜にスパチャしている相手は、冷徹な鬼部長でした〜』
【第五話】聖女、潜入する。〜最推しの隣は、世界で一番甘い処刑台〜
1. 完璧なプロデューサーの「戦場」
木曜日。
ついに、新製品『サンスターツ・アロマスピーカー』のプレス向け先行発表会、兼「ナイト」初のリアルイベント『Nightfall Breath』の日がやってきた。
会場は、一ノ瀬が「コンセプトに合うから」という理由だけで一晩で貸し切った、都内最高級ホテルの最上階スカイラウンジ。眼下に広がる摩天楼の夜景すら、一ノ瀬の支配下にあるように見える。
「氷室、準備はいいか」
一ノ瀬の声に、凛は背筋を伸ばした。今日の彼女は、いつものリクルートスーツではない。一ノ瀬が「スタッフもブランドの一部だ」と強引に買い与えた、深いボルドーのパンツスーツ。身体のラインを完璧に拾うシルエットと、一ノ瀬から贈られたダイヤモンドのタイピンが、彼女を「氷壁の聖女」から「美しきプロデューサー」へと進化させていた。
「はい。音響チェック、アロマの噴霧プログラム、すべて完璧です。……一ノ瀬部長、今日は『ナイト』としてではなく、部長としてこの製品を世に知らしめる日です。……わかっていますね?」
凛は努めて事務的に言った。だが、その視線は一ノ瀬の首元にくぎ付けだ。今日の彼は、襟元を少し緩めた黒シャツ姿。その喉仏が動くたび、凛の脳内では「尊死」のアラートが鳴り響いている。
「わかっている。……だが、俺の『プロデューサー』。お前、さっきから俺の喉ばかり見てるな。……そんなに、ここで鳴らしてほしいのか?」
一ノ瀬が不敵に微笑み、凛の耳元を指先で掠める。
「……っ! 公私混同禁止です! ほら、マスコミの方々が入場されます!」
凛は真っ赤な顔で一ノ瀬を押し出した。
2. 「仕事」での無双:聖女の逆襲
発表会が始まった。
招待されたのは、辛口で知られるガジェット誌の編集者や、流行に敏感なインフルエンサーたち。当初、彼らの反応は冷ややかだった。「清涼飲料水メーカーが音響? どうせ名前貸しだろう」という空気が会場を支配していた。
だが、凛は動じない。
「皆様、お手元のタブレットをご覧ください。これから、本製品が提供する『多感覚没入』をご体験いただきます」
凛の淀みないプレゼンが始まった。
彼女は、単にスペックを並べることはしない。オタクとして「推しの声を聴く時、心がどう動き、脳がどう救われるか」というメカニズムを、最新の脳科学データと結びつけて説明していく。
「孤独な夜、皆様が必要なのは『音』ではなく『体温』のはずです。本製品は、声の周波数に合わせて、一ミクロン単位で調整されたアロマを放出します。これは、もはやデバイスではありません。……隣にいる『誰か』なのです」
会場の空気が変わった。凛の「完璧な説得力」が、玄人たちの心を次々と撃ち抜いていく。
その時、一ノ瀬がマイクの前に立った。
「……実演を始めよう。聴いてくれ」
一ノ瀬が発した第一声。それは、凛と二人で夜通し練り上げた、完璧なデモンストレーション・ボイスだった。
低く、深く、そして慈しむような声。それと同時に、会場には凛が選んだ「月夜の森」をイメージした清涼感のある香りが広がる。
――静まり返る会場。
数秒の沈黙の後、割れんばかりの拍手が巻き起こった。
「信じられない……。これほどまでに『声』と『香』がシンクロするなんて」
「この企画を通したプロデューサーは誰だ? 完璧すぎる」
賞賛の声が凛に降り注ぐ。凛は一瞬だけ、一ノ瀬と視線を交わした。
一ノ瀬は、誇らしげに、そして「どうだ、俺の女はすごいだろう」と言いたげな、最高に甘い顔で凛を見つめていた。
3. 独占欲の「甘い罠」:潜入捜査の代償
成功の余韻に浸る間もなく、イベントは第二部、インフルエンサー向けのレセプションへ。
そこで事件は起きた。
一ノ瀬の「正体」を薄々察している有名女性配信者たちが、一ノ瀬を囲んで自撮りをせがみ始めたのだ。
「一ノ瀬部長、さっきの声……本当は『ナイト』様ですよね? 連絡先、教えていただけませんか?」
華やかな女性たちに囲まれる一ノ瀬。
凛は仕事としてそれを捌こうとしたが、胸の奥をチリチリとした黒い感情が焼き尽くす。
(……仕事だから。部長は、会社の顔なんだから)
自分に言い聞かせる凛。だが、一ノ瀬は寄ってくる女性たちに目もくれず、人混みの中から、壁際でプロフェッショナルを演じる凛を指名した。
「——悪いが、俺のスケジュール管理は、すべて彼女(・・)が握っている」
