前世で死に別れた忍者に、現代で溺愛婚を申し込まれました
 仕事を終えた俺は若林と一緒に車に乗り込んだ。
 
「今日の社長、キレッキレでしたね」
 
 若林が眼鏡を直しながら、そんな感想を言う。

「そうか?」
「会議も即決で、予定より一時間も早く帰れています。そんなに初音さんに会いたいんですか?」
 
 真顔で図星を突かれ、俺はわずかに眉根を寄せた。

「カナタのせいだろ。初音を抱きしめたり、食事をしているから」
「愛しちゃってますねえ」
「うるさい。あと下の名前で呼ぶな」
「そのみかんも、初音さんへのお土産ですか?」
 
 若林が口の端を上げて、俺の横にあるみかんの袋を指さした。
 俺はむっとしながら、腕を組む。

「そうだが?」
「ふたりで仲良くみかんを食べるんですね」
「若林、俺を苛立たせて楽しいか?」
「それなりに。普段は人に興味なさそうな社長が熱くなって人間臭くなっていますからね」
 
 飄々と言ってくる若林に鼻を鳴らした。
 
 みかんを買ったのは、今朝、景虎と雅姫の夢のせいだ。

 不器用にみかんを剥いている雅姫を、景虎が微笑ましく眺めている夢だった。
 だから、みかんが食べたくなった。……それだけだ。
 
 家に着いて、ふと時計を見ると、午後十時を回っていた。
 この時間なら初音も起きているだろう。
 彼女は何をしているんだろうか。カナタは家に帰ったはずだから、もしかしてひとりが不安になっているとか――。

「チッ。配慮が足りなかった」
 
 自分の浅はかさに嫌気がさしながら家に入って、コートを脱がずに初音を探す。
 ベッドルームの障子を開くと、ベッドは整ったままで、誰もいなかった。

「初音?」
「あ、お、おかえりなさいませっ!」
 
 焦った声がして右を向くと、腰が抜けて震えている初音がいた。彼女の手には忍者の本がある。

 ――なぜ、その本を?

 そう思いながら首を捻り、大股で彼女に近づいた。みかんが入った袋を床に下ろし、膝を床について彼女を見下ろす。

「……本を読んでいたのか?」
 
 初音は慌てて背筋を伸ばし、正座した。こくこく頷いたあと、困ったように眉を下げた。
 
「勝手をして……申し訳ありません」
「別にいい。好きに読んでくれ。それにしても、なんでその本を……」
 
 疑問を口にすると、彼女の頬が朱色に染まる。大事そうに本を抱きしめて、上目遣いで俺を見上げた。

「忍者が好きで……読みふけってしまいました……」
 
 その答え、初々しい表情が夢で見た雅姫と重なった。
 椿のように瑞々しい唇から零れる声に、意識が囚われていく。
 
「日向様も忍者がお好きなんですか……?」
 
 期待に満ちたあどけない視線を向けられ、ぞわりと甘い電流が腹の奥に走った。抗いがたい思いが心を支配し、初音の肩に触れかけて、ハッとする。

(なんだ、今の……)
 
 一瞬だけ、景虎が俺の体を乗っ取ったみたいだった。
 馬鹿な。初音は姫ではないし、景虎は夢の中の住人だ。

「日向様……?」
 
 初音が強張った俺を見て、申し訳なさそうに背中を丸める。

「ああ、すまない……少し驚きすぎた」
「……聞いてはいけないことでしたか?」
「そんなことはない。忍者は……江戸時代の危機管理みたいなものだ。現代にも通じるものがある」
「まあ、そうだったのですね」
「ああ……危機管理というものなら手当たり次第に読む癖があってな」
「お仕事熱心なのですね」
 
 尊敬の眼差しで見上げ、ころころと笑う初音に、また妙な思いが出てくる。
 まるで俺の中の景虎が暴れているみたいだ。
 
(今すぐ、彼女を抱きしめたい――)
 
 なぜ、初音を前にすると景虎が強くなるのだろうか。
 
「あの……日向様」
 
 手を伸ばしかけたところで、初音が凛とした目を向けてきた。

「両親の位牌をこちらに置いても宜しいでしょうか?」
 
 彼女の視線がベッドサイドのチェストに注がれる。
 意表を突かれて俺も初音の視線を追いかけると静かに俺たちを見守る位牌があった。
 それを見て景虎の思念がすっと抜けていくように感じた。

