時を縫う英雄譚
昼休み。
透は芽吹に声をかけた。
「なぁ、イインチョー」
「なに、限定メロンパン買うとこなんだけど?」
「……佐伯って、誰だっけ」
芽吹の動きが、一瞬だけ止まる。
ほんの一瞬。
気づくかどうかの境界線。
「佐伯?」
首をかしげる仕草は自然だった。
「……同じクラスに、いたっけ?」
その言葉で、確信した。
(――縫われてる)
透の背中を、冷たいものが這う。
芽吹だけじゃない。
周囲の生徒たちも、まるで最初から存在しなかったかのように振る舞っている。
だが。
「……佐伯、いたよ」
ぽつりと、声が落ちた。
教室の隅。
掃除当番表を見ていた女子が、首をかしげながら言う。
「ほら、先週……
プリント、三枚なくした人」
空気が、ぴしりと鳴った。
「……あ」
その女子は、口元を押さえた。
「え、今の……誰?」
自分の言葉に、自分で怯えている。
次の瞬間。
「……あれ?」
彼女は表情を緩めた。
「ごめん、なんでもない」
透は見た。
記憶が“ほどけて、消えた”瞬間を。
放課後。
校舎裏。
「見たな?」
フォールが、壁にもたれていた。
いつもの軽い調子はない。
「消えた生徒だ。
名前は佐伯。三日前までは“存在してた”」
「……黒縫いか」
「たぶんね。
でも、やり口が雑すぎる」
フォールは空を仰ぐ。
「普通は一人消すなら、
周囲の“痕跡”も丁寧に縫う」
「机も、出席簿も、友達の記憶も」
「でも今回は――」
透が、続ける。
「“残ってる”」
「そう」
フォールは頷いた。
「残骸が多すぎる。
……まるで、急いでたみたいに」
透の脳裏に、数字がよぎる。
315%。
(……時間がないのは、どっちだ)
その夜。
透は、誰もいない教室に戻っていた。
例の席に立つ。
針を抜くほどじゃない。
ただ、触れるだけ。
机の縁に、指先を当てた。
――ざわり。
視界の端で、何かが揺れた。
笑い声。
プリントを落とす音。
誰かが「またかよ」と呆れる声。
「……佐伯」
名前を呼んだ瞬間、
空気がきしんだ。
背後。
「それ以上は、ダメだよ」
芽吹の声だった。
振り返ると、彼女は立っていた。
公安の制服ではない。
ただの、委員長の、生徒の一人の顔。
「……ここから先は、
裁く側の仕事になる」
透は、ゆっくりと息を吐いた。
「じゃあ、守る側は?」
芽吹は、少しだけ目を伏せる。
「……もう、守りきれないの」
沈黙。
教室の窓から、夕焼けが差し込む。
その光の中で、
空席だけが、異様に浮かび上がっていた。
――消えたのは、ひとり。
でも。
縫い目は、もう教室全体に走っている。
透は芽吹に声をかけた。
「なぁ、イインチョー」
「なに、限定メロンパン買うとこなんだけど?」
「……佐伯って、誰だっけ」
芽吹の動きが、一瞬だけ止まる。
ほんの一瞬。
気づくかどうかの境界線。
「佐伯?」
首をかしげる仕草は自然だった。
「……同じクラスに、いたっけ?」
その言葉で、確信した。
(――縫われてる)
透の背中を、冷たいものが這う。
芽吹だけじゃない。
周囲の生徒たちも、まるで最初から存在しなかったかのように振る舞っている。
だが。
「……佐伯、いたよ」
ぽつりと、声が落ちた。
教室の隅。
掃除当番表を見ていた女子が、首をかしげながら言う。
「ほら、先週……
プリント、三枚なくした人」
空気が、ぴしりと鳴った。
「……あ」
その女子は、口元を押さえた。
「え、今の……誰?」
自分の言葉に、自分で怯えている。
次の瞬間。
「……あれ?」
彼女は表情を緩めた。
「ごめん、なんでもない」
透は見た。
記憶が“ほどけて、消えた”瞬間を。
放課後。
校舎裏。
「見たな?」
フォールが、壁にもたれていた。
いつもの軽い調子はない。
「消えた生徒だ。
名前は佐伯。三日前までは“存在してた”」
「……黒縫いか」
「たぶんね。
でも、やり口が雑すぎる」
フォールは空を仰ぐ。
「普通は一人消すなら、
周囲の“痕跡”も丁寧に縫う」
「机も、出席簿も、友達の記憶も」
「でも今回は――」
透が、続ける。
「“残ってる”」
「そう」
フォールは頷いた。
「残骸が多すぎる。
……まるで、急いでたみたいに」
透の脳裏に、数字がよぎる。
315%。
(……時間がないのは、どっちだ)
その夜。
透は、誰もいない教室に戻っていた。
例の席に立つ。
針を抜くほどじゃない。
ただ、触れるだけ。
机の縁に、指先を当てた。
――ざわり。
視界の端で、何かが揺れた。
笑い声。
プリントを落とす音。
誰かが「またかよ」と呆れる声。
「……佐伯」
名前を呼んだ瞬間、
空気がきしんだ。
背後。
「それ以上は、ダメだよ」
芽吹の声だった。
振り返ると、彼女は立っていた。
公安の制服ではない。
ただの、委員長の、生徒の一人の顔。
「……ここから先は、
裁く側の仕事になる」
透は、ゆっくりと息を吐いた。
「じゃあ、守る側は?」
芽吹は、少しだけ目を伏せる。
「……もう、守りきれないの」
沈黙。
教室の窓から、夕焼けが差し込む。
その光の中で、
空席だけが、異様に浮かび上がっていた。
――消えたのは、ひとり。
でも。
縫い目は、もう教室全体に走っている。