丘の上の小さな 美容室
デートと誤解
「魚見てたら、なんだかお寿司が食べたくなってきたわね」
「この辺で寿司だと、駅の近くのチェーン店がありますね」
「夕飯はそこにしましょ。他に食べたいものある?」
「特にありません」
「あなた、そればっかりよね」
美織の繰り返される言葉に苦笑した。
美織と連絡先を交換した。
予約日だけではなく、会いたい時に会いたい、と真っ直ぐ見つめられ、あたしは躊躇せずにスマホを取り出した。
連絡先を登録すると、美織は満足気に口の端を上げ、これでいつでも深青の声が聞けます、と甘い声音で囁いた。
美織は声だけでいいの?あたしはきっと、声を聞いたら触れたくなる。
体を重ねた翌朝。
何時ものように苦い珈琲ともそもそしたクッキーを朝食にしたあと、あたしはおずおずと美織の太い二の腕に触れた。
「深青?どうしましたか」
珈琲を飲んでいた美織はキッチンにカップを置いて蕩けた顔であたしを見る。
連絡先を交換して、あたしは期待している。でも美織は、声だけで満足して切っちゃうかもしれない。あたしは声を聞いたら触れたくなる。キスをしたいし、美織の体温で温まりたい。素直にそう言いたいけど、恥ずかしくてなかなか言えずに口をもごもごさせる。美織はふっと笑い「どうしましたか?」と再度優しく問いかける。
「……声、だけじゃ、なくて。行くから、呼んでね」
「ん?」
首を傾げて思案し、はっとして美織が口元を緩め、あたしの頬をそっと撫でる。
「勿論です。俺が深青のところに行ってもいいです」
「あ、あたしの部屋は散らかってるから……あたしがここに来るわ。あなたの淹れる珈琲とクッキーも食べたいし」
「俺はいつか深青の部屋にも行きたいです」
「そのうちね」
あたしは掃除も片付けも苦手だ。料理も洗濯も好きじゃない。
掃除は月に一回やればいいほう、部屋は散らかりっぱなしだ。洗濯はしないと着るものがなくなってしまうのでなんとかやっているが、食事は外で食べるかコンビニ弁当がほとんどだ。
美織が来たい、という気持ちもわかるが、あたしはそのために部屋を片付けられるかと言えばそうでもない。
はっきり言ってできない、と思う。それほど苦手意識を持っている。
そういえばゴミが玄関に置いてあったけど、あれは燃えるゴミだったかな。燃えるゴミって何曜日だったっけ。
「家庭的じゃない女は嫌よね」
セフレなんだから、そんなのは関係ないと思うが美織には嫌われたくない。
やってみようか。片付け。いや、できない。考えただけで憂鬱だ。
「深青が家庭的じゃないってことですか?」
あ。声に出てた。
あたしは慌てて首を振る。
「超家庭的。家事大好き」
「……そうですか。棒読みですが大丈夫ですか」
「大丈夫」
嘘を見抜いて、美織はふっと笑う。
「深青は仕事第一で、家事は得意そうに見えませんが」
「そんなことない」
「そうですか」
「そうよ」
見栄を張るあたしをからかい、美織は楽しそうに笑ったあと、そういえばとあたしに向き直る。
「深青」
「はい」
「今度、デート、しませんか?」
いきなりの話題変換に、あたしらきょとんと美織を見上げた。
「デート」
「どこでもいいです。深青の好きなところに行きましょう」
「美織は、行きたいとこないの?」
「特にありません」
「あ、そう」
「俺たち、こんな関係なのに家でしか会ってないし、たまにはどこかに行ったほうがいいかと思って」
「あたしは、このままでもいいわよ。家でだらだら。最高だわ。それに、デートなんて……そんな」
恋人みたいじゃないの。
ちら、と美織を見る。
この人が恋人で、手を繋いで外を歩くなんて……照れるわ。
下を向いて耳まで真っ赤になると、美織は笑って「デート、しましょうね」と促した。