丘の上の小さな 美容室
あたしはドアノブから手を離し、くるりと振り返った。そして紙袋をずいっと差し出し美織の胸に押しつけた。
「あげるわ。でも、いらなかったら捨ててね」
あたしはさっと美織の前髪を指先でかき分け、その目を見つめ、背伸びをしてキスをした。
「あたしは愛してたわ。セフレだけど、好きになってしまったのよ。それが、後ろめたかった」
あたしはドアノブを開けて外に出て、動かない美織を睨んだ。
「美織がセフレを望んでいるのにあたしが恋をしちゃったら、美織は離れていくと思ったのよ。それが、怖かった」
「深青、俺は」
「でも美織はあたしを恋人だと思ってくれていたのよね。それに気づかないあたしが悪かったわ。あなたの愛に気づかなかったのはあたしが鈍いせいよね。次の恋に行くのが怖くて、だからセフレに逃げたせい。でもあたしは今日、あなたと恋人になりたくてきたのよ。仲直りしたくてきたの。でも、あなたの他人行儀のその態度にどうしていいかわからなくなったわ。あたしのこともう見切りをつけたいなら、さっさとその紙袋捨てて忘れてくれて結構よ。今までありがとう、さよーならっ」
勢いよくドアを閉めた。ちりんちりん、とドアベルが激しく揺れて衝撃を訴える。
外は雪が降っていて、吐く息が白い。早足で美容室に背を向け、小丘を駆け下りた。
逆ギレもいいところだが、美織からの拒絶がショックだった。
もう面倒なら面倒だって言ってほしかった。そうしたら、予約なんてしなかったのに。
美織をモノにする、なんて意気込んで来たのに情けない。今日はやけ酒、温かい日本酒をたらふく飲んでやる。
鞄からスマホを取り出し、千紗に連絡しようとしてぐいと肩を掴まれた。
振り向かされ視界に飛び込んできた美織の顔は、焦りと苦渋に満ちていた。美容室のドアが開けっ放しだ。ちらちらと降る雪が美織の茶髪にくっついては溶けていく。振り払おうとした美織の手の力は強く、その痛さに顔を顰めると、美織はぱっと手を離したがすぐにあたしの腰に手を回して優しく抱きしめる。
いつもの美織の匂いと体温に、目の奥が熱くなったがぐっと堪えた。
「素っ気なくしてすいません。深青が、セフレなんて愛のない関係を口にするから、それが苛立たしくて仕方なかったんです。予約してくれて嬉しかった。会えるとわかって浮足立ちました。でも、いざ目の前にすると、どうしていいのかわからなくなりました。今日、もしかしたら別れを告げられるのかもしれない。恋人なんて想像もしなかった。セフレじゃないと無理、なんて言われたら……」
「愛してたって言ったわ。ずっと苦しかった」
「過去形ですか?」
「今も、好きよ」
「俺も、好きです」
「ふっ。初めて言った。好きって言ってくれたの、今が初めて」
「……そう、でしたか?」
「そうよ。それがあれば、あたしだって気づいたかも、しれないのに」
「じゃあ、これからは毎日言います。好きと愛してるを繰り返します」
「ふふ。重い。でもそうして。あたしも返すから」
「はい。深青から愛の言葉を毎日聞けるなんて幸福の極みです」
「大袈裟」
あたしは美織の背中に腕を回してぴったりくっつく。くっついていれば温かいが、雪の降る中徐々に身体は冷えていく。ぶるりと震えると、美織はあたしの腰を引き寄せもと来た道を戻っていく。有無を言わせない、帰すものかと強引に美容室へと向かっている。
「寒いですね。何か温かいもの作りますよ。なにか食べたいもの、ありませんか」
無骨な手があたしの手を握る。腰を掴む手は強引で、でも声は甘く優しくて。
あたしは降る雪を見ながら冬の風物詩を思い浮かべる。
「おでん、とか」
「いいですね。すぐ作ります」
できた奥さんみたい。
あたしはもうひとつ我儘を口にする。
「クッキーと珈琲も」
「それは、明日の朝に」
「……そうね。楽しみにしてる」
丘を登り、美容室へと戻る。
開きっぱなしだったドアが、おかえりと迎え入れてくれる。ドアベルがちりんと鳴り、ゆっくり閉めるとまたちりんと音を立てて雪の降る景色を遮断した。
