丘の上の小さな 美容室
あたしは俯き目の下までマフラーを引き上げた。
部屋に上がるまで二人は進展していたのね。
あたしは、全然気づかなかった。一体いつからこうなっていたの。浮気されるのは初めてじゃないけど、まさか結婚してまでされるとは思っていなかった。それも、心底惚れた美織に。
奈落の底に落ちるとはまさにこの事。
再起不能かもしれない。
ショックすぎて涙も出ない。
隣で同じようにショックを受けながら「マジか」と呟いた恵があたしの様子を見て目を細めた。
「……僕さ、びっくりするくらい軽い男でさ」
「……知ってる」
「千紗ちゃんにセフレなろって誘ったことある」
「最低ね。ああ、それで千紗、あなたのこと毛嫌いしてるのね。納得だわ」
「凛ちゃんにも言ったことある」
「本当に最低」
「生温い目で見られてる。彼氏いるから無理ですーって言われたよ」
「それ、今話すタイミング合ってるの?」
「合ってると思う。慰めてる」
「慰め方が独特すぎてついていけない」
「美織の愛は重いでしょ」
優しい声音に顔を上げた。
恵が見たことないくらい優しく微笑んでいる。
「重くないわよ。むしろ重いのはあたしのほう。あたしが、重くなりすぎて、こんな追跡ごっこまでして、嫌になるわ」
恵が屈んで目線を合わせる。
さっきからずっと耳が赤い。
「嫌になるならさ、僕はどう?気軽にさ、気分転換できるセフレってありじゃない?」
「そんなの、そんなことしたら」
美織になにをされるかわからない。
それよりも、とても悲しんでしまう美織の顔が浮かんで首を振る。
「セフレはもう懲り懲りよ。それにあたしは美織ひとすじ」
あたしはニット帽を脱いで手櫛で髪を整えたあと、恵の頭にぼふっとニット帽を被せて耳まで隠した。
「ここまで付き合ってくれてありがとう。美織とちゃんと話をするわ。それに、あなたずっと耳が赤いわよ。寒いのに我慢してたんでしょ。これ、貸してあげるからもう帰って」
「深青ちゃんは、帰らないの?」
「美織が出てくるまで待ってる」
「出てきたよ」
「え?」
振り向くと、息せき切った美織がマンションのエントランスから自動ドアを潜り出てきて、あたしと恵を交互に見やる。
「深青」
「あ、美織。どうして」
「部屋の、ベランダから深青が見えて。男と一緒だったから、絡まれているのかと慌てました」
上を見上げると、四階建てのマンションの最上階、角部屋のベランダから黒髪ロングヘアの美人がこちらを見下ろしている。
「……美織。あの」
美織の名前を呼ぶと同時に、美織はあたしを背に庇い恵を睨みつけた。
「恵。深青となにしてたんですか。それ、深青の帽子でしょう」
「羨ましい?」
「恵。茶化さないでください」
恵はニット帽を撫でながら口の端を上げ挑発するように美織を下から睨めつけた。いつもの軽薄な雰囲気が消え、ぴり、と空気が緊張する。
「美織さあ、深青ちゃんのこと愛してるのはわかるよ。大切だよね。でもさ、悲しい思いはさせないであげてよ。今日、めっちゃ傷ついてるよ。僕は軽薄だけど、好きな子が傷つけられてたら黙って見てられない。美織がこんな間抜けなことするなら、横取りするから覚悟しとけ。二度目はないよ」
ぴんっと美織のおでこをデコピンすると、恵はいつものようにへらっと笑う。
空気が和らぎ緊張が解けた。
解けたと同時に恵の言葉が気になった。
美織の背中から顔をひょこりと出す。
「好きな子って、冗談よね」
恵はぽり、と人差し指で頬を搔く。
「言うつもりなかったんだけど。ついね、つい」
「そうなの。あの。ごめんなさい」
「わあ、傷ついたー」
「好きな人にセフレになろう、なんて軽薄なこと言わないほうがいいわ」
「深青ちゃんとは、セフレでもいいから繋がってたかったんだよね。あわよくば、さ」
優しい声音に優しい微笑み。
目が本気で、あたしは一瞬たじろいだ。美織が完全にあたしを背中に隠す。
「聞かなくていいですよ、深青」
「あの、恵」
恵はくるりと背を向けた。
「旦那様が怖いからもう行くよ。次の予約も宜しくね」
ひらひらと手を振って行ってしまった恵を見送ると、あたしは美織の腕をぎゅっと掴み唇を噛んだ。
なにから、説明しよう。なにから、聞けばいいの。
あたしは視線を感じて顔を上げ、ベランダを見上げた。
黒髪ロングヘアの美人が頬杖をついてまだこっちを見ている。ぎり、と歯ぎしりして美織を睨む。
「下見して、どうだったのよ」
あたしより、良かったの?言外にそう含んだのに、美織は困ったように微笑むだけだ。
浮気していた男の態度じゃない。バレたのだから弁明したり、もっと慌てて欲しかった。
