丘の上の小さな 美容室
 翌朝あたしは珈琲もクッキーも食べなかった。
 ぱりんと割れた心が痛くて何も口にできずにいると、美織は「飽きてしまいましたか?」と眉尻を下げてクッキーを戸棚に戻す。
 あたしは首を振ったが、これ以上ここにはいたくなくて「今日はもう帰るわね」と身支度をする。
 美織が「予約、入れときますね」と二週間後を指定してきたが、あたしは首を振り拒否をした。
「深青?どうしたんですか」
「どうもしないわ」
「どうもしない、なんて顔してませんよ。俺が、何かしましたか」
「してない」
「深青」
「平気。ごめんなさい。帰るわ」
「待って深青」
 腰を引き寄せられ、美織の顔が近づいてくる。
 あ、キスされる。
 逃げようとしたががっちり腰を掴まれ身動きが取れず、ぎゅっと目を瞑った。
 しかし予想に反して唇にくる柔らかな感触はなかった。触れたのは、美織のおでこだった。あたしのおでこにおでこをくっつけている。
「……美織?」
「熱があります。どうして隠してたんですか。だから早く帰るなんて……」
「熱?」
 そういえば、寒気がする。くらりと目眩がして美織の胸に頭を寄せた。
 美織はあたしを横抱きし、ソファに寝かせて寝室から毛布を持ってきてかける。
 寝室のベッドのシーツを変えると「移動しますね」とまた抱きかかえられたが、あたしは美織の胸に手を付いて拒否をした。
「いい。帰る」
「こんな状態で帰せるわけないでしょう。寝ていてください。なにか、食べれそうですか?薬飲んでほしいので」
 結局ベッドに横にされ、あたしは諦めて「プリン食べたい」と我儘を言った。美織はわかりました、と言い布団を掛けて出ていった。買いに行くのだろうか。手間掛けさせちゃうな、とシーツに体重を預けると、すぐに美織が戻ってきてプリンとスプーンを差し出した。
 あたしは起き上がり、それを受け取って掬って食べる。堅めのプリン。甘すぎず、喉を難なく通過した。
「美味しい」 
「よかった」
「どこのお店の?」
「作りました」
「そうなの?お菓子作りが好きなのね」
「クッキーが好評だったので」
「美味しいわ。また作ってよ」
 水を飲み、薬を飲んで横になる。
 美織が氷枕を用意してくれた。
 十時から予約があるらしく、それが終わったらまた戻ってくるからと言って美容室へと向かった。
 あたしは千紗に連絡をし、休む旨を伝えた。幸い指名の予約はなく、時間帯も被っていなかったので千紗と凛で回せると返答が来た。
「知恵熱?」
「なんでよ」
「いやー、余計なこと考えてるのかなーと」
「余計なことって?」
「深青の恋心について。愛してるのは自分だけって考えてたら虚しくなってきたとか」
「そんなんじゃないわよ。昨日、雨に当たっちゃったから」
「土砂降りだったよね。あれに当たったのかー。災難だ」
「本当よ」
「まあ、諸悪の根源に看病してもらえー。ゆっくり休めよ」
「ありがとう。このお礼はいずれさせていただきます」
「おう」
 通話を切ると、十時半。
 熱でだるい体で寝返りを打ち、目を閉じると、薬のせいか一気に睡魔に襲われてことんと眠りについた。
< 27 / 43 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop