丘の上の小さな 美容室
見知った顔を見つけてぴたりと足が止まった。
「美織……」
見間違えるわけない。
今あたしが恋をしている美容師。
隣には、撫子さん。
撫子さんは美織の腕に腕を回し、楽しそうに美織を見上げて笑っている。美織が好き、と顔を見れば分かる。美織も、微笑み返している。
思わず二人の後をつける。
いかがわしいホテルにでも行くのかしら。そうよね、たぶん。こんな夜の街中、居酒屋が並ぶ大人の空間。美織はあたしだけだと言ってくれたけど、それはやっぱりリップサービス。わかってる、けど……。
ふたりはいかがわしいホテルの前に来た。入るのかしら。入らないでほしい。
あたしは建物の影からじーっとふたりを観察する。通り過ぎる人が訝しげにあたしを見て、あたしははっとして姿勢を正して背を向ける。そうしてしまったがために、あたしはふたりを見失ってしまった。
再びふたりに視線を戻したら、そこには誰もいなかった。飛び出てあたりを見回したが、影も形も見当たらない。ホテルに入ったの?入ってない?わからない!
あたしはいかがわしいホテルの前に仁王立ちになる。
中に入る?ひとりで。でもどの部屋かわからないし……。いや、入ってないかもしれないし!
どうしよう。気になる。気になる。気になる。
うろうろしていたらカップルが邪魔そうに視線を向けてきて、あたしは端っこに寄り髪を耳にかけてそっぽを向く。
あの人どうしたんだろうね。待ち合わせの人来ないのかな。と話しているのが聞こえていたたまれなくて背を向けた。笑いながら入っていくカップルを横目でちらりと見る。
顔を見合わせてこれからする行為に期待を膨らませている二人を見ていたら、羨ましい気持ちが膨らんできた。
いいな。好き合ってくっつけ合えるなんて、幸せじゃない。
あたしも、美織と、くっつきたい。
あの逞しい胸板にほっぺたをくっつけて、逞しい首筋に腕を絡めて、切れ長の鋭い目の奥に宿る熱に浮かされたい。
また別のカップルがホテルの前に来て、あたしを訝しげに見る。
あたしはついに諦めて、ホテルからそっと離れた。
そのとき。
「深青?」
惚れ込んだ声にはっと顔を上げると、そこにはいかがわしいホテルに入ったことを疑った美容師が目の前に立っていて目を見開いた。
美織はあたしとホテルを交互に見て、眉根を寄せた。
あたしははっとして違うから、と否定した。
「別に入ろうとしてたわけじゃないから、誤解だから」
「他に男はいないって言ってましたよね」
「あたしはね。いないけど。……美織はいる、で、しょ」
歯切れ悪く責めると、美織はむっとして言い返す。
「俺だって深青だけです。言いましたよね」
「嘘」
「嘘じゃありません」
「だって、見たもの。撫子さんと腕組んでこの辺うろうろしてたでしょ」
男女の事情を責める資格なんてないから、もごもごと小さな声で訴えた。
「あたしだけ、とか言いながらやっぱり撫子さんにも手を出してるんじゃない。べ、別にいいのよ?あたしにあなたの性事情をとやかく言う資格はないけどっ。でも一応あたしだけとか言ったんだからあたしに気づかれないようにしなさいよ」
「……」
「なによ」
「妬いてるんですか」
「や、妬いてないし?!」
「ふっ」
美織がくすぐったそうに笑う。
その顔も、好き。美織の笑った顔が好き。
拗ねた心も今の表情ですぐに蕩ける。
惚れた弱みだ。惚れたほうが負けなのだ。
美織はあたしの手を取りいかがわしいホテルの中に迷いなく歩を進め、あたしは引っ張られるままに自動ドアを潜ってしまった。
受付で部屋を選び、迷いない歩調でずんずん進み、部屋に入るとドアが閉まった。
なに、これ。どーゆー状況。
美織が待てないとばかりにあたしの腰を抱き寄せキスをする。
あたしは戸惑いながらも美織のキスに酔いしれる。
「二週間待たないで会えるなんて思わなかった」
愛しい低い声。ずぐりと、お腹の中がむず痒くなる。
「深青。欲しい」
熱のある声、目の奥の欲情した雄の潤み。
そんな声でそんな事を言わないで。
連れ込まれてその気にならないわけない、惚れてるんだから。
「居酒屋帰りだから、お酒くさいかも」
「そんなの気にしませんよ」
全部食べられそうなキスをされ、美織の手が服の下に忍び込む。
あれよあれよとあっと言う間にベッドに辿り着き、美織の体に夢中になってしがみつく。
酔いもあって敏感で、声も抑えられずに美織を想うと、耳元で「かわいい」と、掠れた声で笑われた。
何度も美織の名前を呼んで、美織も深青、と何度も囁く。ついさっきまで他の女と腕を組んで笑っていたくせに、あたしに会えばあたしを望む。
