境界線の独白
第4章:光への牽引、影への沈降

「死にたい」

深夜、スマートフォンの画面に浮かび上がるその四文字は、僕の古傷を正確に抉った。 かつて僕自身も、駅のホームで吸い込まれるような衝動に耐えていた夜がある。だからこそ、彼女の叫びを「甘え」だと切り捨てることはできなかった。

僕は彼女に、生きる理由を必死に手渡そうとした。 それは時としてクレジットカードの決済音であり、専門学校の学費という形をした、あまりに即物的な祈りだった。その頃、過去に風俗で働いていた事も知り「風俗には戻ってほしくない」その一心で、僕は彼女の生活のすべてを背負い込んだ。夜通しの送迎、朝方までのカラオケ、彼女に「生きてることは辛いだけじゃない」と少しでも感じてほしかった。

そんな折、彼女の慢性的な扁桃腺の腫れが悪化し、手術が決まった。 声優という夢を追う彼女にとって、喉にメスを入れることがどれほどの恐怖であったか。その不安は、僕の想像を絶するものだったに違いない。声が出せなくなるかもしれない、夢が断たれるかもしれない。そんな震えるような日々を過ごす彼女を、僕はただ、祈るような思いで見守るしかなかった。

入院し、痛みに耐え、声を出せない孤独な時間を過ごす彼女。僕はその傍らで、彼女の未来を信じていた。だが、皮肉なことに彼女がその暗闇の中で指先を伸ばし、求めていたのは、僕ではなく新しく出会ったばかりの若い写真家だった。

「新しい彼氏ができたから、もう会えない」

退院した彼女から告げられたのは、感謝ではなく拒絶だった。彼女は毒親の住む実家を飛び出し、写真家の彼の家によく泊まりに行く事が増えた。30代半ばの僕が、どれほど心を尽くし、金品を尽くしても与えられなかった「若さ」という名の居場所。 僕の献身は、彼女が新しい世界へ飛び立つための、ただの踏み台に過ぎなかったのか。

虚無感に襲われる僕の元に、再び彼女から連絡があったのは、それから間もなくのことだ。 「吐き気が止まらないの。難病かも」 新しい彼との奔放な生活。二時間おきに求められるという、若さゆえの暴力的なまでの生命力の消費に、彼女の体は悲鳴を上げていた。

僕は祈るような、あるいは呪うような気持ちで、彼女に産婦人科へ行くよう促した。その扉の向こう側で、僕たちの関係を、そして彼女の人生を根底から覆す事実が待っているとも知らずに。
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