一ノ瀬が女性たちの間を割り、凛の元へと歩み寄る。
そして、全マスコミが見ている前で、凛の腰を抱き寄せ、自分の胸元に引き寄せた。
「部長!? 何を……」
「潜入スタッフとしての仕事は終わりだ、凛。……ここからは、俺の『一番のファン』としての仕事だけをしていろ」
一ノ瀬は、凛の首筋に鼻先を寄せ、深く、陶酔するように香りを吸い込んだ。
「お前が他の男(マスコミ)と笑って話している間、俺がどれだけ苛立っていたか……お前のその完璧な頭脳で、解析してみろ」
「…………っ、ひ、ひぃい(爆死三回目)」
凛の耳元で、ナイト様の「嫉妬モード」全開の囁きが響く。
周囲からは悲鳴のような歓声と、シャッター音が鳴り響く。
「独占ガードを命じる。……一晩中、俺の隣から離れるな。……これは業務命令だ」
4. 伏線回収:三年前の「貸し」
一ノ瀬は凛を連れ、最上階の特別室(スイート)へと移動した。
二人きりになった室内。窓の外には、一ノ瀬の財力が成せる業か、二人のプロジェクトの成功を祝うかのような花火が上がっていた。
「……一ノ瀬部長。今日の、あんなの……明日から会社でどう言い訳すれば……」
「言い訳などいらん。……それより、凛。三年前、お前が面接で合格した夜、お前のスマホに届いた『匿名の合格祝い』を覚えているか?」
凛は驚きで目を見開いた。
三年前。内定通知の直後、住所も知らないはずの誰かから、最高級のヘッドフォンが届いたのだ。送り主は不明。「君の声が聴きたくなる日まで、これで待っていて」というカードを添えて。
「……まさか、あれも」
「ああ。あの時から、俺はお前を、この部屋に閉じ込める準備をしていたんだ」
一ノ瀬は、凛の髪を指で解き、夜会巻きから解放された黒髪を愛おしそうに撫でた。
「お前が俺のリスナーになったのは、偶然じゃない。俺がお前を、俺の声で、俺の檻(世界)へと誘い込んだんだ。……観念しろ、凛。お前はもう、俺の声以外じゃ眠れない身体だろう?」
「………………(尊死・再起不能)」
凛は、一ノ瀬の完璧な美貌と、三年前から仕組まれていた執念の深さに、ついに全ての抵抗を放棄した。
完璧なヒロイン・氷室凛。
彼女は、仕事で世界を制し、プライベートでは最愛の推しの腕の中で、最も甘い敗北を喫したのである。
つづく
木曜日。
ついに、新製品『サンスターツ・アロマスピーカー』のプレス向け先行発表会、兼「ナイト」初のリアルイベント『Nightfall Breath』の日がやってきた。
会場は、一ノ瀬が「コンセプトに合うから」という理由だけで一晩で貸し切った、都内最高級ホテルの最上階スカイラウンジ。眼下に広がる摩天楼の夜景すら、一ノ瀬の支配下にあるように見える。
「氷室、準備はいいか」
一ノ瀬の声に、凛は背筋を伸ばした。今日の彼女は、いつものリクルートスーツではない。一ノ瀬が「スタッフもブランドの一部だ」と強引に買い与えた、深いボルドーのパンツスーツ。身体のラインを完璧に拾うシルエットと、一ノ瀬から贈られたダイヤモンドのタイピンが、彼女を「氷壁の聖女」から「美しきプロデューサー」へと進化させていた。
「はい。音響チェック、アロマの噴霧プログラム、すべて完璧です。……一ノ瀬部長、今日は『ナイト』としてではなく、部長としてこの製品を世に知らしめる日です。……わかっていますね?」
凛は努めて事務的に言った。だが、その視線は一ノ瀬の首元にくぎ付けだ。今日の彼は、襟元を少し緩めた黒シャツ姿。その喉仏が動くたび、凛の脳内では「尊死」のアラートが鳴り響いている。
「わかっている。……だが、俺の『プロデューサー』。お前、さっきから俺の喉ばかり見てるな。……そんなに、ここで鳴らしてほしいのか?」
一ノ瀬が不敵に微笑み、凛の耳元を指先で掠める。
「……っ! 公私混同禁止です! ほら、マスコミの方々が入場されます!」
凛は真っ赤な顔で一ノ瀬を押し出した。
2. 「仕事」での無双:聖女の逆襲
発表会が始まった。
招待されたのは、辛口で知られるガジェット誌の編集者や、流行に敏感なインフルエンサーたち。当初、彼らの反応は冷ややかだった。「清涼飲料水メーカーが音響? どうせ名前貸しだろう」という空気が会場を支配していた。
だが、凛は動じない。
「皆様、お手元のタブレットをご覧ください。これから、本製品が提供する『多感覚没入』をご体験いただきます」
凛の淀みないプレゼンが始まった。