「ああ……そうだな。ここでいいのか? 使っていない部屋があるんだ。ご両親の部屋にすればいい」
「え……」
「ふたりも俺の家で寛いでもらいたい」
 
 そう提案すると、初音は瞳を潤ませた。

「ありがとう存じます。両親も喜びます」
 
 俺は床に置いたみかんの袋を持ち上げた。

「みかんを買ってきたんだ。ご両親にお供えして、食べるか?」
「いただきたいです。ふたりともみかんが大好きでした」
 
 はにかむ初音に惹き込まれる。そのしぐさ一つ一つに、心が揺らぐ。

 過去の妄執に取り憑かれてしまったのか。それとも初音自身に惹かれているのか。
 
 今日一日で、彼女はずいぶんと感情豊かになった。
 本来の彼女らしさになったのだろう。

「じゃあ、ご両親の部屋を作ろう」
 
 俺が立ち上がると、初音も立ち上がり本棚に本を戻した。そして大切そうに位牌を持ち、俺は風呂場の隣、客間に案内した。初音は嬉しそうに頷き、位牌を置くとみかんを供えた。
 
 手を合わせて、じっと祈り出した。俺も手を合わせた。
 
(……どうぞ、ごゆっくり。初音は俺が守ります)
 
 自然と誓いを口にしていて、そんな自分に驚いた。そう思ってしまう自分に、ああ、そうかと納得する。
 
(俺の一目惚れ、あれは本心だったんだな……)
 
 妙に納得してしまった。

「日向様、ありがとう存じます」
 
 丁寧に礼を言う初音に声をかける。

「先に居間に行っていてくれ。着替えてくる」
「いってらっしゃいませ」

 みかんの袋を受け取り、律儀に礼をする彼女は、まるで妻みたいだった。
 
(ああ、いいな)
 
 素直にそう思って、俺はコートを玄関横のウォークインクローゼットにしまった。

「……初音は可愛すぎだな」
 
 初音の無垢な笑みを思い出し、思わず本音が漏れた。速まる鼓動を感じて、口元が自然と緩んでいた。
 
 ベッドルームに戻り和装に着替える。浴衣に着替えて居間に戻ると、テーブルの上にはみかんが並んでいた。
 キッチンに目を向けると、初音はやかんに火をかけていた。俺に気づいて、嬉しそうに微笑む。

「お茶を飲みますか? 緑茶があるのは見つけたんです」
 
 彼女はいつの間にかキッチンに何があるのか知り尽くしていた。何年も前からここにいるかの如く、俺に自然に言う。それが自然で、違和感がなかった。
 
「頼む。湯呑の場所は分かるか?」
「はい。ここですよね」
 
 弾んだ声で言われ、初音が俺の前に茶を置く。
 
「どうぞ」
「ありがとう」
 
 礼を言うと、初音は頬を紅潮させて俺の隣に座る。
 熱い茶とみかん。なんとも贅沢な時間だと思いながら、みかんを剥いた。
 丸い実を白い筋に沿って半分に割って、口にほおり込む。

(……酸っぱいな。失敗だったか?)

 初音を見ると、皮が剥きづらいのか、猿の剥き方になっている。ちびりちびり懸命に剥く姿が愛らしく、思わず噴き出した。
 俺の声に気づいて、初音が気まずそうに背中を丸める。

「皮と実が、大変くっついてまして」
「剥いてやろうか?」
「い、いいえ。もうちょっとで剥けます」
 
 きれいに実を出した彼女は満足そうに実を両手に乗せた。そしてひと房ずつ丁寧に取り小さい口の中で食む。

「ううんっ。とっても甘いですね」
「そんなに甘いのか? 俺のは酸っぱかった」
「そうなんですか? わたしのを食べますか?」
 
 筋に沿って半分に、さらに半分にして初音はどうぞとみかんを俺に渡す。その時、ふといたずら心が湧いた。初音に顔を近づけ口を開く。

「食べさせてくれ」
「えっ」
「ダメか?」
「ど、……どうぞ」
 
 初音は顔を赤くして指先を震わせながら、俺の唇にみかんの房を近づける。彼女の指が俺の口の中に入り込んだところで、わざと口を閉じた。八重歯が、彼女の指に触れる。

「……っ」
 
 甘噛みされて、彼女はびくんと震えた。

(意外と、敏感なんだな)

 さっと慌てて指を引く彼女は困ったように眉を下げているだけで嫌がるそぶりはない。
 潤んだ瞳から見て羞恥が勝ってそうだ。
 その顔を見た瞬間、ここまでなら許される――そう計算していた。

 もっと、彼女に近づきたい。
 叶うならば――彼女に□□□たい。

 渇望に呑まれたまま、それでも何食わぬ顔で俺はみかんを食べきった。
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