丘の上の小さな 美容室

嫉妬とVネック


 街から外れた場所にある美容室MIO。
 小丘の上、くねくねと曲がった道を登った先にある平屋の前には手書きの看板。
 一月前のこの日の夕方。失恋したあたしはここに辿り着き、髪も心も体も綺麗にしてもらった。
 失恋の清算。
 元カレの上書き。
 今思うと、とても、すごく、恥ずかしいことをしてしまった。
 冷静になればなるほど今日が来なければいいと思い、しかし髪は伸びるし痛むし、予約したんだから行かないと、と重い腰を上げなんとかここまでやってきた。
 木のドアの丸いドアノブに手を掛けた。
 よし、入るぞ。
 今日は間違いがないように、しっかりせねば。
 ドアを開け、一歩踏み出す。
 が、しかし。

「……」
「……」
「……っ、深青」

 あたしはそっとドアを閉めた。パタン、という音が今見た光景とあたしを遮断する。

 一瞬フリーズしたが、すぐに納得だ。
 そうかそうか。
 そうよね。
 あんなガタイが良くて美丈夫でキスが上手い男前に女がいないわけがない。
 女慣れしていない感じも初心で可愛い。
 ふっ。完璧じゃないの。
 男前なくせに可愛いのギャップも兼ねそろえているなんて、そんな物件埋まってないわけがない。
 
 ドアを開けた瞬間、視界に入ってきたのは抱き合う男女。一人は美織。もう一人は多分客。美織に抱きつき背伸びをし、キスをするところだった黒髪ロングヘアの若い女はあたしを見てきょとんとしていた。
 それとは打って変わって美織は慌てて若い女を引き剥がしていたけれど。

「……そっか。あたしだけじゃないのか」
 そりゃそうだ。
 セフレなんて何人いてもいいんだから、文句なんて言えないわ。
 今あたし以外にセフレがいることを知って寂しくなってしまう資格もない。
 美織がだれとキスをしようが、テーブルで致そうが、物足りないと言って寝室に連れ込もうが何も言えない。
 苦い珈琲も、もそもそしたクッキーも、あの、口説き文句だってあたしだけのものじゃないんだ。
「そうかそうか。いやいや、そうよね」
 切り替えなくちゃ。
 まだ切り替えられるほどの想いでよかった。
 そもそもセフレでいいって思っていたじゃないの。
 あたしだけじゃないからってそれがなんだ。
 そんなの美織の勝手よね。あたしには関係ない。
 今日だって爛れた関係にならないように心を固めてきたんだから。
 ふう、と息を吐いて踵を返した。
 予約してたけど今夜のお相手はあの子なのかしら。
 だとしたら一応連絡くれたっていいじゃないの。
 予約してたんだから。
 髪を切るのを諦めてくてくと小丘を降りきるまであと数歩。
 後ろから走ってくる足音がして、振り返ると同時に手首を掴まれた。
「っ、深青」
 振り向けば、慌てた様子の美織がいた。走ってきたために前髪が風に晒され切れ長の鋭い目が真っ直ぐにあたしを射抜いた。
「美織。どうしたの」
 どうして追いかけてきたの。
 今夜のお相手はあの子でしょ。
 そう突っぱねようとしたのに責められた。
「なんで帰ろうとするんですか。予約時間でしょう」
「え。いや、だって」
「傷んでますよ。伸びてるし。これじゃあピアス、見えないでしょう」
 髪に触れられ文句を言われ「ほら、行きますよ」と手を引かれてせっかく降りた小丘をまた登る。
 あたしは戸惑う。
 あの子、まだいるんでしょ。
 なんで連れ戻しに来たのよ。
 予約してたから今日は髪だけ切って帰そうとしてる?
 ん?待て待て。それが普通か。
 何を期待してるのよあたし。
 冷静になんなさいよ。
「深青。どうかしましたか」
「え」
「百面相してるので」
「どうにもしてない。カットとトリートメントお願いします」
「ふっ。かしこまりました」
 あ、笑った。
 くそ、美丈夫め。筋肉質め。あーめっちゃタイプ。
 諦めなきゃという気持ちは粉々だ。どストライクを受け取って、その球をなかなか手放せない。
 ドアを開け、中に入るとさっきの子が腕を組んでテーブルに寄りかかり、戻ってきた美織とあたしを見比べる。繋いでた手をじーっと見られて慌てて振り払う。美織は振り払われた手を残念そうに見つめながらも、すぐに目の前の子に視線を移し声をかけた。
「撫子さん。シャンプー決まりましたか?」
 撫子、と呼ばれた若い女はレジの前に並ぶシャンプーを一つ手に取りレジ台の上にどん、と乱暴に置いて、き、とあたしを睨んだ。
「これください」
「かしこまりました」
「カードで」
「お預かりします」
 美織が会計をしてシャンプーを紙袋に丁寧に詰めている間、撫子さんはあたしを頭の天辺から足の爪先まで睨みながら観察し「ふーん。へえ。この人がねえ」とぶつぶつ呟いた。あたしは萎縮し何も言えない。セフレ仲間なのだろうが、やっぱり牽制はかかるようだ。まるで大奥。怖い世界に足を踏み入れてしまったのかもしれない。
「お待たせしました」
 撫子さんの牽制に耐えきれず冷や汗が出てきた頃、美織の声が聞こえて助かった、と胸を撫でおろす。
 紙袋を差し出され、撫子さんはそれを受け取りドアに向かう。あたしはぶつかってきそうな撫子さんをさっと避ける。
 撫子さんはそのままドアを開け出ていこうとしたが、いきなり振り向き、見送ろうとしていた美織の意表をついて背伸びをし、今度こそ触れるだけのキスをした。
 しかもちゅ、という効果音付きだ。
 撫子さんが挑発的な目線を向ける。
 あたしはたじろぎ少しだけ体を震わせた。
「綺麗にしてくれてありがとう。またね」
 撫子さんはにこりと笑ってドアを閉めた。

「……」
「……」
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