前世で死に別れた忍者に、現代で溺愛婚を申し込まれました
 昼食後、ふと日向様が言い出した。
 
「夜は外に食べに行こうか。横浜に行かないか」
 
 わたしは目をぱちぱちとさせて、横浜の街を想像する。

「観覧車があるところですか?」
「まあ、そうだな。赤レンガ倉庫に行こう。食事をしながら夜景を見ようか」
 
 宝石箱のような夜景を思い浮かべて、胸が弾んだ。

「行きたいです!」
「じゃあ、決まりだ。レストランの予約は取ってある。行こう」
 
 わたしは胸を躍らせて「はい」と返事をした。
 出かける準備をするために、自分の部屋に戻った。
 
「あ、そうだ……あのワンピース」
 
 カナちゃんと一緒に買った紺色のワンピースを着ていこう。このドレスを着たら彼の隣に居ても恥ずかしくないだろうから。
 自分で自分に魔法をかけるようにドレスアップする。化粧はカナちゃんが教えてくれてずいぶんと上達したと思う。
 わたしは、前よりも自分の顔が好きになった。
 
「いいかな?」
 
 全身鏡の前に立って、ポーズをとる。浮かれているな、と感じるけど、顔がにやけてしまう。彼にどう見られるのか、ドキドキしながらわたしは居間に戻った。
 
 居間に行くと、グレーのセーターを着た日向様が待っていた。髪は出勤するときと同じく一分の隙もなく後ろになでつけられ、いつもの姿に安心した。

「お待たせいたしました」

 はにかんで言うと、日向様は鳩が豆鉄砲を食ったように目を見開いて、すぐに近づいてくる。わたしのつま先から頭のてっぺんまでをじっくり眺めてから、感嘆のため息を吐いた。

「今日は一段ときれいだな」

 素直な賛辞が、どうしようもなく心地よかった。

「日向様も、いつもと雰囲気が違いますね」

 見惚れながら言うと、とろけるような眼差しが、ふっと消えた。空気が唐突に変わってしまい、目をぱちくりさせる。

「初音……いい加減、俺を様付けするのはやめろ」
「あ……」
「……遠くなった気がする」

 雨に濡れた子犬のように、弱々しい声だった。常に堂々として、余裕の笑みを口元に称えている彼と雰囲気がまったく違う。

(え……本気ですねているの……?)

「そんなに名前を呼ぶのが嫌か?」

 寂しそうに潤んだ瞳。かすれたような声で言われ、わたしは慌てた。

「い、いえ! 嫌がっているとかではありません。……口がまだ慣れなくて」
「嫌ではないんだな」
「え? ええ……」
「しのぶだ」

 形の良い唇がハッキリと自分の名前を告げた。
 
「今、呼んでみろ」

 真摯な顔で言われ――逃げられる気がしなかった。
 ぱくぱくと口を動かし、わたしは恥ずかしさを堪えて、小声で呼んだ。

「しのぶ……さん」
「なんだ、初音」

 すぐに満足そうな優しい声で返され、口を引き結んだ。
 名前を呼んだだけなのに、彼は幸せそうに笑っている。

 (……こんな顔をされたら、うぬぼれてしまう)

 わたしは彼の特別なんだって。
 それを確かめる勇気がないまま、彼は腕時計を見た。

「そろそろ行くか」
 
 自然にわたしに腰に手を添えて、歩くように促す。その手のかたち、位置は慣れたもので、手放したくなかった。

 
 ***

 
 車で横浜まで行き、駐車場から駅まで歩いた。わたしは駅名に目を丸くする。

 YOKOHAMA AIR CABIN。
 そう書かれてあったからだ。
 丸い球体が、夜空を静かに進んでいる。

「あれは何ですか……?」
「ロープウェイだ。空を飛んでいるみたいだぞ。乗りたいか?」

(夜景を飛ぶの⁉ 乗りたいっ)
  
 こくこくと何度もうなずくと、彼は笑って「乗ろう」と言った。チケットを買い並んでドキドキしながら、その瞬間を待つ。

 静かにゴンドラがやってきて、先に彼が入った。その手を取りながら、中に入ると浮遊感がして、足元がぐらついた。

(ほ、本当に浮いているっ)

 彼と並んで座席に腰を下ろすと、ゆっくりとゴンドラが動き出す。

「わ、わ、わあっ!」

 見えた光景は一生、忘れられないものだった。河川の上をゴンドラが飛び、まるで宇宙に来たみたいだ。七色にきらめく観覧車が遠くに見え、過ぎゆくビルはシャンデリアのように輝いている。
 わたしは思わず彼のコートを掴んで叫んだ。

「飛んでいます! ……きれい」
「ははっ。気に入ったか?」
「はい……夢のようです」

 瞬きをしたらもったいないと思った。素敵な瞬間を、一秒でも長く眺めていたい。ドキドキがずっと続いて、あっという間にゲートの入り口が見える。

「……あ、終わっちゃう……」

 名残惜しくて呟くと、彼がわたしの手をつないだ。

「またくればいい。次は昼間にしようか」

 その笑顔が優しくて、心をとろかせたままわたしは微笑んだ。

「はい。また、一緒に来てください……忍さん」

 自然と名前を呼ぶと、彼は目を一瞬だけ見張り、ぐっと顔を近づけた。ともすればキスされそうな距離まで詰められ、不敵に口元を上げる。

「やっと、呼んだな」

 夜景のきらめきをまとい、その声は深く腹に響いた。
 この空気に酔いしれそうだ。
 見つめ合っていると、小さな音を立ててゴンドラが止まった。
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