前世で死に別れた忍者に、現代で溺愛婚を申し込まれました
檻の中でも
高校卒業を目前にして父が急死し、母も追うように亡くなった。
わたしの父は地元の名士で、青葉信用組合の取締役だった。
その父が亡くなった途端、叔父の家族が露骨に干渉してくるようになった。
弱りきった母を言いくるめ、叔父はいつのまにか、青葉信用組合の会長の座におさまっていた。気づいた頃にはわたしの後見人となり、父の右腕だった人々はすべて解雇されていた。
わたしは大学へ進学する予定だったが、それも叶わなかった。
「すぐに就職すればいいだろう。その方が亡き兄も喜ぶ」
そしてわたしは、青葉信用組合の契約社員として働き始めた。働いてはいたものの、給料はすべて叔父に管理されていた。
「結婚したら渡す」
そう言われ、抵抗すると頬をはたかれた。
わたしは叔父の指示で出勤させられず、ずっと家のパソコンで顧客名簿を管理していた。スマートフォンは解約され、家の鍵は持たされず、友達と会うことも許されなかった。
叔母は叔父の言いなりで、ただオロオロするばかりだった。
「ごめんなさいね……」と困り果てる姿は、父を亡くして泣いていた母に重なった。
叔母はわたしを叩いたりしなかったけれど、ただ見ているだけの人だった。
そんな環境がひどくなったのは、二歳年上の従妹の一華 (いちか)が、大学中退後、戻ってきてからだ。
一華は通いの家政婦さんが気に入らず、大声で騒いで追い出してしまった。
「アンタがやればいいじゃない」と言い、叔父も「経費削減」と賛同して、わたしが家事をすることになってしまった。
わたしの部屋は一華に奪われ、物置で寝泊まりすることになった。それを叔父に訴えたこともあったが、鼻で笑われた。
「家に置いて、食べていけるだけでもありがたいと思うんだな」
それが叔父の口癖だった。
何度もくじけそうになったけど、景虎と雅姫の夢を見るようになってから、擦り切れそうな心を、なんとか保っていた。夢に出てきた景虎と雅姫の恋、そして雅姫の気高さに慰められた。
それに、自分がしている青葉信用組合の顧客情報に違和感を覚えるようにもなった。叔父がしていた取引には、不正な箇所があったのだ。
どん底から這い上がれないのなら、せめて証拠だけは握っておこう。
わたしは昔から、記号や数字を覚えるのが得意だった。
一度目にしたものは、なかなか忘れない。
(叔父から決定的な証拠を掴んだら、青葉信用組合から追い出す。雅姫のように、叔父の不正を暴きたい……)
青葉信用組合は、地元の人のためのものだ。
私利私欲で使われることが、どうしても許せなかった。
そう自分に言い聞かせて、気づけば、父を亡くしてから五年という月日が流れていた。
その間にずいぶんと証拠も溜まってきた。
あとは証拠を信じてくれる人がいれば――。
今、叔父が不正をしていると声高に叫んだところで、誰も信じてくれない。
父の右腕だった人とは、ひそかに情報交換しているが、地元の議員も叔父の息がかかっていて自治体に行っても無意味だった。
景虎みたいな人がいればいいが、夢みたいな話だ。
わたしは軽く頭を振り、パソコンに集中した。
顧客名簿のデータを確認して、手を止める。
(あれ……?)
二か月の間に新規の取引が多くなっていた。
口座を開設されるお客様としては、異様な数だった。
しかも身分証明書がない。
それを訝しみながら作業をしていると、ふと部屋の扉が乱暴に開かれた。叔父がわたしを睨みつけていた。
「一時間後に、黒川様がくる。もてなす準備をしろ」
その名前を聞いた瞬間、体が硬直した。
五十代の黒川は叔父の上客で、たびたび我が家に来て酒を飲んでいく。
大柄の方で、叔母と一華が晩酌の相手をしていたが「品がない女は嫌いや」と吐き捨て、ふたりを平手で打った。
(顔が腫れてしまって……見ていて痛々しかったわ……)
叔母は黒川の名前を聞くだけで、顔色を変えて口数が減るようになっていた。
そのため叔父は、晩酌の相手をわたしに押し付けた。
黒川の視線を思い出しただけで、指先が冷たくなる。
「返事はどうした!」
「……かしこまりました」
「大事な客なのだからな! いいか。立場をわきまえてしっかり用意をするんだぞ!」
そう言い捨てて、叔父は部屋から出ていった。
(……どうしよう……殴られたくない……黒川の好物を作っておかないと)
わたしは息を殺しながら、台所に向かい料理を始めた。
夜の十時、黒川が来た。わたしが玄関で頭を下げて迎えると、黒川はにたりと口の端を持ち上げ、野太い声を出した。
「おお、初音か。元気しとったか?」
「……黒川様のおかげで」
「そうか。今宵も相手してくれるんやろ?」
頭を下げたわたしを追いかけるように湿っぽい声がして、わたしは小さく震えた。隣にいた叔父が慌てて言う。
「もちろんでございます! ささ、こちらへ」
叔父と黒川が玄関から去ると、ほっと息を吐いた。わたしは急いで台所へ向かい、客間へ料理を運んだ。
盆の上に日本酒とつまみを用意して、客間に入ると黒川が「初音、こっちこいや」と犬を招くように、わたしを呼んだ。
わたしは一礼して、恐々と黒川に近づいた。
膝を床に付けながら、黒川が気に入っている厚揚げの肉豆腐と日本酒をテーブルの上に置く。
「おお。儂の好きなもん、用意してくれたんやな。こっちに座り」
隣に座ると、黒川はわたしの腰に手を回し、自らの体を押し寄せてきた。体が強張ったが、か細く息を吐きだして口元に笑みを浮かべる。今は置き物のように、薄く微笑んでいるのが正解だ。
対面に座る叔父に威勢はなく、蠅のように手をすり合わせていた。
「そいでなあ。青葉、金は入ったんやろうな」
「は、はい。黒川様がご用意した口座すべてに、入金いたしました」
「ご苦労様やったなあ」
(今、なんて……言ったの?)
