恋に臆病な私と恋を知らなかった御曹司の距離が、ゼロになるまで
 充輝がシステム課に戻ると案の定、数人の女性社員が待っていたかのように声をかけてくる。

「羽柴くん、何か手伝えることある?」
「コーヒー淹れてこようか?」
「ありがとう。でも今は大丈夫かな」

 にこやかにそう返すのは、いつものこと。

 誰かを無下に扱えば、職場の空気がぎくしゃくすると分かっているから。

 だからこそ、充輝は誰に対しても丁寧に接することを常日頃から心がけていた。

 けれど、その態度が周囲には「女好き」「軽い」と映っていることは充輝自身も薄々気づいているものの、このスタイルを変えるつもりは無いようだ。

 ただ、実際のところ充輝自身が誰かを特別視したことも無ければ本気で恋をしたことも一度だって無いし、海外勤務時代には仕事と私生活の線引きが明確で、煩わしさを感じることもなかった。

(どうしてこうも俺なんかに執着するのかな。別に誰一人特別扱いなんてしてないのにさ……女って分からねぇな……)

 日本に帰国してからというもの仕事中も休憩中も、そして取引先に出向いた時ですら気を遣う場面が増え、心が休まる時間はほとんどない。

(……やっぱり、海外に戻りたいな)

 そう思いながらも、ふと先程総務課でやり取りした来海の姿が脳裏を過ぎった。

 彼女のあの必要最低限の受け答え。

 過剰な好意も期待も探るような視線もない。

(……向坂 来海……か)

 自分に全く興味を示すことの無い落ち着いた態度。

 それがいつもとは違う意味で新鮮で妙に心に残っていた。

 一方来海はというと、書類を作り直す手間が省けたことにほっと胸を撫で下ろすのと同時に先程の出来事を思い返し、初対面にもかかわらずあれほど自然に話しかけてきた充輝の距離感に、やっぱり女慣れしているのだという思いがより明確になって苦手意識が更に高まった。

 そんな中、周囲の同僚たちが一斉に声を上げる。

「来海、いいなぁ! 羽柴くんと話せて!」
「羨ましい! 私なんて挨拶するのが精一杯なのに!」

 突如向けられた羨望の眼差しに来海は困惑する。

 ほんの数分、それこそ業務上の会話をしただけなのに、それの何がそこまで特別なのか来海にはまったく理解出来なかったから。

 けれど、この何気ない出来事がきっかけとなり、これまで交わることのなかった充輝との距離が少しずつ近づいていくことになるなんて、この時の来海は想像もしていなかった。
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