丘の上の小さな 美容室
 二週間後の予約の日。
 髪を切りに行くのに、あたしは体のメンテナンスも怠らない。甘めのボディクリームに、かわいい系の下着を身に着けて、ニットワンピースでそれを隠す。美織から貰ったピアスは勿論装着し、丘の上の美容室を目指す。
 前回はドアを開けたら撫子さんがいたので、今回はノックをして美織が出てくるまで待っていようと決めていた。
 丘を登り、ふう、と息を吐いてドアを三回叩いて一歩下がった。
 するとすぐにドアが開いて、あたしは美織、と言いかけ口を噤んだ。
 出てきたのは金髪に紫のカラコンを装着した、先日担当したお客さん、恵だった。
「え、な、なんでここに」
 思わず後退る。そしてここがいつもの美容室だと確認すると、ますます恵がここにいる理由がわからなくなった。
 この人美容師よね。勤務先はここじゃないと思うけど。名刺の裏の地図を思い出す。絶対ここじゃない。
 恵もあたしを見て驚いたのか、目をぱちくりとさせている。
「深青じゃん。こんなとこでなにしてんの。……あ、なーんだ。へえ。美織のお客さんだったか。そんで彼女?」
 名推理、とばかりにドヤ顔をする恵にあたしは首を振る。
「彼女じゃありませんよ。美容師とその客、です」
 きっぱりと否定すると、恵はきょとん、と首を傾げた。幼い仕草に、思ったよりも若いのかしらとしげしげと観察していると、恵は腕を組んであたしを頭の天辺から足の爪先までねっとりと見定め始めた。
 ぞわりと鳥肌が立つ。
 好きでもない相手にそんな目で値踏みされると不愉快だ。あたしは眉根を寄せ不快感をあらわにすると、恵はすぐにそれに気づいて両手を上げた。
「ごめんごめん。つい。彼女じゃない、けど、それだけの関係じゃないよね。サロンで、言ってたもんね。ここ以外の美容室には行かないし、美織のこと、気に入ってるんでしょ?」
「ただの、美容師と客ですよ」
 美織と恵の関係がわからない以上、不用意な発言はできない。ここでセフレなんてバレたら、風評被害になりかねない。
 あたしが黙ってしまうと、恵は含みのある笑い方をした。あたしはその笑い方が、嫌いだ。 
「美織からは、それだけじゃないって聞いてるけど」
 聞いてるんだ。あたしのことを恵に話しているのか。同業者だし、顔馴染みなのかな。友人?お客さん?
 何にしても、美織との関係は大っぴらにするようなものではない。美織はどういう意図で恵にあたしのことを話したのだろう。でも、あたしも千紗と凛に話してしまったか。
 あたしは諦めて頷いた。
「……まあ、はい。爛れてますけど」
 恵はふうん、と腕を組んでなにか考えているようだった。そして、にまりと笑って顔を近づけてきたので後退る。
「美織から聞いてた話とは違うけど……じゃあ、僕にもチャンスはあるのかな」
「チャンス?」
「そう。僕の相手もしてくれない?どう?」
「どうって」
「僕とも楽しんでくれない?」
 ふわりと髪に触れ、ピアスを撫でた恵の手を、反射的に振り払う。
 ぱしんっと小気味よい音が小さな丘に響き渡り、驚いた小鳥たちが一斉に飛び立った。木の葉の擦れる音が、風に乗る。
 はっとして頭を下げた。
「ごめんなさい。思わず。びっくりして」
「僕じゃお眼鏡に叶わないかな。美織は誠実で真面目な男だからさ。窮屈になると思うよ。その点僕はイメージ通り、ちゃらんぽらんだから気軽に遊べるよ」
「イメージ通りなんて、そんな」
「真面目で誠実に見える?」
「見えませんけど」
「あは。でしょ。で、どう?」
 つまり、セフレを美織から恵に乗り換えろ、ということか。セフレなんて爛れた関係を持っているあたしを、遊んでる女と思ったわけだ。
 遊んでない。全く持って不愉快だ。
「美織じゃないと、だめなんです」
 きっぱり言い切ると、恵は瞠目し「へえ?」と首を傾げた。
「遊びでしょ?別に美織じゃなくてもいいじゃん。満たしてくれる男は多いほうがいいんじゃない?」
「不特定多数の人と関わるなんてできません。不誠実だわ」
「深青だって、美織に対して不誠実じゃないの?」
「どうしてよ。あたしと美織の利害は一致してるわ」
「ふーん。美織は違うと思うけど」
 違うってなによ。
 恵が、あたしと美織のなにを知ってるって言うのよ。 
「でも、あたし、美織じゃないと」
 少し声が震えてしまった。美織は、今のあたしとの関係を、恵にどのように話したのだろう。
 飽きるまでの体だけの関係。リップサービスで大人の駆け引きを楽しむ関係。珈琲とクッキーを朝に食べる関係。どこまで話したのかしら。
 あたしと美織のことを、他の人に知られるのはあまり気分がよくない。あの甘くて切なくなるような行為と翌朝の珈琲とクッキーの味は、あたしと美織だけの秘密にしたかった。
「深青、自分の顔見てみなよ。めっちゃ恋する乙女」
 美織のことを考えると、あたしはすぐに思考にふける。想いが顔に出るタイプだから、恵にもすぐに悟られてしまっただろう。
「惚れ込んでんじゃん。大事に想ってんだね。僕の出る幕はないか」
 あたしは一応、口止めをした。
「美織はあたしの気持ちを知らないから……黙っててください。このままでいい。なくしたくないので」
 恵はまた首を傾げる。右に左に動かして、まるでストレッチしているみたいだ。
「ふーん。なんでこんなことになってんのかわかんないけど……美織かわいそ。難儀だねえ」
「?どーゆーことですか」
「面白いから黙っとく」