あたしだけの男になってほしい。そうならないかな。恋人になんてならなくていいから、せめてあたしだけにしてくれないかしら。
シャワーも入らないで他の女の香水の匂いをつけたままあたしを抱くなんて気が利かないわ。もうバレてるからいいか、なんて雑な扱いしないでよ。
悲しくなって目が潤む。
それに気づいた美織が目尻に溜まった涙を唇で吸う。
シーツに手に重ね、何度も来る衝動に駆られながら美織を想い、やっと美織の動きが止まるとほっとした。
美織が離れ、あたしは疲れてシーツに体を投げ出した。
あたしはこのあとしてくれる、美織の腕枕がお気に入りだ。美織もそれを知っていて、いつもはすぐしてくれるのに今夜はなぜかしてくれない。あたしがうとうとしてるのに、脱いだブルゾンのポケットをあさっている。
あたしはむっとして美織に枕を投げつけた。
ぼふっと美織の後ろ頭に枕が直撃する。
「なにしてんのよ。さっさとこっちきて」
振り向いて、膨れているあたしの顔を見て美織が笑う。
「ふっ。今行きますね」
ブルゾンを放り投げ、美織がベッドに腰掛ける。
「……撫子さんの匂いがしたわ」
そっぽを向くと、美織は今思い出しました、と言う顔をした。
「ああ、すいません」
「それだけ?シャワーくらい入ってからするのがマナーでしょ」
「目の前に深青がいたらそんな余裕なかったです。すぐ欲しくなってしまって……」
「ふん。なによ。あたしだけじゃなかったくせに」
「深青。撫子さんとは、ジュエリー店に付き合ってもらったんです」
「デートの内容なんて聞きたくないんだけど」
「深青に似合いそうなの選んだんです。気に入ってくれるかはわからないですが」
美織の手の中にはビロードの四角い箱。パカリと開けると、そこには深紅のピアスが控えめに光を放ち、一気にあたしの心を持っていった。
「わあ、綺麗。可愛い」
「深青に似合うと思って。付けてみてください」
あたしは起き上がり、ひとつ手に取り耳につける。
「どう?似合う?」
さっきまでの不機嫌が嘘のようにどこかに吹き飛んでいってしまった。我ながら、簡単な女だと呆れてしまうが仕方ない。だって好きな男からのプレゼントだ。嬉しくないわけがない。
美織は微笑み、反対の耳には美織が付けてくれた。
「とてもよく似合います。良かった。……撫子さんはジュエリーショップの店員なんです。深青に似合いそうなのを選んでもらいました」
「あなたが選んだんじゃないの?」
「どれがいいのかわからなくて。撫子さんが選んだほうがセンスがいいと思ってお願いしました」
ふうん、と頷く。高揚した気持ちがだんだん沈んでいく。他の女が選んだものを、あたしに似合うからとプレゼントしてきたことが、嬉しさ半分嫉妬半分で微妙な心境になってしまった。素直に受け取る気になれなくなってしまい、唇をもごもごさせる。
「これはとても素敵だけど、今度はあなたが選んでよ」
あたしはピアスを外して箱に戻した。そして美織に突き返す。それまで機嫌の良かったあたしの変わりように、美織は困惑する。
「受けとっては、くれないのですか」
「あなたが選んだのが欲しい」
上目遣いで我儘を言うと、美織は頷き機嫌を取るように頬にキスをする。
「わかりました。今度は俺が選びます。そしたら貰ってくれますか?」
「勿論。はあ、もう眠い。早く、腕枕」
「ふっ。はいはい」
今日はよく笑うな。ラッキ、と思いながら用意された腕枕に頭を乗せると、美織は遠慮なくぴったりとくっつき抱きしめてきた。
多幸を感じながらも、いつまであたしで満足してくれるんだろうかと不安も混じり、美織の背中に腕を回した。
「美織……」
見間違えるわけない。
今あたしが恋をしている美容師。
隣には、撫子さん。
撫子さんは美織の腕に腕を回し、楽しそうに美織を見上げて笑っている。美織が好き、と顔を見れば分かる。美織も、微笑み返している。
思わず二人の後をつける。
いかがわしいホテルにでも行くのかしら。そうよね、たぶん。こんな夜の街中、居酒屋が並ぶ大人の空間。美織はあたしだけだと言ってくれたけど、それはやっぱりリップサービス。わかってる、けど……。
ふたりはいかがわしいホテルの前に来た。入るのかしら。入らないでほしい。
あたしは建物の影からじーっとふたりを観察する。通り過ぎる人が訝しげにあたしを見て、あたしははっとして姿勢を正して背を向ける。そうしてしまったがために、あたしはふたりを見失ってしまった。
再びふたりに視線を戻したら、そこには誰もいなかった。飛び出てあたりを見回したが、影も形も見当たらない。ホテルに入ったの?入ってない?わからない!
あたしはいかがわしいホテルの前に仁王立ちになる。
中に入る?ひとりで。でもどの部屋かわからないし……。いや、入ってないかもしれないし!
どうしよう。気になる。気になる。気になる。
うろうろしていたらカップルが邪魔そうに視線を向けてきて、あたしは端っこに寄り髪を耳にかけてそっぽを向く。
あの人どうしたんだろうね。待ち合わせの人来ないのかな。と話しているのが聞こえていたたまれなくて背を向けた。笑いながら入っていくカップルを横目でちらりと見る。
顔を見合わせてこれからする行為に期待を膨らませている二人を見ていたら、羨ましい気持ちが膨らんできた。
いいな。好き合ってくっつけ合えるなんて、幸せじゃない。
あたしも、美織と、くっつきたい。
あの逞しい胸板にほっぺたをくっつけて、逞しい首筋に腕を絡めて、切れ長の鋭い目の奥に宿る熱に浮かされたい。
また別のカップルがホテルの前に来て、あたしを訝しげに見る。
あたしはついに諦めて、ホテルからそっと離れた。
そのとき。
「深青?」
惚れ込んだ声にはっと顔を上げると、そこにはいかがわしいホテルに入ったことを疑った美容師が目の前に立っていて目を見開いた。
美織はあたしとホテルを交互に見て、眉根を寄せた。
あたしははっとして違うから、と否定した。
「別に入ろうとしてたわけじゃないから、誤解だから」
「他に男はいないって言ってましたよね」
「あたしはね。いないけど。……美織はいる、で、しょ」
歯切れ悪く責めると、美織はむっとして言い返す。
「俺だって深青だけです。言いましたよね」
「嘘」
「嘘じゃありません」
「だって、見たもの。撫子さんと腕組んでこの辺うろうろしてたでしょ」
男女の事情を責める資格なんてないから、もごもごと小さな声で訴えた。
「あたしだけ、とか言いながらやっぱり撫子さんにも手を出してるんじゃない。べ、別にいいのよ?あたしにあなたの性事情をとやかく言う資格はないけどっ。でも一応あたしだけとか言ったんだからあたしに気づかれないようにしなさいよ」
「……」
「なによ」
「妬いてるんですか」
「や、妬いてないし?!」
「ふっ」
美織がくすぐったそうに笑う。
その顔も、好き。美織の笑った顔が好き。
拗ねた心も今の表情ですぐに蕩ける。
惚れた弱みだ。惚れたほうが負けなのだ。
美織はあたしの手を取りいかがわしいホテルの中に迷いなく歩を進め、あたしは引っ張られるままに自動ドアを潜ってしまった。
受付で部屋を選び、迷いない歩調でずんずん進み、部屋に入るとドアが閉まった。
なに、これ。どーゆー状況。
美織が待てないとばかりにあたしの腰を抱き寄せキスをする。
あたしは戸惑いながらも美織のキスに酔いしれる。
「二週間待たないで会えるなんて思わなかった」
愛しい低い声。ずぐりと、お腹の中がむず痒くなる。
「深青。欲しい」
熱のある声、目の奥の欲情した雄の潤み。
そんな声でそんな事を言わないで。
連れ込まれてその気にならないわけない、惚れてるんだから。
「居酒屋帰りだから、お酒くさいかも」
「そんなの気にしませんよ」
全部食べられそうなキスをされ、美織の手が服の下に忍び込む。
あれよあれよとあっと言う間にベッドに辿り着き、美織の体に夢中になってしがみつく。
酔いもあって敏感で、声も抑えられずに美織を想うと、耳元で「かわいい」と、掠れた声で笑われた。
何度も美織の名前を呼んで、美織も深青、と何度も囁く。ついさっきまで他の女と腕を組んで笑っていたくせに、あたしに会えばあたしを望む。
