光暈時雨〜彼の旋律に、恋が降る〜
第8話 雨上がりの違和感(浩輔視点)
降り続いた雨は、すっかり上がっていた。
昨日までの音が嘘みたいに、窓の外は静かだ。
濡れた地面が、光を反射している。
(落ち着かねぇ)
理由は、はっきりしてる。
結が来るかもしれないからだ。来ないかもしれない。
でも、来る気がして……
って、おい。
来る前提で考えてる時点でアウトだろ。
「……」
月嶺寮の廊下は、相変わらず人がいない。
結の学部生が利用する階だが、出会ったことがない。
ただ所々から、ピアノの音が漏れ聞こえている。
いつもは素通りする音が、今日はやけに耳を揺さぶる。
まるで誰かの音との違いを見せつけるかのような。
煩い。
掻き消したくて、鍵盤に指を滑らす。
少し冷たい雨上がりの空気に混じる、軽い足音。
いつもより、迷いがない。
振り返る前から、わかった。結だ。
「……おはようございます」
いつも通りの声。
いつも通りの距離。
――なのに。
(……なんだ)
目が、逃げない。
昨日までの結は、一瞬だけ視線を合わせてすぐに逸らしてた。
今日は違う。
静かで、落ち着いていて、でも、芯がある。
「……雨、止んだな」
気後れして、どうでもいい一言を選ぶ。
「はい。少し、空気が澄んでますね」
言い方も、間も、どこか違う。
(……何があった)
問いかけたい衝動を、ぐっと飲み込む。
結は、ピアノの前に向かった。
「……次、弾きますね」
宣言みたいな声。
鍵盤に触れる前、一度、深く息を吐く。
俺と、同じ癖。
音が出た瞬間、違和感が、確信に変わった。
音が、逃げない。
昨日までの結の音は、迷って、揺れて、
俺の顔色を窺ってた。
今日は違う。
聴かせるためじゃない。
評価を求めてもいない。
“ここにある”音。
(……おい、まじかよ)
胸の奥が、焦燥感にざわつく。
それは、成長とか、上達とか、そんな生易しい話じゃない。
覚悟の音だ。
弾き終わったあと、結は、こっちを見た。
こわいくらい真っ直ぐに。
逃げない。
試すわけでもない。
ただ、“そこにいる”。
「……どうですか?」
短い問い。
俺は、一瞬、言葉を失った。
下手だ。相変わらず。
でも――
「……前より、強くなったな」
それだけ言うのが、精一杯だった。
結は、少しだけ笑った。
控えめで、でも、揺らがない笑い方。
(……マジかよ)
昨日まで俺が引いてた線を、向こうが軽々と越えてきた。
告白じゃない。距離を詰めてもいない。
なのに、気持ちだけが、一歩前に出てる。
惚れるな。そう言って、縛ってたはずなのに。
最早、効いてない。
……いや。効いてないのは、俺のほうか。
「……今日は、これで」
結が、鞄を持つ。
「……もう帰るのか」
声が、少しだけ低くなった。
結は、頷く。
「はい。でも……また、来ます」
それは、宣言だった。
俺に向けたものじゃない。
結自身に向けた言葉。
部屋に残ったのは、
嘘みたいな静けさと、
消えない違和感だけだった。
(……時間の問題だな)
結の覚悟が、俺の理性を追い越し始めてる。
惚れるな、なんて言葉。
もう、縛りにもなってない。
それどころか――
次に壊れるのが、どっちなのか。
考えなくても、答えは見えていた。
「……きっつ…」
誰に届くことなく、
静かに部屋にとけていった。
昨日までの音が嘘みたいに、窓の外は静かだ。
濡れた地面が、光を反射している。
(落ち着かねぇ)
理由は、はっきりしてる。
結が来るかもしれないからだ。来ないかもしれない。
でも、来る気がして……
って、おい。
来る前提で考えてる時点でアウトだろ。
「……」
月嶺寮の廊下は、相変わらず人がいない。
結の学部生が利用する階だが、出会ったことがない。
ただ所々から、ピアノの音が漏れ聞こえている。
いつもは素通りする音が、今日はやけに耳を揺さぶる。
まるで誰かの音との違いを見せつけるかのような。
煩い。
掻き消したくて、鍵盤に指を滑らす。
少し冷たい雨上がりの空気に混じる、軽い足音。
いつもより、迷いがない。
振り返る前から、わかった。結だ。
「……おはようございます」
いつも通りの声。
いつも通りの距離。
――なのに。
(……なんだ)
目が、逃げない。
昨日までの結は、一瞬だけ視線を合わせてすぐに逸らしてた。
今日は違う。
静かで、落ち着いていて、でも、芯がある。
「……雨、止んだな」
気後れして、どうでもいい一言を選ぶ。
「はい。少し、空気が澄んでますね」
言い方も、間も、どこか違う。
(……何があった)
問いかけたい衝動を、ぐっと飲み込む。
結は、ピアノの前に向かった。
「……次、弾きますね」
宣言みたいな声。
鍵盤に触れる前、一度、深く息を吐く。
俺と、同じ癖。
音が出た瞬間、違和感が、確信に変わった。
音が、逃げない。
昨日までの結の音は、迷って、揺れて、
俺の顔色を窺ってた。
今日は違う。
聴かせるためじゃない。
評価を求めてもいない。
“ここにある”音。
(……おい、まじかよ)
胸の奥が、焦燥感にざわつく。
それは、成長とか、上達とか、そんな生易しい話じゃない。
覚悟の音だ。
弾き終わったあと、結は、こっちを見た。
こわいくらい真っ直ぐに。
逃げない。
試すわけでもない。
ただ、“そこにいる”。
「……どうですか?」
短い問い。
俺は、一瞬、言葉を失った。
下手だ。相変わらず。
でも――
「……前より、強くなったな」
それだけ言うのが、精一杯だった。
結は、少しだけ笑った。
控えめで、でも、揺らがない笑い方。
(……マジかよ)
昨日まで俺が引いてた線を、向こうが軽々と越えてきた。
告白じゃない。距離を詰めてもいない。
なのに、気持ちだけが、一歩前に出てる。
惚れるな。そう言って、縛ってたはずなのに。
最早、効いてない。
……いや。効いてないのは、俺のほうか。
「……今日は、これで」
結が、鞄を持つ。
「……もう帰るのか」
声が、少しだけ低くなった。
結は、頷く。
「はい。でも……また、来ます」
それは、宣言だった。
俺に向けたものじゃない。
結自身に向けた言葉。
部屋に残ったのは、
嘘みたいな静けさと、
消えない違和感だけだった。
(……時間の問題だな)
結の覚悟が、俺の理性を追い越し始めてる。
惚れるな、なんて言葉。
もう、縛りにもなってない。
それどころか――
次に壊れるのが、どっちなのか。
考えなくても、答えは見えていた。
「……きっつ…」
誰に届くことなく、
静かに部屋にとけていった。