隣にいる理由〜選ばれるはずのなかった私が、あなたの妻になるまで〜
「ああ、たしかにそれは俺で間違いない。普段は仕事でスーツ姿だから、周りの人間は俺があんな派手な格好すると思わないだろうと思っていたんだけど、まさか初対面の人に気付かれるとは……」
彼はそう言うと、スーツの内ポケットの中から名刺ケースを取り出し、そこから一枚名刺を抜き取ると、私に差し出した。
「助けてくれてありがとう。ビジネスマナーとしては、こんな名刺の渡し方はアウトなんだけど……」
私は差し出された名刺を両手で受け取る。
そこに書かれている会社名と肩書きに、私は驚いた。
『神田食品ホールディングス株式会社 専務取締役 神田遼』
神田食品は、国内でも有名な菓子メーカーだ。
百貨店などにも置かれている高級菓子に始まり、最近は健康志向の機能性菓子の製造にも精力的に取り組んでいると、ネットニュースで見たことがある。
「その表情、会社名は知ってるっぽいね」
「知ってるも何も、とても有名な会社ですよ。神田食品さんのお菓子は、私の小さい頃の憧れの味です」
神田食品のお菓子は、小さい頃、母が職場で来客者からもらったという個包装のクッキーを食べて、その味がとてもおいしくて感動した。それ以来、忘れられない思い出の味だ。
大人になって、自分の給料で購入した思い出の味は、今でも忘れることはない。
「憧れの味、か……」
神田さんがそう呟いて少ししてから、入口辺りが騒がしくなった。おそらく救急隊員が到着したのだろう。
視線を入口に向けると、数人の救急隊員がバタバタと足音を立てて、担架を持って寝室に駆け込んできた。
「こんにちは、救急です。患者さんはこちらですか? ああ、意識はありますね。お名前は言えますか?」
救急隊員が神田さんに問診する。
「神田遼です。疲労が溜まっていて、睡眠不足も重なってしまって……」
救急隊員が神田さんに聞き取りをしている間、私は別の隊員に、先ほどの神田さんとのやり取りを話した。すると、隊員も私の言葉に耳を傾けた上でこう言った。
「今もこうしてきちんと本人とやり取りができているので、おそらく問題はないと思いますが、念のため病院で検査してもらいますので、あとは我々にお任せください」
救急隊員に線引きをされた気がした。けれどそう言われても仕方ない。私は彼の身内でもないのだから、これ以上深入りする必要はないのだ。
私は隊員の言葉に頷くと、静かに立ち上がった。
「はい、どうぞよろしくお願いします」
救急隊員が用意していた担架に乗ることを拒否する神田さんだったけれど、頭部を打撲している可能性は捨てきれないからと説得され、渋々担架で部屋から運ばれることになった。
部屋を出る際、ベッド脇に置かれていたビジネスバッグの中に財布や保険証などが入っているからと、救急隊員に託し、部屋を後にした。
部屋に残された私たちも、主が不在なのにここへ留まる理由はないので、忘れ物などがないか確認して部屋を後にする。
「神田様、たいしたことないといいですね」
エレベーターに乗って下層階へ向かいながら発した私の言葉に、大井さんもうなずいた。
「ですね。楠野さん、今日は一緒にお部屋まで来ていただいてありがとうございました。正直、私一人だけだったら、神田様に対してきちんと対応できる自信なかったです」
大井さんの言葉に、私も安堵した。
「そんなことないですよ。結局私は何もしてないし」
実際、救急隊員を呼んだのは大井さんだ。私は何もしていない。
そう言い終えたタイミングで、エレベーターの扉が開き、エントランスに到着した。
私たちはエレベーターの中からエントランスへ出ると、挨拶をしてそれぞれの持ち場へと戻っていく。
神田様、今日はしっかり病院で検査をしてもらって、元気になったら朝、またウォーキングですれ違うといいな。
私は能天気にそんなことを思いながら職場へ続く連絡用通路を歩いた。
彼はそう言うと、スーツの内ポケットの中から名刺ケースを取り出し、そこから一枚名刺を抜き取ると、私に差し出した。
「助けてくれてありがとう。ビジネスマナーとしては、こんな名刺の渡し方はアウトなんだけど……」
私は差し出された名刺を両手で受け取る。
そこに書かれている会社名と肩書きに、私は驚いた。
『神田食品ホールディングス株式会社 専務取締役 神田遼』
神田食品は、国内でも有名な菓子メーカーだ。
百貨店などにも置かれている高級菓子に始まり、最近は健康志向の機能性菓子の製造にも精力的に取り組んでいると、ネットニュースで見たことがある。
「その表情、会社名は知ってるっぽいね」
「知ってるも何も、とても有名な会社ですよ。神田食品さんのお菓子は、私の小さい頃の憧れの味です」
神田食品のお菓子は、小さい頃、母が職場で来客者からもらったという個包装のクッキーを食べて、その味がとてもおいしくて感動した。それ以来、忘れられない思い出の味だ。
大人になって、自分の給料で購入した思い出の味は、今でも忘れることはない。
「憧れの味、か……」
神田さんがそう呟いて少ししてから、入口辺りが騒がしくなった。おそらく救急隊員が到着したのだろう。
視線を入口に向けると、数人の救急隊員がバタバタと足音を立てて、担架を持って寝室に駆け込んできた。
「こんにちは、救急です。患者さんはこちらですか? ああ、意識はありますね。お名前は言えますか?」
救急隊員が神田さんに問診する。
「神田遼です。疲労が溜まっていて、睡眠不足も重なってしまって……」
救急隊員が神田さんに聞き取りをしている間、私は別の隊員に、先ほどの神田さんとのやり取りを話した。すると、隊員も私の言葉に耳を傾けた上でこう言った。
「今もこうしてきちんと本人とやり取りができているので、おそらく問題はないと思いますが、念のため病院で検査してもらいますので、あとは我々にお任せください」
救急隊員に線引きをされた気がした。けれどそう言われても仕方ない。私は彼の身内でもないのだから、これ以上深入りする必要はないのだ。
私は隊員の言葉に頷くと、静かに立ち上がった。
「はい、どうぞよろしくお願いします」
救急隊員が用意していた担架に乗ることを拒否する神田さんだったけれど、頭部を打撲している可能性は捨てきれないからと説得され、渋々担架で部屋から運ばれることになった。
部屋を出る際、ベッド脇に置かれていたビジネスバッグの中に財布や保険証などが入っているからと、救急隊員に託し、部屋を後にした。
部屋に残された私たちも、主が不在なのにここへ留まる理由はないので、忘れ物などがないか確認して部屋を後にする。
「神田様、たいしたことないといいですね」
エレベーターに乗って下層階へ向かいながら発した私の言葉に、大井さんもうなずいた。
「ですね。楠野さん、今日は一緒にお部屋まで来ていただいてありがとうございました。正直、私一人だけだったら、神田様に対してきちんと対応できる自信なかったです」
大井さんの言葉に、私も安堵した。
「そんなことないですよ。結局私は何もしてないし」
実際、救急隊員を呼んだのは大井さんだ。私は何もしていない。
そう言い終えたタイミングで、エレベーターの扉が開き、エントランスに到着した。
私たちはエレベーターの中からエントランスへ出ると、挨拶をしてそれぞれの持ち場へと戻っていく。
神田様、今日はしっかり病院で検査をしてもらって、元気になったら朝、またウォーキングですれ違うといいな。
私は能天気にそんなことを思いながら職場へ続く連絡用通路を歩いた。