【完結】【応募版】夫に穢された純愛が兄に止めを刺されるまで
◆5 協力
◆◆◆ 5 協力 ◆◆◆
紫織と二人暮らしを始めた。
日曜の午後。狭いキッチンで食器を洗う紫織を、横から眺めている。
緩い三つ編みにした髪が、背の上で揺れている。白いシャツと、くすんだ桃色のスカートの上から薄緑色のエプロンをしている。
ぼうっと見惚れていた。紫織が気付いて「何?」と聞いてくる。「何でもない」と、微笑んで誤魔化す。
「変なの」
そう楽しそうに笑っている彼女を見つめる。
一緒に暮らしている中で、何度も触れようとした。だが、その度に。ためらいが生じ、伸ばした手を下ろす。
オレのほかにも……何人も愛人のいる女性を妻にする。
彼女はうまく隠している。本当は強かな女性で、オレの知らない部分を見せない……つまり純情な「フリ」をしているのだとしても。
凄く綺麗で、穢してはいけないもののように眩しく見える。
苦悩を抱えたまま、日々が過ぎる。結婚式の当日が訪れた。
この日も相変わらずだった。……いや、いつもより酷い。
紫織に触れようとすると震えてしまう。緊張していたのかもしれない。何か手順を間違えて嫌われないだろうかとか、結婚したけど彼女を幸せにできるのだろうかとか……迷いが脳裏を駆け巡る。背に冷たい汗をかいていた。
地元のホテルにある式場での、親族のみの小さな結婚式だった。白を基調とした内装で、窓から明るい光が注いでいる。
誓いのキスをする場面に移る。ヴェールをめくる手が震える。
真っ白なドレスを着たオレの妻は、ほんのりと頬を赤らめていて……壮絶に可憐だった。
それまで、額にキスするつもりだったのだが。
ふと、彼女の兄の視線に気付く。
……気が変わった。
唇に口付けした。
彼女は、もうオレのものだ。絶対に渡さない。
けれど。紫織に接触できたのは、その一度切りだった。
自分で悩むだけでは解決の糸口を見いだせないかもしれないと考え、友達に相談する事にした。
……拓馬には相談できない。あいつは紫織を好きだから。
数人の友人と、何度か会った。
ある日、帰宅した直後に紫織に聞かれる。
「今日も、友達と会ってたの?」
「ああ」
靴を脱ぎながら相槌を打つ。
「るりちゃん?」
るり?
「何で知ってるんだ?」
そこまで、詳しくは伝えてなかった気がする。
一瞬……妻の表情が曇ったように感じた。
「元カノって……言ってたから……」
紫織の様子が変だ。俯いて……具合でも悪いのか?
「先週はルイちゃんに会ってたんだよね? 昨日は奏ちゃん!」
勢いよく顔を上げたと思ったら、詰め寄って来る。驚いていたので、彼女の言動の意図するところに気付けなかった。分からずに聞く。
「あ、ああ。それが、どうかした?」
紫織の目に涙が滲んでいる。
「何で?」
強く問われて言葉に詰まる。紫織との事を相談しているとは言えない。
立ち竦んだ。
「――だけ――て――い」
呟かれた言葉を、よく聞き取れない。オレに背を向け、階段を上って行く。どうしたんだ?
それから暫くして……彼女が下の階に下りて来た。言われた事がある。
「あなたは……私が、ほかの人と……その……そういう関係になっても、いいって言うの?」
…………知ってるよ。君が誰を想っていても、オレは愛しているから大丈夫だ。
自分が無様で滑稽過ぎて、自虐的に笑む。
ずっと、こうして自分を抑えてきた。己をどうにか宥めて、あまり本質について考えないようにしていないと狂いそうだ。
本来なら純愛の末に結ばれて、子や孫にも恵まれる幸せな人生を望んでいたのだ。彼女の本命が自分じゃない、ほかの男かもしれないと想像するだけで……心が壊れてしまいそうだった。
「どうぞ? オレは別に、気にしない」
やっと、それだけを伝えられた。
『本当は嫌なんだ』『ほかの男との関係を切ってくれ』などと言いそうな自分を、必死に押し止める。
紫織は無言で部屋を出て行った。
え? まさかオレ……捨てられるフラグを、自分で立ててたりしてないよな?
不安になり席を立つ。
玄関ドアの開閉音が聞こえてくる。
……今日はクリスマス。まさか。ほかの男の元へ行ったんじゃないよな?
血の気が引く。
「紫織っ!」
外に出てみるが、彼女の姿が見当たらない。焦りが増す。
紫織の行きそうな場所は……。
一箇所、心当たりがあった。首を横に振り、考えを打ち消す。
とにかく、捜さねーと!
スマホで電話を掛ける。すぐに応じてくれそうな友人……オレの元カノでもある、桃井野るりに。
『はあ? 奥さんがいなくなった? 知らないわよ。こちとら子育てで忙しいのよ! え? ギョーザを奢ってくれる? 仕方ないわね、今回だけよっ!』
相変わらず、声がうるさい。スマホを耳から遠ざけつつ通話した。
るりには、紫織を捜すのを手伝ってもらった。紫織の行きそうな場所を彷徨う。
それぞれの捜していた場所に紫織の姿はなく、公園の向かいにあるコンビニで落ち合った。
肩上までの黄みがかった茶色いストレートヘアを揺らして走ってくる。カーキ色のジャンパーとタイトなミニスカート、黒タイツにブーツという格好の女性……るりは、膝に手を置いて息を整えている。
「いないわね。ほかに、心当たりはないの?」
「うっ」
るりの指摘が鋭い。思わず呻いてしまう。
「あるのね? どこ?」
「……彼女の実家」
「はぁ? まず、そこを捜せよ! 何で重要な所を後回しにしてんのよ!」
「すまん。紫織のお兄さんが……何か怖くて」
「私、もう帰るからね!」
「ああ。今までサンキューな」
「……紫織ちゃんも、あんたも。幸せにならないと、許さないから」
言い残して去る、るりの後ろ姿を見送る。
オレが中途半端だったから……過去に、るりを傷付けた事がある。
「分かってる」
紫織を、誰よりも幸せにしたい。
遠くで、救急車のサイレンが響いている。だんだんと近付いて来る。
何かあったのか?