彼女は、単にスペックを並べることはしない。オタクとして「推しの声を聴く時、心がどう動き、脳がどう救われるか」というメカニズムを、最新の脳科学データと結びつけて説明していく。
「孤独な夜、皆様が必要なのは『音』ではなく『体温』のはずです。本製品は、声の周波数に合わせて、一ミクロン単位で調整されたアロマを放出します。これは、もはやデバイスではありません。……隣にいる『誰か』なのです」
会場の空気が変わった。凛の「完璧な説得力」が、玄人たちの心を次々と撃ち抜いていく。
その時、一ノ瀬がマイクの前に立った。
「……実演を始めよう。聴いてくれ」
一ノ瀬が発した第一声。それは、凛と二人で夜通し練り上げた、完璧なデモンストレーション・ボイスだった。
低く、深く、そして慈しむような声。それと同時に、会場には凛が選んだ「月夜の森」をイメージした清涼感のある香りが広がる。
――静まり返る会場。
数秒の沈黙の後、割れんばかりの拍手が巻き起こった。
「信じられない……。これほどまでに『声』と『香』がシンクロするなんて」
「この企画を通したプロデューサーは誰だ? 完璧すぎる」
賞賛の声が凛に降り注ぐ。凛は一瞬だけ、一ノ瀬と視線を交わした。
一ノ瀬は、誇らしげに、そして「どうだ、俺の女はすごいだろう」と言いたげな、最高に甘い顔で凛を見つめていた。
3. 独占欲の「甘い罠」:潜入捜査の代償
成功の余韻に浸る間もなく、イベントは第二部、インフルエンサー向けのレセプションへ。
そこで事件は起きた。
一ノ瀬の「正体」を薄々察している有名女性配信者たちが、一ノ瀬を囲んで自撮りをせがみ始めたのだ。
「一ノ瀬部長、さっきの声……本当は『ナイト』様ですよね? 連絡先、教えていただけませんか?」
華やかな女性たちに囲まれる一ノ瀬。
凛は仕事としてそれを捌こうとしたが、胸の奥をチリチリとした黒い感情が焼き尽くす。
(……仕事だから。部長は、会社の顔なんだから)
自分に言い聞かせる凛。だが、一ノ瀬は寄ってくる女性たちに目もくれず、人混みの中から、壁際でプロフェッショナルを演じる凛を指名した。
「——悪いが、俺のスケジュール管理は、すべて彼女(・・)が握っている」
一ノ瀬が女性たちの間を割り、凛の元へと歩み寄る。
そして、全マスコミが見ている前で、凛の腰を抱き寄せ、自分の胸元に引き寄せた。
「部長!? 何を……」
「潜入スタッフとしての仕事は終わりだ、凛。……ここからは、俺の『一番のファン』としての仕事だけをしていろ」
一ノ瀬は、凛の首筋に鼻先を寄せ、深く、陶酔するように香りを吸い込んだ。
「お前が他の男(マスコミ)と笑って話している間、俺がどれだけ苛立っていたか……お前のその完璧な頭脳で、解析してみろ」
「…………っ、ひ、ひぃい(爆死三回目)」
凛の耳元で、ナイト様の「嫉妬モード」全開の囁きが響く。
周囲からは悲鳴のような歓声と、シャッター音が鳴り響く。
「独占ガードを命じる。……一晩中、俺の隣から離れるな。……これは業務命令だ」
4. 伏線回収:三年前の「貸し」
一ノ瀬は凛を連れ、最上階の特別室(スイート)へと移動した。
二人きりになった室内。窓の外には、一ノ瀬の財力が成せる業か、二人のプロジェクトの成功を祝うかのような花火が上がっていた。
「……一ノ瀬部長。今日の、あんなの……明日から会社でどう言い訳すれば……」
「言い訳などいらん。……それより、凛。三年前、お前が面接で合格した夜、お前のスマホに届いた『匿名の合格祝い』を覚えているか?」
凛は驚きで目を見開いた。
三年前。内定通知の直後、住所も知らないはずの誰かから、最高級のヘッドフォンが届いたのだ。送り主は不明。「君の声が聴きたくなる日まで、これで待っていて」というカードを添えて。
「……まさか、あれも」
「ああ。あの時から、俺はお前を、この部屋に閉じ込める準備をしていたんだ」
一ノ瀬は、凛の髪を指で解き、夜会巻きから解放された黒髪を愛おしそうに撫でた。
「お前が俺のリスナーになったのは、偶然じゃない。俺がお前を、俺の声で、俺の檻(世界)へと誘い込んだんだ。……観念しろ、凛。お前はもう、俺の声以外じゃ眠れない身体だろう?」
「………………(尊死・再起不能)」
凛は、一ノ瀬の完璧な美貌と、三年前から仕組まれていた執念の深さに、ついに全ての抵抗を放棄した。
完璧なヒロイン・氷室凛。
彼女は、仕事で世界を制し、プライベートでは最愛の推しの腕の中で、最も甘い敗北を喫したのである。
つづく


