時を縫う英雄譚
翌日。
透がようやく学校へ顔を出した昼下がり。
帰宅すると、部屋の前に見慣れないスーツ姿の男が立っていた。
「……誰だお前。
宗教の勧誘なら、今そういうの、無理なんだが」
「宗教じゃない、フォール…あー…本名は橘響夜」
「は?」
透の脳が一瞬停止した。
その男――フォールは、書類の束とスーパーの袋を持っている。
しかも、袋からはレトルトカレーとカップ麺が覗いていた。
「公安から正式に、今日から俺は、お前の“兄”として、同居することになったんだよねー。
橘響夜…いや、一ノ瀬響夜?まぁ、よろしく、弟よ」
「はぁ…!?
意味わかんねーし…てか、“兄”って
……お前、教員だったろ?」
「昨日まで、な。今日からは兄だし。法律上も。」
「法律上!?」
透が頭を抱える間に、フォールは勝手に部屋へ上がり込み、カレーを温め始めた。
芽吹が家に来ていた時も、こんな強引な事はなかった。
「おい、勝手に人の鍋使うな!」
「弟の栄養管理も家族の仕事だろ?
それに、ちゃんと中辛だ。お前、辛いの苦手だろ」
その言葉に透は、思わず黙り込んだ。
フォールの横顔はいつも通り鋼の笑顔だが、どこかぎこちない優しさが滲んでいた。
「……まさかお前、わざわざ来たのか?
監視だけなら、リモートとか…教育実習生の設定でいいはずだろ」
「俺の判断だよ。
一人にしておくと、お前また余計なこと考えるだろ?」
「……はぁ?兄貴面すんなよ」
「実際そうなっている」
フォールが真顔で言うもんだから、透は思わず吹き出した。
久々に笑った。そのことに、自分でも驚く。
部屋に広がるカレーの匂い。
その匂いの奥に、かすかに“人の温度”が混じっていた。
──妹を失っても、まだ繋がる誰かがいる。
まだ、灯を救える。
それを支える仲間もいる。
そんな当たり前のことが、今はただ、救いだった。
(兄の俺が挫けてどうする。
…待ってろ、灯。絶対兄ちゃんが助けに行くからな)
フォールは鍋をかき混ぜながら、小さく呟いた。
「……まだ、透は間に合う」
透は黙って、それを聞こえないふりをした。