丘の上の小さな 美容室
ドタキャンと恋心
予約の日、あたしは行かなかった。すっぽかした。
ピアスは伸びた髪で見えなくなって、前髪も真っ直ぐ下ろすと目にかかるので斜めに流して、トリートメントも市販のちょっといいやつを買って試していた。
あたしは美織の連絡先を知らないし、美織もあたしの連絡先を知らない。
予約の日、髪を切って体を重ねるだけの存在。
割り切ったセフレ。
そこに愛とか恋は必要ない。
そんなものが介入すれば拗れるだけだ。
いや、介入していて最早拗れてるけど。
ちらちらと雪の降る街を眺めながら珈琲を飲む。
苦めの珈琲だが、美織の淹れてくれる珈琲のほうが何倍も美味しい。もそもそした手作りクッキーも、食べたい。
美織の美容室の近くにある、お洒落な喫茶店。
その一番奥の二人席に座り、頬杖をついて小窓から見える景色を見ていると、時間がゆっくり流れて心も落ち着いてきた。
ドタキャンしたのは先週の夕方。
仕事は今日の午後から明日まで休み。
サロンに来た美織に、あたしの気持ちは揺さぶられた。セフレにしては、執着心が強すぎる。確かに千紗のいうことも一理あるが、そもそも粘着気質なのかもしれない。独占欲が強い男なだけかもしれない。
あたしは美織が好きだけど、だからもし、美織の行動の端々に表れるこの執着心が、恋によるものなら……凄く、嬉しい。
でも違ったら?もしあたしの気持ちがバレて美織が煩わしそうに顔を顰めでもしたら、あたしは立ち直れない。だって今までこんなに好きになった人なんていない。今までの失恋なんて子供騙しもいいところ。美織に振られたら、それが初めての失恋になる。心臓に、穴が空く。かもしれない。
あたしは非常にわかりやすい。
気持ちが顔に出てしまう。
仕事なら営業スマイルで誤魔化せるが、プライベートではそうはいかない。
美織は鈍そうだし、気づかれていないと思うが、昨日はなんだか怖くて会いに行けなかった。
「恋だなあ」
千紗が電話口で笑った。
「逃げるのもありか。追ってきそうだけど」
「怖いこと言わないでよ」
「狼にしか見えなかった。恵くんをお見送りしに出ていった深青の背中、射抜くみたいに見ていたからさ」
「そうなの?」
「捕まったら、服、ひん剥かれて食べられるね。断言しよう」
「怖いこと言わないでよ」
すっぽかしたあと、千紗に電話をした。
罪悪感から誰かに話を聞いて欲しかった。
千紗は今日、謝りに行きな、と言っていたが、あたしはなかなか珈琲を飲み終わることができないでいた。
これ、飲み終わったら、行かなきゃいけない。
あと半分。冷えた珈琲が揺れている。
その波紋に自分の顔が薄っすら映る。
眉根を寄せて、嫌だと訴えている。
会いたくない。