少し気になる。だが……音の鳴っている方は、既に捜し済みの方面なので……反対の道へと走る。
紫織を捜しつつ、お兄さんに電話を掛ける。
繋がらない。
記憶を辿って、自分の愚かさに絶望する。
「最低だな」
中学の頃に戻っている、この状況には……何か意味があるのだろうか。
紫織を幸せにできなかったオレに、もう一度やり直す機会を……誰かが与えてくれたのだろうか。
「うっ……うっう……っ」
込み上げる涙と鼻水を、便器へ垂れ流した。
次の日。登校した少し後で、紫織の休みを知る。
何故か、その事が意識の端に引っ掛かる。
初めは「おかしいな」と思った。彼女が学校を休むのは、珍しい出来事だったから。
今日の朝に送ったメッセージへの返信もない。
気になって電話してみる。電源を切っているのか、繋がらなかった。
次第に増す焦りのような小さな不安が、頭の片隅からオレに働き掛けようとしている如く……予感めいた気配を抱いている。
「そうだ」
思い付いて移動する。黒板に近い最前列の席で本を読んでいる人物を、正面から見下ろす。
「なあ。聞きたい事があるんだけど」
話し掛ける。
俯いて本へ視線を向けていた、そいつ……賢吾が顔を上げる。
右手中指で眼鏡を押し上げ、僅かに睨むような視線を送ってくる。
「読書の邪魔しちまって悪い。早めに知りたい案件なんだ。……玻璃の事で」
彼女の名を出すと、賢吾の肩が一瞬だけ揺れた。
「何ですか?」
苦い物でも食べた時にしそうな顔で聞いてくる。不服そうだが、応じてくれるらしい。
「何だ?」
「どしたの二人ともー?」
「……(シャカシャカシャカシャカ)」
恭四と三弥と仁も、オレと賢吾の周囲へ寄って来る。
オレは決意を固めていた。違和感の正体が何なのか突き止めたかった。こいつらに協力を頼む。
「玻璃が好きだと言っていたゲームについて、知っている事を教えてほしい」
「何故、本人に聞かないんですか?」
賢吾が指摘してくる。自分の内にある不確かな不安を言葉にする。
「今日、あいつ……学校を休んでて。休んでんのは、今日が初めてだと思う。何か……胸騒ぎがする」
賢吾が再び、眼鏡を押さえている。
「それで、何でゲームの事を聞いてくるんです?」
「うっ……!」
尤もな問いに怯む。
紫織の明かしていない事情を、オレが話していいのかとか。紫織の言っていた事を説明して、信じてもらえるのだろうかとか。「オレ……中二病だと思われるんじゃ……?」といった危惧が、胸を過る。
ええいっ! 今は、ためらっている場合じゃねぇ!
「玻璃は、前世でオレの妻だった。タイムリープしたのか転生なのか……オレもよく分かっていないんだが、彼女はオレと違って『特別』な気がしてる。彼女は、この世界は前世でプレイしていたゲームの要素が入っていると言ってたんだ」
四人に、かいつまんで説明した。
四人とも、目を見開いてオレを凝視している。
初めに反応したのは恭四だ。眉間に皺を寄せ、口角を上げた表情で聞いてくる。
「おいおいおい。ゲーム? マジで言ってんの?」
想定内の反応だ。即答える。
「マジだ」
恭四が笑みを消す。前のめりに確認してくる。
「マジかよ……! すげぇ!」
……結構、信じるタイプなんだな。こんな……頗る中二病な案件を鵜呑みにするとか「こいつ大丈夫なのか?」と心配になってくる。オレなら、まず信じねーよ。それとも単に、器のデカい奴なのか?
「なるほど? 興味深いね」
仁が発言する。相変わらず、気怠そうな雰囲気を漂わせている。
奴の首にはヘッドホンが掛かっていて、シャカシャカした音漏れが酷い。
仁は……紫織の前だと、めちゃくちゃ甘い笑顔を振り撒いている癖に。オレらの前では表情を動かすのも疲れるとか思ってそーな顔をしているよな。
「オレでも信じたくないくらいの……突拍子もない話なのに。信じるのか?」
逆にこっちから尋ねる。
めずらしく、仁の表情に笑みらしきものが浮かんでいる。
「ああ。世の中には、不思議な事象もあるからね」
過去に不思議な体験でもしたのだろうか? 神妙な物言いだった。
大きめの溜め息が聞こえて横を見る。
「面白い話だけど」
三弥は前置きの後に伏せていた眼差しを上げ、真っ直ぐに意見をぶつけてくる。
「それ、何の話? ゲームのストーリーをなぞった、中二病の世迷言にしか聞こえないんだけど。作り話だとしても、本当にこの世界が『そう』だとしても。笑えない」
冷たい一瞥を残し自分の席へ戻って行く後ろ姿を、呆然と眺める。三弥の言い分にも納得する部分がある。
「僕も、俄かには信じられないと思っていました」
言われて視線を戻す。
オレと向かい合う位置の席に座り、成り行きを見ていた賢吾の……様子がおかしい。頻りに眼鏡を押し上げている。