冷徹CEOと、一夜から始まる溺愛契約

湊は視線すら向けずに、彼女から一歩身を引いた。

「失礼。妻を待たせているので」

湊の声は驚くほど静かで、平坦だった。

怒りも、嫌悪すらも感じさせない。ただの事実を告げるだけのトーン。

それがかえって、取り付く島もないほどの断絶を感じさせる。

「桐生様。ほんの少しのお時間だけでも……」

食い下がる彼女に、湊は初めて目を向けた。

だが、その瞳は路傍の石を眺めるかのように冷ややかで、温度が一切宿っていない。

彼は視線を一度だけ向けると、すぐに興味を失ったように手元のグラスをテーブルに置いた。

「あなたの要望に応える義務もメリットも、俺には見当たらない。これ以上、俺の時間を浪費させないでくれ。失礼する」

事務的な拒絶。それは、女性として以前に「交渉者」として切り捨てる、強者の振る舞いだった。

冷徹なCEO、桐生湊の真髄。

あんな湊は、初めて見たかもしれない……怖い。

もしかして、いつか私を切り捨てる時も……あんなふうに?

背中を冷たい指でなぞられたような戦慄に、私は思わず自分の肩を抱いた。

「紗良」

名前を呼ばれた瞬間、凍りついていた世界に、一気に鮮やかな色が差す。

さっきまで氷の塊のようだった彼の瞳には、今、私だけを映す熱い光が灯っていた。
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