「あげるわ。でも、いらなかったら捨ててね」
あたしはさっと美織の前髪を指先でかき分け、その目を見つめ、背伸びをしてキスをした。
「あたしは愛してたわ。セフレだけど、好きになってしまったのよ。それが、後ろめたかった」
あたしはドアノブを開けて外に出て、動かない美織を睨んだ。
「美織がセフレを望んでいるのにあたしが恋をしちゃったら、美織は離れていくと思ったのよ。それが、怖かった」
「深青、俺は」
「でも美織はあたしを恋人だと思ってくれていたのよね。それに気づかないあたしが悪かったわ。あなたの愛に気づかなかったのはあたしが鈍いせいよね。次の恋に行くのが怖くて、だからセフレに逃げたせい。でもあたしは今日、あなたと恋人になりたくてきたのよ。仲直りしたくてきたの。でも、あなたの他人行儀のその態度にどうしていいかわからなくなったわ。あたしのこともう見切りをつけたいなら、さっさとその紙袋捨てて忘れてくれて結構よ。今までありがとう、さよーならっ」
勢いよくドアを閉めた。ちりんちりん、とドアベルが激しく揺れて衝撃を訴える。
外は雪が降っていて、吐く息が白い。早足で美容室に背を向け、小丘を駆け下りた。
逆ギレもいいところだが、美織からの拒絶がショックだった。
もう面倒なら面倒だって言ってほしかった。そうしたら、予約なんてしなかったのに。
美織をモノにする、なんて意気込んで来たのに情けない。今日はやけ酒、温かい日本酒をたらふく飲んでやる。
鞄からスマホを取り出し、千紗に連絡しようとしてぐいと肩を掴まれた。
振り向かされ視界に飛び込んできた美織の顔は、焦りと苦渋に満ちていた。美容室のドアが開けっ放しだ。ちらちらと降る雪が美織の茶髪にくっついては溶けていく。振り払おうとした美織の手の力は強く、その痛さに顔を顰めると、美織はぱっと手を離したがすぐにあたしの腰に手を回して優しく抱きしめる。
いつもの美織の匂いと体温に、目の奥が熱くなったがぐっと堪えた。
「素っ気なくしてすいません。深青が、セフレなんて愛のない関係を口にするから、それが苛立たしくて仕方なかったんです。予約してくれて嬉しかった。会えるとわかって浮足立ちました。でも、いざ目の前にすると、どうしていいのかわからなくなりました。今日、もしかしたら別れを告げられるのかもしれない。恋人なんて想像もしなかった。セフレじゃないと無理、なんて言われたら……」
「愛してたって言ったわ。ずっと苦しかった」
「過去形ですか?」
「今も、好きよ」
「俺も、好きです」
「ふっ。初めて言った。好きって言ってくれたの、今が初めて」
「……そう、でしたか?」
「そうよ。それがあれば、あたしだって気づいたかも、しれないのに」
「じゃあ、これからは毎日言います。好きと愛してるを繰り返します」
「ふふ。重い。でもそうして。あたしも返すから」
「はい。深青から愛の言葉を毎日聞けるなんて幸福の極みです」
「大袈裟」
あたしは美織の背中に腕を回してぴったりくっつく。くっついていれば温かいが、雪の降る中徐々に身体は冷えていく。ぶるりと震えると、美織はあたしの腰を引き寄せもと来た道を戻っていく。有無を言わせない、帰すものかと強引に美容室へと向かっている。
「寒いですね。何か温かいもの作りますよ。なにか食べたいもの、ありませんか」
無骨な手があたしの手を握る。腰を掴む手は強引で、でも声は甘く優しくて。
あたしは降る雪を見ながら冬の風物詩を思い浮かべる。
「おでん、とか」
「いいですね。すぐ作ります」
できた奥さんみたい。
あたしはもうひとつ我儘を口にする。
「クッキーと珈琲も」
「それは、明日の朝に」
「……そうね。楽しみにしてる」
丘を登り、美容室へと戻る。
開きっぱなしだったドアが、おかえりと迎え入れてくれる。ドアベルがちりんと鳴り、ゆっくり閉めるとまたちりんと音を立てて雪の降る景色を遮断した。