あたしだけの男になってほしい。そうならないかな。恋人になんてならなくていいから、せめてあたしだけにしてくれないかしら。
シャワーも入らないで他の女の香水の匂いをつけたままあたしを抱くなんて気が利かないわ。もうバレてるからいいか、なんて雑な扱いしないでよ。
悲しくなって目が潤む。
それに気づいた美織が目尻に溜まった涙を唇で吸う。
シーツに手に重ね、何度も来る衝動に駆られながら美織を想い、やっと美織の動きが止まるとほっとした。
美織が離れ、あたしは疲れてシーツに体を投げ出した。
あたしはこのあとしてくれる、美織の腕枕がお気に入りだ。美織もそれを知っていて、いつもはすぐしてくれるのに今夜はなぜかしてくれない。あたしがうとうとしてるのに、脱いだブルゾンのポケットをあさっている。
あたしはむっとして美織に枕を投げつけた。
ぼふっと美織の後ろ頭に枕が直撃する。
「なにしてんのよ。さっさとこっちきて」
振り向いて、膨れているあたしの顔を見て美織が笑う。
「ふっ。今行きますね」
ブルゾンを放り投げ、美織がベッドに腰掛ける。
「……撫子さんの匂いがしたわ」
そっぽを向くと、美織は今思い出しました、と言う顔をした。
「ああ、すいません」
「それだけ?シャワーくらい入ってからするのがマナーでしょ」
「目の前に深青がいたらそんな余裕なかったです。すぐ欲しくなってしまって……」
「ふん。なによ。あたしだけじゃなかったくせに」
「深青。撫子さんとは、ジュエリー店に付き合ってもらったんです」
「デートの内容なんて聞きたくないんだけど」
「深青に似合いそうなの選んだんです。気に入ってくれるかはわからないですが」
美織の手の中にはビロードの四角い箱。パカリと開けると、そこには深紅のピアスが控えめに光を放ち、一気にあたしの心を持っていった。
「わあ、綺麗。可愛い」
「深青に似合うと思って。付けてみてください」
あたしは起き上がり、ひとつ手に取り耳につける。
「どう?似合う?」
さっきまでの不機嫌が嘘のようにどこかに吹き飛んでいってしまった。我ながら、簡単な女だと呆れてしまうが仕方ない。だって好きな男からのプレゼントだ。嬉しくないわけがない。
美織は微笑み、反対の耳には美織が付けてくれた。
「とてもよく似合います。良かった。……撫子さんはジュエリーショップの店員なんです。深青に似合いそうなのを選んでもらいました」
「あなたが選んだんじゃないの?」
「どれがいいのかわからなくて。撫子さんが選んだほうがセンスがいいと思ってお願いしました」
ふうん、と頷く。高揚した気持ちがだんだん沈んでいく。他の女が選んだものを、あたしに似合うからとプレゼントしてきたことが、嬉しさ半分嫉妬半分で微妙な心境になってしまった。素直に受け取る気になれなくなってしまい、唇をもごもごさせる。
「これはとても素敵だけど、今度はあなたが選んでよ」
あたしはピアスを外して箱に戻した。そして美織に突き返す。それまで機嫌の良かったあたしの変わりように、美織は困惑する。
「受けとっては、くれないのですか」
「あなたが選んだのが欲しい」
上目遣いで我儘を言うと、美織は頷き機嫌を取るように頬にキスをする。
「わかりました。今度は俺が選びます。そしたら貰ってくれますか?」
「勿論。はあ、もう眠い。早く、腕枕」
「ふっ。はいはい」
今日はよく笑うな。ラッキ、と思いながら用意された腕枕に頭を乗せると、美織は遠慮なくぴったりとくっつき抱きしめてきた。
多幸を感じながらも、いつまであたしで満足してくれるんだろうかと不安も混じり、美織の背中に腕を回した。