隣にいる理由〜選ばれるはずのなかった私が、あなたの妻になるまで〜
「じゃあ、楠野さんでしたっけ? 仕事が終わったら、先日渡した名刺に書かれている番号に連絡をもらえますか?」

 唐突なお誘いに、私は困惑しながらもうなずくと、神田さんは表情を緩めた。

「ところで今日は、仕事は休みですか?」

「いえ、これから出勤です。仕事に入る前にウォーキングすることが日課になっていて……。私は神田様みたいに走ることが得意ではないんですけど、健康のことを考えたら、少しでも身体を動かすことをしなきゃと思って」

 私の返事を聞いて、神田さんはなるほどとうなずく。

「じゃあそろそろ、出勤の時間じゃない? それから、よかったら様呼びはやめてもらえると嬉しいんだけど」

 神田さんの声に、私は首から下げているスマホを右手に持つと、時間を見るためサイドボタンを押して画面表示をさせた。
 時計は8時45分を表示している。9時までにタイムカードを押せばいいけれど、そろそろ会社へ行かないと、このままでは遅刻しそうだ。

「わかりました。それでは、今後は神田さんと呼ばせていただきますね。そろそろ仕事に行かなきゃ」

 私の返事に、再度神田さんが念を押す。

「じゃあ、仕事頑張って。金曜日、必ず連絡して」

 その言葉に圧を感じる。もしそれを無視してしまったら、後が大変なことになりそうだ。
 私は彼に「わかりました」と承諾の返事をして、この場を離れると、会社に向かって歩き始めた。
 彼もジョギングの続きを始めたのか、足音が遠のいていく。
 その足音を聞きながら、私も彼がやって来た方向へ向かって歩みを続けた。

 職場に到着したのは、始業5分前。急いで制服に着替えてタイムカードを押す。始業時間ピッタリだ。
 いつも通り、私は業務に取り掛かった。

 
 そして迎えた金曜日。この日は業務上のトラブルもなく、残業もなく、仕事は定時の18時で終わった。
 着替えも終わり、スマホを片手ににらめっこをしていると、同僚が不思議そうに私を見ていることに気付いた。

 下手に干渉されるのも後々面倒くさいと思った私は、職場を後にすると人目につかない場所から覚悟を決めて、神田さんの名刺に書かれている連絡先へ電話を掛けた。

 数回呼び出し音が鳴り、通話ボタンが押された途端、いきなり切られた。
 私は理解が追い付かず、スマホを耳元から目の前に持っていき、画面を凝視した。
 え? どういうこと?

 もしかして、知らない電話番号からのものだから、向こうのスマホが着信拒否設定になってる……?
 しつこく電話を鳴らすのもどうかと思いながらも、連絡してと言われた手前、無視すると私の職場を知られている以上、後が怖い。
 でも、連絡していきなり通話が切れてしまったし、それを伝えたら問題ないかも……?
 そう思い直し、スマホと名刺をバッグの中にしまい込もうとした瞬間――
 私のスマホの画面が明るくなり、着信音が鳴り響いた。
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