今日、確認した異様な数の顧客リストが脳裏を過る。
あれは黒川が用意したものだったのだろう。
身分証明書のない名義――架空口座か、誰かの名前を勝手に使っている可能性が高い。
(まさか叔父さん、地域支援金に手を付けたんじゃ……)
わたしが思案している間に、黒川は上機嫌で叔父に言った。
「それでええんや。そうすれば儂らがこの辺りの地域を守ってやるんだからな。もちつもたれつや」
「は、はい……」
不意に黒川の胸ポケットが小さく震えた。黒川は胸ポケットからスマートフォンを取り出して操作した。
誰かにメッセージを打ってるのだろうか。
黒川の横顔を見るふりをして、指の動きを読み解く。
――ひむかいの こうげきは てをゆるめるな。
次の瞬間、黒川の親指が画面の上段に大きく滑り、何かを起動した。指が交差し、複雑なパターンを描く。
画面は見えないが、指が辿った軌跡から、暗証コードを推測できそうだった。
(何度か見たことがあるパターン……)
字列を打つときの黒川は、ただならぬ雰囲気を出す。
大事な暗号かもしれない。
わたしは息を吸うように、その文字列をまるごと記憶した。
わたしの父は地元の名士で、青葉信用組合の取締役だった。
その父が亡くなった途端、叔父の家族が露骨に干渉してくるようになった。
弱りきった母を言いくるめ、叔父はいつのまにか、青葉信用組合の会長の座におさまっていた。気づいた頃にはわたしの後見人となり、父の右腕だった人々はすべて解雇されていた。
わたしは大学へ進学する予定だったが、それも叶わなかった。
「すぐに就職すればいいだろう。その方が亡き兄も喜ぶ」
そしてわたしは、青葉信用組合の契約社員として働き始めた。働いてはいたものの、給料はすべて叔父に管理されていた。
「結婚したら渡す」
そう言われ、抵抗すると頬をはたかれた。
わたしは叔父の指示で出勤させられず、ずっと家のパソコンで顧客名簿を管理していた。スマートフォンは解約され、家の鍵は持たされず、友達と会うことも許されなかった。
叔母は叔父の言いなりで、ただオロオロするばかりだった。
「ごめんなさいね……」と困り果てる姿は、父を亡くして泣いていた母に重なった。
叔母はわたしを叩いたりしなかったけれど、ただ見ているだけの人だった。
そんな環境がひどくなったのは、二歳年上の従妹の一華 (いちか)が、大学中退後、戻ってきてからだ。
一華は通いの家政婦さんが気に入らず、大声で騒いで追い出してしまった。
「アンタがやればいいじゃない」と言い、叔父も「経費削減」と賛同して、わたしが家事をすることになってしまった。
わたしの部屋は一華に奪われ、物置で寝泊まりすることになった。それを叔父に訴えたこともあったが、鼻で笑われた。
「家に置いて、食べていけるだけでもありがたいと思うんだな」
それが叔父の口癖だった。
何度もくじけそうになったけど、景虎と雅姫の夢を見るようになってから、擦り切れそうな心を、なんとか保っていた。夢に出てきた景虎と雅姫の恋、そして雅姫の気高さに慰められた。
それに、自分がしている青葉信用組合の顧客情報に違和感を覚えるようにもなった。叔父がしていた取引には、不正な箇所があったのだ。
どん底から這い上がれないのなら、せめて証拠だけは握っておこう。
わたしは昔から、記号や数字を覚えるのが得意だった。
一度目にしたものは、なかなか忘れない。
(叔父から決定的な証拠を掴んだら、青葉信用組合から追い出す。雅姫のように、叔父の不正を暴きたい……)
青葉信用組合は、地元の人のためのものだ。
私利私欲で使われることが、どうしても許せなかった。
そう自分に言い聞かせて、気づけば、父を亡くしてから五年という月日が流れていた。
その間にずいぶんと証拠も溜まってきた。
あとは証拠を信じてくれる人がいれば――。
今、叔父が不正をしていると声高に叫んだところで、誰も信じてくれない。
父の右腕だった人とは、ひそかに情報交換しているが、地元の議員も叔父の息がかかっていて自治体に行っても無意味だった。
景虎みたいな人がいればいいが、夢みたいな話だ。
わたしは軽く頭を振り、パソコンに集中した。
顧客名簿のデータを確認して、手を止める。
(あれ……?)
