隣にいる理由〜選ばれるはずのなかった私が、あなたの妻になるまで〜
 神宮寺さんが立ち去った後、私はテーブルの上に置かれた飲みかけのコーヒーに視線を向けた。
 私は、本当にこのまま遼さんの契約恋人のままでいいの……?

 冷めたコーヒーに手を伸ばそうとした瞬間、私のスマホが鳴った。
 着信の相手は、おそらく遼さんだ。

 動揺して反応が遅れたけれど、鞄の中からスマホを取り出し、通話ボタンを押した。

『もしもし薫? 今どこにいる?』
 
 買い物してホテルに戻る時間はとうに過ぎている。
 いつもの時間をかなりオーバーしているから心配しているのだろう。

「もしもし……、もう少ししたら戻ります」

『……何かあった?』

「後で話します。……では」

 私は一方的に通話を終わらせると、テーブルの上のコーヒーを飲み干し、店を後にした。
 
 ホテルまでの足取りが重い。
 できることならこのままずっと歩いていたい。ホテルに到着しなければいい。
 そう思っていても、天変地異や事故でも起こらない限り、到着してしまう。
 
 購入した食材も無駄にはできない。購入レシートを渡して金額を請求しなければならないのだ。
 とりあえず、食事の面だけでもしっかりと役割を果たさなければ。

 ホテルに到着すると、まっすぐエレベーターに乗り、最上階のボタンを押した。

 部屋に到着すると、インターフォンを押す。
 そして遼さんは来訪者を確認することなくドアを開ける。

「ドアを開ける前にきちんと相手を確認したほうがいいって、いつも言ってるでしょう?」
 
 私はそれをとがめながら中に入る。

「だからこの時間、ここに来るのは薫だけだっていつも言ってるだろう?」

 疲労の匂いをまとっていながらも、それを隠そうとおどけて見せる。
 いつものルーティンだ。

 そのルーティンが、いつしか当たり前のようになっている。
 ドアを開けた時に出迎えてくれる遼さんが好きだ。

 いつしか私は、彼のことを本当に好きになっていたようだ。
 だからこんなに苦しいんだ。

 私は自分の気持ちに蓋をして、契約恋人の振りをする。

「今日は鯛のお刺身を買ってきました。この前ネットで見た『宇和島鯛めし』がおいしそうだったので、それにしましょう」

 私は遼さんの顔を見ることなくキッチンへ向かい、買ってきた鯛の刺身をパックから出す。
 白だしなどでたれを作り、どんぶりによそった白米の上に具材をのせ、その上にたれをかけて食べる典型的な漁師飯だ。

「今日はここに来るのが遅くなったから手抜きでごめんなさい」

「いや、全然。いつも無理させてごめんな」
 
「じゃあ、いただきましょう」

 私たちは、向かい合って夕食をとった。
 今日の神宮寺さんのことをどう切り出そうか悩んでいると、箸が止まる。
 その様子を遼さんも気にしているのがわかる。
 いつもの疲労の匂いと違い、今日は私を気遣う心配の匂いに包まれている。
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