丘の上の小さな 美容室
「そんなの探さなくても、この間見つけたっていう美容室行けばいいじゃない。深青と同じ名前の美容室」
 閉店間際、同期の千紗がにやにやしながら言ってきた。
 あたしは寝台を片付けたあと、売り上げ計算をしながらため息を吐いた。
 最近、ため息が多すぎる。幸せが逃げる。
「前髪切るためだけに、ちょっと遠いし……」
「前髪ついでにまた癒されに行けばいいじゃないの」
「癒されに、ね」
「ちょっとつついて耳に息でも吹きかければさ、また乗っかってくれるんじゃなーい?」
「ちょっと千紗っ」
 千紗は楽しそうに笑い掃除機をかけ始めたので、あたしもさっさと売り上げ計算を終わらせるため計算機を叩く。
 千紗とは専門学校が一緒で、就職先も同じだった。年数を重ね独り立ちしようか迷っていたとき、千紗が背中を押してくれた。それでも迷っていたあたしに「不安ならついて行ってあげようかー?」と茶化してきたのだがその時のあたしには願ったり叶ったりの言葉だった。一人では不安だったのだ。「ぜひついてきて」と手を握ると、千紗は瞠目し、次の瞬間破顔して「喜んで」と承諾してくれた。
 千紗は親友で頼れる同期だ。
 気が緩むとすぐに何でも話してしまう。
 元カレに振られて美織の美容室に行ったときのことも、先週居酒屋で吐露してしまった。
「あたしとしたことが、こんなことで絆されるなんて」
「あんた、意外とチョロいとこあるよ。振られたあとなんてつけ込む好き満載」
「……そうなの?」
「割とね。でも、今回は自分からお誘いしたんでしょー?タイプだったんだ?」
「タイプ……」
 蘇るのはガタイのいい体だ。首、胸、お腹の筋肉を思い出すだけでほう、と至福のため息が出た。そしてあの低くて甘い声。切れ長の鋭い目。タイプ、というより、どストライクだ。
「えろい顔してるぞー」
「や、すまん。つい」
「付き合っちゃえばいいのに。深青から矢印出るの珍しいでしょ」
「んー。でもフリーかどうかわからないし……」
「彼女いてあんたに手を出したならクズだな」
「まあね。でもそんな感じもしなかったな」
「誘われて向こうも嫌な気がしなかったから手、出してきたんでしょ。しかも気まずそうでもなく予約も入れてくれて別れ際にキス。最高かよー」
 レジ台に上半身を倒れさせ悶える千紗に苦笑した。
「最高だった。あんな男に女がいないはずない。彼女がいてもいなくても遊んでる。あたしもその一人よ」
 倒れ込んだ千紗が顔を上げる。
「わかんないじゃん、そんなの」
「だってキス上手かった」
「もともと上手い人なんじゃないの」
「いや、いーよ。もう。美容師としては確かだし、あたしはお客として通うわよ」
 千紗は不服そうに唇を尖らせながら、アルコールスプレーと布巾を持ってレジ台を拭き、待合室の椅子もテーブルも丁寧に拭いていく。
「ふーん。でも、触られたらさあ。またむらむらすんじゃないのー?」
「しない。してみせない」
「ほー。楽しみだー。なんか賭ける?」
 にや、としながら振り向いた千紗の顔に頬が引きつった。あの男を前に、むらむらしない、なんてできるだろうか。
「賭けない」
 無駄な賭け事はしたくない。
「自信ないんだ」
「ない」
「正直者ー。でもさ、深青はしばらく、そーゆー関係の方がいいかもね」
「そーゆー関係?」 
「せ、ふ、れ。的な」
 せふれ。気兼ねなく体を許し会える存在。そこに恋人としての概念はない。
「付き合ったらさ、また色々面倒じゃない?深青は仕事優先人種だしさ、そのほうがストレスにならなくない?」
「まあ、確かに」
 頷くと、買い出しから戻ってきて途中から聞いていた凜がうひゃーと、悲鳴をあげた。
「ええー深青さん爛れてるー」
 振り向くと、両手にエコバックを持った凛が頬を染めながらあたしを見てにやついていた。
 あたしはお帰り、と言いエコバックを受け取った。
「凛。いつからいたの」
「えへ。キスのくだりあたりから、です」
 かわいこぶって小首を傾げる凛に、あたしは口止めする。
「他に言いふらさないでね」
 凜は、んー、と悩むふりをしてにやにやと頬をゆるませる。
「深青さーん。お腹空きましたー」
 わざとらしくお腹を抑えて眉を八の字にする凜に苦笑し、あたしは凜を連れて千紗といつもの居酒屋へと行くことを決めた。
 
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