恋に臆病な私と恋を知らなかった御曹司の距離が、ゼロになるまで
 翌日、職場へ向かう来海の胸には昨夜の休憩室での出来事が重く残っていた。

 自分を守る為とはいえ突き放すような言葉を選んでしまったことへの小さな後悔が棘のように刺さっている。

 一方充輝も同じ場面を思い返してはいたが、気分は不思議と沈んでいなかった。

 充輝は来海を追いかけることも無理に距離を縮めることもせず、これまで通りに振る舞うと決めていた。

 それでも視線だけは抗えず、廊下ですれ違うときも食堂で見かけたときも無意識のうちに来海の姿を追ってしまう。

 数日後、昼食を終えた来海が席を立とうとした瞬間、ふと充輝と目が合った。

 彼は近づくことも声をかけることもなく、ただ軽く会釈をするだけ。

 その控えめな態度に来海は戸惑いを覚えた。

 気まずくなると思っていた反応とは違い、充輝は距離を守っているように見えたから。

 彼が気にしていないのならそれでいい――そう自分に言い聞かせた来海は、これ以上関わることはないと思っていた。

 実際、その後二人が会話を交わすことはなかった。

 まるで接点の無かった頃に戻ったかのように。

 だけど充輝は来海を見かけるたびに表情を緩め、自然と視線を向けてしまっていて、その変化に最初に気づいたのは同じシステム課の女性社員たちだった。

 特に以前から充輝に好意を寄せていた事務の倉橋(くらはし) 愛華(あいか)は充輝の視線の先にいつも来海がいることが気に入らない。

「……また、あの女を見てる」
「あの人って総務課の人でしょ? まさか、好きとかじゃないよね」
「あり得ないでしょ。あんな地味な人」

 軽口で済ませていたものの意中の相手が自分より劣っていると感じる相手に興味を示している現実が、愛華の感情を歪ませていく。

 しかし充輝本人はそんな周囲の感情に気づいていなかったし、ただもう一度来海と話せる機会を静かに待ち続けているだけだった。
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