「深青」

 恵の後ろから、恵を押しのけて美織が姿を現した。
 美織が蕩けた笑顔を向けてくるから、自然とあたしも微笑んだ。

「予約時間になっても入ってこないから心配しました。恵と話していたんですか?」
「ええ。お客さんなの」
「お客さん?」
「あたし、サロンを経営しているの。言ってなかったわよね」
「そうなんですか。……恵の施術、したんですか」
「舌打ちする酷い客よ」
 美織とあたしが恵に非難の視線を向けると、恵はそっぽを向いた。
「だってさ、若い女のスタッフなんて信用できないじゃん。でも口コミは良かったからさ。めちゃくちゃ上手かった。まだ体、楽だよ」
「それは良かったわ。うちのスタッフは皆上手だから他の子の施術も受けてみてね」
「えー深青がいいなあ」
「光栄ですけど。手が合わなかったら途中で交代してもいいわ」
「ふーん。それなら、まあいいかな。次は一週間後だったよね。また宜しくね」
「はい。お待ちしてます」
 にこ、と笑うと恵は一瞬止まり、目線をそらして鼻を掻く。
「なるほど。……じゃあね美織。そんな怖い顔すんなよ。またな」
 美織の背中をばん、と叩いて恵は小丘を下っていった。
 美織はあたしの手を引いて美容室に入る。
 ドアが閉まると振り返り、確かに怖い顔をしていたのでおずおず手を伸ばして頬に触れると細く息を吐いた。
「サロンスタッフなんて知りませんでした。どうして言ってくれなかったんですか」
「聞かれなかったし、髪を切るのに職業なんて関係ないでしょ」
「それはそうですが」
「それより、恵とはどういう関係なの?友達?」
「腐れ縁の幼馴染です」
「仲いいのね」
「あいつが勝手に遊びに来るだけで、俺は別になんとも思ってません」
「そう?値踏みされたけど。あなたの相手に相応しいかどうか」
「何様なんだあいつは」
「親友が騙されてないか心配なのよ。いい人じゃない」
 美織は頬に触れていたあたしの手を取り指先にキスをする。
 唇の感触、切れ長の目があたしを射抜く。
「騙してるんですか?」
「美織といる時は、割と素だけど」
「俺もです。深青といると、安らぎます」
「そう?でも、なんか」
 割と情熱的じゃないかと思う。安らぐ、と言うよりは高揚しているような気もする。
 あたしの手を取る反対の手で、美織は耳を撫でて目を細めた。その指先には美織がくれたピアスが埋め込まれている。
 はっと思い出す。凜のニヤけた顔が脳裏をよぎる。
「そうよ、これ。めっちゃ高いって聞いたけど!」
「気持ちなので」
「あたしなんかには重すぎる!」
「じゃあ、捨てます」
 ピアスを外そうとする美織に、あたしは慌てて後退る。美織がむっとして手のやり場を失いすっと降ろした。
「どうして離れるんですか。今、外しますから」
「いやいやいや。結構よ。極端よねあなた本当に!」
「いらないんでしょう。重いんですよね」
「重いわよ。値段がね。それがなかったら美織からのプレゼントだもの。嬉しいに決まってるでしょ」
 じりじり後退ると、美織もじりじり近づいてきて、あたしの背中は壁とくっつき美織は壁に両手をついてあたしを挟み込み、噛みつくようにキスをした。
 そうして離れると、美織は「前髪と、トリートメントですよね。どうぞ」と、いきなり美容師モードに入り、席に座るよう促してきた。
 おずおずと、あたしがすとん、と席に座ると、カットクロスをさっとかけ、前髪を撫でる。
「少し短めにしますか?」
「幼くならない?」
「ならないと思いますよ」
「じゃあ、お願い」
「トリートメントはどれにしますか?」
「いつものでいいわ」
「かしこまりました」
 ずいぶん素っ気ないわね、と口を噤むと、美織が後ろから肩を抱きしめ耳元に唇を寄せてきた。
「早く抱きたいので、仕事に集中させてください。拗ねた顔も魅力的ですね」
「っ、ずるいことしないで」
 あたしは美織の頬に手を当てて押しのけると、美織は笑い丁寧に髪を梳かした。
 前髪を切り、トリートメントを終えると、美織は美容室の鍵を閉めてあたしの腰を抱きすぐさま寝室へと向かった。
 我慢出来ない、と熱っぽい視線を送られると、あたしの身体も簡単に疼く。
 これのどこが安らぎなのだ。
 美織もあたしも、お互いへの想いは激情だ。
 ベッドになだれ込むと、お互い貪り尽くすように求め合い、深夜、気の済んだ美織はやっとあたしを解放し、腕枕をして眠りにつく。
 いつものように眠気に勝てないあたしの耳元で、美織は「今度は深青が重くならない程度のプレゼントをしますよ」と囁いた。
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