丘の上の小さな 美容室
ただの美容師とただの客
新規の予約のその人は、カウンセリングも適当で「さっさと押してほしい」と自身の肩をさすった。
サロンスタッフの腕はピンキリだし、その人の体に合う施術の仕方や手が合う合わないがあるので、お客さんとしては早めに見定めたい気持ちはわかる。しかしプロとしてはカウンセリングは必要不可欠で、できるだけお客さんの要望に応えるためには話を聞くことが大事になってくる。あたしはどこが痛いのか、触られたくないところはないかと刺激しないよう丁寧に聞いたが、どうやらお客さんには無駄な時間にしか思えなかったようだ。
舌打ちされた。
あたしは諦めてバインダーを裏返し、笑顔で寝台に案内した。
うつ伏せになったお客さんの背中にタオルをかけてタイマーをセットし、「始めますね」と声を掛けて足裏から順にほぐしていく。
このお客、絶対に落とす。
あたしはお客さんの体の硬さ加減から自身の指の力加減を探り、少しずつ解していく。
始めは警戒し緊張していたお客さんが、徐々に体の力を抜き始め、施術を受け入れていく様は快感である。
力加減いかがですか?と聞くと大丈夫、と眠そうな声で答えてくれた。
コースは一時間。
最後は眠ってしまったお客さんを軽く揺すって起こし、寝台に座ってもらうと肩を軽く叩いて終了の合図をした。
「お疲れ様でした。肩がより凝っていたので集中的にやらせていただきました。違和感ありませんか?」
「大丈夫。お姉さん上手だね。今まで行ったとこで一番上手かも。また来るね」
新規のお客さんを口説き落とした時の優越感にほくそ笑む。
後ろで凜が羨望の眼差しを向けているのが想像できる。最後にハーブティーをお出ししてサービスは終了だ。
あたしは振り向いてハーブティーの用意をするよう凛に目で合図した。凜はすぐに用意して、お客さんのテーブルに運ぶ。
ハーブティーを飲みながら会計をしてもらい「飲み終わるまでごゆっくりお過ごしください」と踵を返したところで「お姉さん」と呼び止められた。
金髪の長い髪を一括り、カラコンなのか目は紫。ピアスは片耳だけで三個開いていて、道を歩いていたら少し近寄りがたい雰囲気のお兄さんは、来た時の憂鬱な印象を跳ね除け屈託なく笑った。
「指名したいから、名刺ちょうだい」
あたしは胸ポケットから名刺を取り出し両手で差し出す。お兄さんはそれを受け取り「深青、ね。宜しくね」と言い、自分も名刺を取り出し差し出してきたので、両手で受け取る。
「僕は恵。めぐみじゃなくて、けい、ね」
名刺を確認し、頷く。
「恵さん、ですね。宜しくお願いします」
「呼び捨てでいいよ。僕も深青って呼ぶから。僕さ、美容師なんだ。深青は特別に割引で切ってあげるから、今度来なよ」
あたしはもう一度名刺に目をやる。裏には美容室の住所と簡単な地図が描かれていた。割とすぐ近くだ。
「機会があれば、行かせていただきます」
「それ、来ないやつだ。なに、行きつけがあるの?」
探るような目つきに、あたしは逡巡したが素直に答えることにした。適当にかわせない雰囲気がある人だ。
「はい。そこ以外は行かない約束をしてますので」
はっきり言うと、恵はふーん、と腕を組んで口の端を上げた。
「がっちりハート射止められてるね。上手なの?それとも、担当の人を気に入っている?」
「……どちらもです」
「ふーん。そお。残念」
含みのある言い方に内心舌打ちしたが、営業スマイルでカバーする。
何が言いたいんだ。下世話なことを想像されているのは顔を見れば分かる。的を得ているのでぐうの音も出ない。
ハーブティーを飲み終わると、恵は次の予約をして店を出ていった。
なんだか面倒そうな客に気に入られてしまったな。
寝台を片付けていると、凜が近寄ってきて羨望の眼差しを向けてきた。
「あんなヤンキーみたいなお客さんを手懐けちゃうなんて、やっぱり深青さんの腕はすごいです。私も早く深青さんみたいに超ベテランになりたい」
きらきらした目を向けられ、あたしは苦笑する。
「今日も練習する?」
「はい、お願いします」
次の予約までは一時間あるので、あたしは奥の寝台に横になり凜の練習台となる。
凜がタオルを背中にかけ、手を添えたところで「んん?」と声を上げたので顔を上げた。
凜はあたしの耳に光るピアスを凝視する。
「このピアス、どうしたんですか?」
「あ、これは」
美織がくれたピアスだ。
結局あたしは撫子さんが選んで美織が買ってくれたピアスをありがたく貰うことにした。
というのも、ホテルを出るとき美織が無造作にビロード箱をぽいとゴミ箱に捨てたからだ。
あたしは慌ててそれを拾い「なんで捨てるのよ」と抗議した。すると美織は不思議そうに首を傾げて「深青がいらないならゴミなので」と躊躇いなく言った。
あたしは呆然とし、美織と手の中のビロード箱を交互に見て、ビロード箱を両手で包んだ。
「撫子さんが選んだのが気に障る、けど。美織があたしのために買ってくれたものだから、やっぱり貰う」
「嫌なら無理しなくても捨てればいい。次の予約の日までに、もっと深青に似合うものを探しておきます」
「嫌じゃないわ。美織の気持ちだもの。嬉しいに決まってる」
「……今度はちゃんと、俺一人で選ぶから」
さわ、と耳朶を触られ声が漏れそうになったが唇を引き結び何とか耐えた。
でも美織は遠慮なく耳に噛み付いてきて、あたしは「うひゃっ」と声を上げてしまった。
「可愛い」
破顔した美織の表情のほうが可愛くて、あたしはむにむにと唇を噛んだ。
そのピアスを、凜はじいっと見つめ、半眼であたしを睨んできた。
「これ、めっちゃ高いやつですよ」
「え?」
思わずピアスに触れる。
「有名ジュエリー店の数量限定品です。予約もなかなか取れない超レア商品です」
撫子さんの顔が浮かぶ。
撫子さんがそのジュエリー店の店員だったとして、美織のために取置したのか。
あたしにプレゼントしたことは、知って、いるのよね。
「それ、例のセフレからですか?」
どき、と鼓動が跳ねる。
凜はあたしの表情を見て半眼のまま口の端を上げた。
「凄く仲いいじゃないですか。本当にセフレなんですか?恋人みたい」
「ああーうん。なんか、気に入られてる、かな」
「相性いいんですね」
「う、ぐ。……ノーコメント」
「いいな、羨ましいです。私、今彼氏と倦怠期でー」
あたしはうつ伏せになり、喋りながら施術を始めた凜の彼氏の愚痴を聞いた。
いや、聞いてるフリをした。
あたしの意識はもはやこのピアスに全て持っていかれて、凜の施術なんて全然考えられなかった。
そんな高いものをセフレに送るなんて、美織はなにを考えているんだろう。あたしのことをそんなに気に入ってくれているのなら、それはそれで、悪くない、けど。
耳で揺れるピアスが、美織を脳裏から離れさせない。
施術を終えた凛が「どうでしたか?」と聞いてきたが全く答えられずにいると不貞腐れてしまって、仕事終わりに居酒屋に連れて行ってたらふく食べさせ機嫌を取ることとなった。