旦那様、そろそろ離縁のご準備を〜契約結婚三年目、満了日を目前にして旦那様の様子がどこか変です〜
ご自分の望む道を選んでください
夜風が、薄い寝衣の裾を撫でていく。
夜の静けさに包まれたバルコニーで、ソフィアは東の空を仰いでいた。灯りの落ちた街並みは暗闇に沈み、その向こうで星々が優しく瞬いている。
けれど、その穏やかな景色とは裏腹に、ソフィアの心はまるで嵐が吹き荒れるかのようだった。
――「イシュラで二年間を過ごしたら、今度こそ帝国に渡ればいい」
――「君の夢が途絶えたわけじゃない。ただ、少し先に伸びるだけだ」
昼間、イシュに告げられた言葉が、耳の奥で繰り返しこだまする。
――「一週間後に船が出る。もし僕と一緒に行く気があるなら、一週間後の正午、港で待っていてほしい」
そう言ったときの、イシュの切実な顔が、脳裏に焼きついて離れない。
(……わたし、イシュに気を遣わせてしまったんだわ)
イシュは言っていた。「君の傷は癒えていない。そんな君を、ひとりで帝国にはやれない」と。
つまり――自分が兄フェリクスとの過去を克服していれば、イシュは安心して自分とアリスを帝国に送り出せたはずなのだ。あんな顔をさせることなく。
(舞踏会の夜、わたしが甘えてしまったせいで、イシュを悩ませてしまったんだわ)
舞踏会の夜、兄と遭遇し、恐怖に押し潰されそうになり、イシュに縋ってしまった自分。
もしあの夜がなければ、イシュは余計な心配を背負うことなく、一人で祖国へ戻っていたはずだ。
そう思うと、自己嫌悪でどうにかなってしまいそうだった。
(……あの夜を、最初からやり直せたらいいのに)
やり直したところで、兄の次の赴任先が帝国であることは変わらない。兄への恐怖心も消えはしないし、帝国で兄と遭遇すれば、それこそ全てが終わりだ。
店の経営どころではなくなるし、この国に連れ戻されて、一生家の監視下で生きることになるのは間違いない。
とはいえ現実的には、広い帝国で大使館勤めのフェリクスと出会う確率は限りなく低い。イシュもそう考えていたのだろう。
だが、舞踏会で兄と顔を合わせた自分の狼狽ぶりが、イシュの考えを変えてしまった。
「……ほんとに、わたしって何も変わってない。ずっと、あの頃の弱いわたしのまま……」