二か月の間に新規の取引が多くなっていた。
口座を開設されるお客様としては、異様な数だった。
しかも身分証明書がない。
それを訝しみながら作業をしていると、ふと部屋の扉が乱暴に開かれた。叔父がわたしを睨みつけていた。
「一時間後に、黒川様がくる。もてなす準備をしろ」
その名前を聞いた瞬間、体が硬直した。
五十代の黒川は叔父の上客で、たびたび我が家に来て酒を飲んでいく。
大柄の方で、叔母と一華が晩酌の相手をしていたが「品がない女は嫌いや」と吐き捨て、ふたりを平手で打った。
(顔が腫れてしまって……見ていて痛々しかったわ……)
叔母は黒川の名前を聞くだけで、顔色を変えて口数が減るようになっていた。
そのため叔父は、晩酌の相手をわたしに押し付けた。
黒川の視線を思い出しただけで、指先が冷たくなる。
「返事はどうした!」
「……かしこまりました」
「大事な客なのだからな! いいか。立場をわきまえてしっかり用意をするんだぞ!」
そう言い捨てて、叔父は部屋から出ていった。
(……どうしよう……殴られたくない……黒川の好物を作っておかないと)
わたしは息を殺しながら、台所に向かい料理を始めた。
夜の十時、黒川が来た。わたしが玄関で頭を下げて迎えると、黒川はにたりと口の端を持ち上げ、野太い声を出した。
「おお、初音か。元気しとったか?」
「……黒川様のおかげで」
「そうか。今宵も相手してくれるんやろ?」
頭を下げたわたしを追いかけるように湿っぽい声がして、わたしは小さく震えた。隣にいた叔父が慌てて言う。
「もちろんでございます! ささ、こちらへ」
叔父と黒川が玄関から去ると、ほっと息を吐いた。わたしは急いで台所へ向かい、客間へ料理を運んだ。
盆の上に日本酒とつまみを用意して、客間に入ると黒川が「初音、こっちこいや」と犬を招くように、わたしを呼んだ。
わたしは一礼して、恐々と黒川に近づいた。
膝を床に付けながら、黒川が気に入っている厚揚げの肉豆腐と日本酒をテーブルの上に置く。
「おお。儂の好きなもん、用意してくれたんやな。こっちに座り」
隣に座ると、黒川はわたしの腰に手を回し、自らの体を押し寄せてきた。体が強張ったが、か細く息を吐きだして口元に笑みを浮かべる。今は置き物のように、薄く微笑んでいるのが正解だ。
対面に座る叔父に威勢はなく、蠅のように手をすり合わせていた。
「そいでなあ。青葉、金は入ったんやろうな」
「は、はい。黒川様がご用意した口座すべてに、入金いたしました」
「ご苦労様やったなあ」
(今、なんて……言ったの?)
今日、確認した異様な数の顧客リストが脳裏を過る。
あれは黒川が用意したものだったのだろう。
身分証明書のない名義――架空口座か、誰かの名前を勝手に使っている可能性が高い。
(まさか叔父さん、地域支援金に手を付けたんじゃ……)
わたしが思案している間に、黒川は上機嫌で叔父に言った。
「それでええんや。そうすれば儂らがこの辺りの地域を守ってやるんだからな。もちつもたれつや」
「は、はい……」
不意に黒川の胸ポケットが小さく震えた。黒川は胸ポケットからスマートフォンを取り出して操作した。
誰かにメッセージを打ってるのだろうか。
黒川の横顔を見るふりをして、指の動きを読み解く。
――ひむかいの こうげきは てをゆるめるな。
次の瞬間、黒川の親指が画面の上段に大きく滑り、何かを起動した。指が交差し、複雑なパターンを描く。
画面は見えないが、指が辿った軌跡から、暗証コードを推測できそうだった。
(何度か見たことがあるパターン……)
字列を打つときの黒川は、ただならぬ雰囲気を出す。
大事な暗号かもしれない。
わたしは息を吸うように、その文字列をまるごと記憶した。