心はもう、あたしにはないのだろうか。
部屋に上がるまで二人は進展していたのね。
あたしは、全然気づかなかった。一体いつからこうなっていたの。浮気されるのは初めてじゃないけど、まさか結婚してまでされるとは思っていなかった。それも、心底惚れた美織に。
奈落の底に落ちるとはまさにこの事。
再起不能かもしれない。
ショックすぎて涙も出ない。
隣で同じようにショックを受けながら「マジか」と呟いた恵があたしの様子を見て目を細めた。
「……僕さ、びっくりするくらい軽い男でさ」
「……知ってる」
「千紗ちゃんにセフレなろって誘ったことある」
「最低ね。ああ、それで千紗、あなたのこと毛嫌いしてるのね。納得だわ」
「凛ちゃんにも言ったことある」
「本当に最低」
「生温い目で見られてる。彼氏いるから無理ですーって言われたよ」
「それ、今話すタイミング合ってるの?」
「合ってると思う。慰めてる」
「慰め方が独特すぎてついていけない」
「美織の愛は重いでしょ」
優しい声音に顔を上げた。
恵が見たことないくらい優しく微笑んでいる。
「重くないわよ。むしろ重いのはあたしのほう。あたしが、重くなりすぎて、こんな追跡ごっこまでして、嫌になるわ」
恵が屈んで目線を合わせる。
さっきからずっと耳が赤い。
「嫌になるならさ、僕はどう?気軽にさ、気分転換できるセフレってありじゃない?」
「そんなの、そんなことしたら」
美織になにをされるかわからない。
それよりも、とても悲しんでしまう美織の顔が浮かんで首を振る。
「セフレはもう懲り懲りよ。それにあたしは美織ひとすじ」
あたしはニット帽を脱いで手櫛で髪を整えたあと、恵の頭にぼふっとニット帽を被せて耳まで隠した。
「ここまで付き合ってくれてありがとう。美織とちゃんと話をするわ。それに、あなたずっと耳が赤いわよ。寒いのに我慢してたんでしょ。これ、貸してあげるからもう帰って」
「深青ちゃんは、帰らないの?」
「美織が出てくるまで待ってる」
「出てきたよ」
「え?」
振り向くと、息せき切った美織がマンションのエントランスから自動ドアを潜り出てきて、あたしと恵を交互に見やる。
「深青」
「あ、美織。どうして」
「部屋の、ベランダから深青が見えて。男と一緒だったから、絡まれているのかと慌てました」
上を見上げると、四階建てのマンションの最上階、角部屋のベランダから黒髪ロングヘアの美人がこちらを見下ろしている。
「……美織。あの」
美織の名前を呼ぶと同時に、美織はあたしを背に庇い恵を睨みつけた。
「恵。深青となにしてたんですか。それ、深青の帽子でしょう」
「羨ましい?」
「恵。茶化さないでください」
恵はニット帽を撫でながら口の端を上げ挑発するように美織を下から睨めつけた。いつもの軽薄な雰囲気が消え、ぴり、と空気が緊張する。
「美織さあ、深青ちゃんのこと愛してるのはわかるよ。大切だよね。でもさ、悲しい思いはさせないであげてよ。今日、めっちゃ傷ついてるよ。僕は軽薄だけど、好きな子が傷つけられてたら黙って見てられない。美織がこんな間抜けなことするなら、横取りするから覚悟しとけ。二度目はないよ」
ぴんっと美織のおでこをデコピンすると、恵はいつものようにへらっと笑う。
空気が和らぎ緊張が解けた。
解けたと同時に恵の言葉が気になった。
美織の背中から顔をひょこりと出す。
「好きな子って、冗談よね」
恵はぽり、と人差し指で頬を搔く。
「言うつもりなかったんだけど。ついね、つい」
「そうなの。あの。ごめんなさい」
「わあ、傷ついたー」
「好きな人にセフレになろう、なんて軽薄なこと言わないほうがいいわ」
「深青ちゃんとは、セフレでもいいから繋がってたかったんだよね。あわよくば、さ」
優しい声音に優しい微笑み。
目が本気で、あたしは一瞬たじろいだ。美織が完全にあたしを背中に隠す。
「聞かなくていいですよ、深青」
「あの、恵」
恵はくるりと背を向けた。
「旦那様が怖いからもう行くよ。次の予約も宜しくね」
ひらひらと手を振って行ってしまった恵を見送ると、あたしは美織の腕をぎゅっと掴み唇を噛んだ。
なにから、説明しよう。なにから、聞けばいいの。
あたしは視線を感じて顔を上げ、ベランダを見上げた。
黒髪ロングヘアの美人が頬杖をついてまだこっちを見ている。ぎり、と歯ぎしりして美織を睨む。
「下見して、どうだったのよ」
あたしより、良かったの?言外にそう含んだのに、美織は困ったように微笑むだけだ。
浮気していた男の態度じゃない。バレたのだから弁明したり、もっと慌てて欲しかった。
心はもう、あたしにはないのだろうか。