境界線の独白

第二部:煉獄と産声

第5章:祝福なき宣告

「妊娠してた」

画面に浮かんだその文字列は、あまりに短く、あまりに重かった。 婦人科へ行くよう促した僕の元に届いたLINE。それは難病でも体調不良でもなく、残酷なまでにハッキリとした「生」の事実を告げていた。その瞬間、僕の中に去来したのは怒りでも絶望でもなく、乾いた笑いにも似た無力感だった。

新しい彼との、計算違いの妊娠。 若い写真家の彼は、その幼さゆえの残酷さで「僕の子じゃないかもしれない」と言い放ったという。愛している、守りたいと言い、付き合い始めた男からの、あまりに冷酷な心無い言葉。画面越しに伝わる彼女の文面からは、その何気ない一言に対する、殺意にも似た深い憎悪が滲んでいた。

けれど、彼女は産むことを決めた。 孤独ゆえの意地だったのかもしれない。なし崩し的な入籍を経て、彼女が夢見ていたであろう甘い新婚生活とは程遠い「生活」が始まった。

僕は、月に一度の検診の日には可能な限り休みを取った。車を出し、彼女を助手席に乗せ、産婦人科へと運ぶ。けれど、僕は彼女と共に診察室に入ることはしなかった。 病院の駐車場。エンジンを切った車内。僕はただ、彼女が戻ってくるのを一人で待ち続けた。 彼女の腹部には、自分ではない別の男が植え付けた子供の命が宿っている。その現実を突きつけられる場所で、僕は「部外者」としての境界線を守り続けていた。

駐車場で待つ時間は、僕にとっての祈りであり、刑罰でもあった。 支払いのタイミングだけ呼ばれ病院のロビーに行き診察代を払い車に戻る。病院の後に時間があれば彼女を食事や買い物に連れて行く。彼女が夫との不和を嘆けば、黙って聞き、気晴らしにと連れ出す。いつも「可愛くなりたい」と言う彼女に化粧品や洋服を貢ぐ。その度に一瞬だけ垣間見える笑顔が僕の行動の全てを肯定してくれているかの様だった。身体を重ねる回数こそ減ったが、膨らんでいく彼女のお腹を前にして交わされる会話は、かつての性愛よりもずっと深く、僕の心を蝕んでいった。

彼女の声優への道は、この時、完全に閉ざされた。 一緒に書いたオーディション原稿は、ただの紙くずになった。代わりに彼女が手に取ったのは、僕のクレジットカードと、終わりの見えない現実だった。

「もうすぐ、僕たちの関係は終わる」 駐車場でハンドルを握りしめながら、僕は自分にそう嘘をつき続けていた。
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